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 真っ赤な夕日に、湖は照り映えていた。

 馬車は小さく振動を繰り返しながら、美しい湖畔沿いを走って行く。


「……ねぇ、ヴィルマー」


 窓の外を少し眩しそうにしながら眺めていたベティーナが静かに声をかけてきた。どこかしんみりとした声音だった。


「わたくし少し、エミリアが羨ましくなってしまったわ」


「なんだ? 急に」


「だって、羨ましいじゃない。あんなにまっすぐ『居て欲しい』なんて言えるのよ。――……羨ましいじゃない」


 後半は、もう、消え入るような声音だった。

 ベティーナは目を合わせることを嫌がるように、窓の外をじっと見続ける。


 居て欲しい。


 ベティーナがそれを言いたい相手は誰なのだろうか。考えようとして、やめた。どんな結論が出ても虚しさしか残らない気がしたからだ。


「……そうだな。それを言うなら、俺はフリッツが羨ましいな」


「そうなの? どの辺が?」


 ベティーナは振り返って意外そうにヴィルマーを見た。

 ヴィルマーは敢えてまっすぐ彼女を見つめながら、言った。


「そばに居てもいいか――なんて、俺にはとても訊けない」


 ベティーナは驚いたように目を見開く。その頬は夕焼けに照らされ赤く染まっていた。


「ヴィルマー、あなた……」


 じっとヴィルマーを見つめたベティーナは、たっぷり間を置いて口を開く。そして。


「――意外と奥手なのね……」


 残念なものを見る目でそう言った。


 なんとなくその反応は予想していたが、力が抜ける。


 自分に向けられた言葉だとは露ほども考えていないベティーナは、頬に手を添えてぶつぶつと呟く。


「いえ、そうよね。よく考えればそうでもなきゃ、未だ恋人も婚約者もいないなんておかしいものね……。大丈夫よ、ヴィルマー。あなた、顔はいいから」


 同情的な視線には、さすがに苛つきそうになった。少しトゲのある声音でヴィルマーは返す。


「恋人婚約者云々は、姫にだけは言われたくない」


 もちろん、二重の意味で、だ。


「あら、わたくしとヴィルマーは違うじゃない。恋愛だって、結婚だって、あなたの方がずっと自由があるんだから」


「自由なんてあるかよ」


 そんなものがあるのだったら、とっくに言っている。

 時間が許す限り、望まれる限り、突き放されない限り、ただそばにいるだけの関係で居続けるわけがない。


 ベティーナが言った通り、彼女とヴィルマーとでは違う。身分が、背負うものが、全く違う。


 一見対等に見えようが、どれだけ近しい距離にいようが、歴然とした壁はそこにある。だから、絶対にヴィルマーから望むことは許されない。その線引きが狂ってしまえばきっと、ただそばにいることさえできなくなる。


「え、何。ちょっと、本気で不機嫌にならないでよ」


「なってない」


「分かったわ。わたくしが悪かったわ。謝るからどうか機嫌を直してちょうだい。あなたに不機嫌になられると、どうしていいか分からなくて……困るのよ」


 言葉の通り、ベティーナは本当に困っている様子で、眉を下げておろおろとしていた。


 ベティーナが不機嫌さを露わにすることは多々あれど、ヴィルマーがそうなることは滅多にない。だからこそ対処の仕方が分からず焦るのだろう。


 ベティーナの困る姿を見て溜飲が下がったヴィルマーは、冗談めかして小さく笑う。


「そこまで焦ることか?」


 それを見て、ベティーナは安心したようにほっと息を吐き出した。


「はあ、当然よ。あなたの機嫌の取り方なんて知らないもの」


 ベティーナは力が抜けたようにクッションにもたれかかる。

 それは単に今日一日の疲れがあったからかもしれないが、絶対に外では見せない彼女の態度にヴィルマーは優越感を覚えた。


「弱気な姫は久しぶりに見たな」


「たまには、いいでしょう」


 ベティーナは唇を少し尖らせて、拗ねたように言う。


「――そばに居て。なんてことは言わないから、少し弱みを見せるぐらいは……いいでしょう?」


 不意の一言に、ヴィルマーは上手く言葉を返せなかった。


 ――このお姫様はこういうところが厄介だ。

 はっきり望むことはしないくせに、遠回しに望みを口にすることはするのだから。



 *



 翌日も、眩しい日差しが湖を照らしていた。

 昨日同様、ベティーナの早朝ジョギングに付き合ったヴィルマーは汗をかいたついでに、剣を振るっていた。

 騎士はもうやめたが、身体が鈍らないように剣の稽古は定期的に続けている。


「……姫、暇じゃないか?」


 ヴィルマーが剣を振るうのを、ベティーナはわざわざ椅子を用意させてじっと見ていた。視線は苦にならないが、見ているだけで退屈じゃないかと、集中が途切れたヴィルマーは問いかける。


「暇ではないわ。ヴィルマーは綺麗に剣を振るうもの。剣舞を見ているようで、悪くないわ」


「へぇ、そうか?」


「ええ。ラインハルトの剣も見たことがあるけれど、兄弟でもやっぱり違うわね」


 ラインハルトとは、ヴィルマーの二番目の兄だ。六つ年が離れていて、第一王子アルスの側近を務める実力者だった。

 ヴィルマーはラインハルトの名前に露骨に顔を歪める。


「そりゃ、ハルト兄上とはな。そもそも剣の大きさから違うだろう」


「ラインハルトは大剣使いだものね。でもわたくしが見たのは、お兄様と手合わせしている時だったから、訓練用の木剣だったわよ」


「……ああそう。ハルト兄上は負けてたか?」


「いいえ、圧勝よ。お兄様は強いけれど、だからこそ自分よりも弱い者をそばに置くわけないじゃない」


「だろうな」


 呆れまじりの苦笑をこぼす。

 仕える主だからと言って、手加減をしたり、わざと負けを選ぶような兄ではない。アルス王子も、そんな臣は望んでいないのかもしれない。


「にしても、ヴィルマーはいつまでラインハルトを避けるつもりなの? いい加減仲直りしたらどう?」


「いや……避けているというか、会ってないだけだ」


「意図的にでしょう。それを避けてるって言うんじゃないのかしら」


 もっともだ。

 三年ほど前、騎士団を退団した頃から、ヴィルマーは意図的にラインハルトと顔を合わせないようにしていた。

 次兄ラインハルトは、ヴィルマーが騎士団で活躍することを期待していた。けれどヴィルマーはそんな兄に何も言わず、騎士団を辞めてしまった。それでなんとなく気まずくて、結果的に避ける形になっていた。ただ、それとは別に、純粋にあの兄と話すのが面倒だという理由もある。


「そろそろ会って話すぐらいはしてあげなさいよ。ラインハルトったら、わたくしの顔を見る度にヴィルマーのことを聞いてくるのよ」


「……は? 何やってるんだ、ハルト兄上」


「本当にね。わたくしへの挨拶より先に、ヴィルマーの姿を探すのよ? ブラコンにもほどがあるわよ」


「兄上…………!」


 身内の恥に頭を抱えたくなった。


 ハルデンベルク公爵家の末っ子であるヴィルマーは、二人いる兄と少々年が離れている。それ故か、昔から兄たちはヴィルマーを可愛がり、構い倒してきた。


 特にラインハルトは、それが顕著だ。幼い頃はどこに行くにも連れ回されたものだ。ベティーナと出会ったのも、ラインハルトが無理を言ってヴィルマーを王城に連れてきたがためだった。


「……そのうちに話すことにする」


 未だ気まずい思いはあるものの、ベティーナに迷惑をかけていると知って、放置しておくこともできない。ヴィルマーは苦虫を噛みつぶしながら、そう言った。



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