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「そろそろ戻るか」


 と言い、立ち上がると、フリッツも遅れて立ち上がった。


 歩き出したヴィルマーの後ろを無言でついてくる。


 ヴィルマーの放った言葉がまだうまく呑み込めないのか、考えこんでいるようだった。


 一度だけ、店の前に着いたとき、フリッツは足を止めてヴィルマーに訊ねてきた。


「なあ、俺はエミリアと居てもいいんだろうか」


 ヴィルマーも立ち止まり、答えた。


「それは、問う相手が違うんじゃないか?」


 フリッツは一度瞬きをして、


「……そっか。だな」


 何かに納得したように、頷いた。





「あら、遅かったわね。ヴィルマー」


 店に戻ると満足げな笑みを湛えた王女様に出迎えられた。


 隣に座るエミリアの目元は赤いものの、彼女もヴィルマーの姿を認めると小さく笑って会釈した。


 どうやらベティーナはエミリアを慰めることができたようだ。いつも泣いてばかりで慰められる側だったお姫様が成長したものだと、なんだか少し感動する。


「エミリア? 泣いたのか?」


 少し俯き気味でヴィルマーのあとをついてきていたフリッツが、慌てた声を出す。先程までエミリアのそばに居てもいいのか、なんて迷っていたくせに、欠片の躊躇も見せず彼女のそばに行く。ヴィルマーはその素直さについ笑ってしまいそうになった。


「大丈夫か? 馬鹿王女に泣かされたのか?」


「ちょっと、不敬罪で処すわよ」


 あらぬ冤罪をかけられたベティーナが目尻をつりあげ、フリッツを睨む。


「エミリアが泣く理由が、このわたくしにあるわけがないでしょう。むしろ、わたくしのおかげで泣きやんだのよ。感謝なさい。わたくしが誰かの涙を拭うなんて滅多にないことなのよ?」


 琥珀色の長い髪を手で払ったベティーナはつんと顎を逸らせた。


 本当か、エミリア? と確認を取るフリッツも、きっと本気でベティーナが泣かせたなんて思っていなかったのだろう。エミリアが慌てた様子でこくこく頷くのを見て、あっさりと引き下がった。


「そうか。悪かったな、馬鹿王女」


「……謝罪する気ないでしょう、あなた。アドヘルム辺境伯は一体どんな教育をしているのよ?」


「も、申し訳ございません、王女様!!」


「ほら、あなたがそんなんだからエミリアが綺麗な謝罪を見せてくれちゃったじゃないの!」


 エミリアは座ったままではあるものの、深々と頭を下げていた。それを見たフリッツはさすがにばつの悪い顔をした。


「ま、いいわ。わたくしは寛容な王女だもの。子供の戯れ言には目をつぶってあげる。それよりも、フリッツ」


「な、なんだ?」


 まっすぐ視線を向けられたフリッツは何を言われるのかと身構えた。ベティーナの真剣な表情は、さすが王族と言うべき品と迫力があった。


「さっき勝手を言ったこと、詫びるわ。わたくしは、あなたに無責任なことを言った。……ごめんなさい。あなたは一生懸命行動していたし、そんなあなたの行動は、エミリアの負担ではなく救いになっていたわ」


「え――」


 フリッツは大きく目を見開き、エミリアを見た。突然視線を向けられたエミリアはびくりと肩を跳ねさせる。


「ほ、本当か……?」


「本当よ。さっきエミリアから聞いたんだもの。困ってるときに助けてくれるフリッツはとても格好い――」


「わああぁ!? 王女様!? 内緒の約束でしたよねっ? ねっ!?」


 エミリアがかつてないほどの大声を出してベティーナの話を遮った。その頬は熟れた果実よりも真っ赤だ。


 あら、そうだったかしら、とベティーナは悪戯めいた笑みを浮かべる。

 約束を守らないとは酷い王女様だと思いつつ、ヴィルマーも少し笑ってしまった。


「良かったな、フリッツ。脈はありそうだぞ」


「は、はぁ!? 何言って……っ! あれは違うって言っただろ!!」


 フリッツの頭をポンと軽く叩いたら、また脇腹に一撃入れられた。やはり地味に痛い。敢えての絶妙な力加減かと疑うほどだ。単に、彼が暴力に慣れていないだけだとは思うが。


 ヴィルマーに怒ったせいで、フリッツの顔もまた赤くなっていた。


 取り乱すフリッツを、エミリアは顔を赤くしながらもきょとんと見る。おそらく何故フリッツが照れているのかまったく理解していないに違いない。この鈍感さでは、きっとフリッツは苦労することだろう。


「ああ、もう! エミリア!」


「は、はいっ?」


 フリッツは自棄でも起こしたような声量でエミリアの名を呼び、エミリアは驚きつつもしっかり彼の目を見て返事をした。


「あのさ、エミリア。……俺、エミリアのそばに居ても、いいのか?」


「え……」


 エミリアが青紫色の瞳を大きく見開いた。

 フリッツは緊張しているのか、視線も声量も落ちて行く。


「さっき……さっきさ、そこの王女に、俺のせいでエミリアが辛い目に合ってたのかもしれないって聞かされて、近くに居ない方が良いのかもしれないって思ったんだ。だって俺は、エミリアを助けたいのに、それじゃ逆効果だ。でも、」


「いえ……いえ、そんなことは」


 ふるふると首を振ったエミリアは、思わずと言った具合にフリッツの言葉を遮った。


 彼女の瞳にはみるみるうちに涙が溜まっていく。けれど彼女は瞬きを堪え、それをすぐに落とすことはしなかった。「いいえ」とその小さな唇を開く。


「フリッツ様は、本当に、何も悪くないのです。フリッツ様が居ようが、居まいが、あの人たちはきっと同じことをします。だから、居ない方がいいなんてことを言わないでください。わたしは……わたしは、」


 今にも泣き出しそうな顔で、エミリアはぐっと唇を噛んだ。そうしてぎゅっと拳を握り、一大決心をしたかのような決意を秘めた瞳でフリッツを真っ直ぐ見た。


「フリッツ様に、居て欲しいです……!」


 ぽろり、と堤防が決壊するように涙が溢れた。


 エミリアはそれでもなお、言い足りないかのように嗚咽まじりの声をあげる。涙を見せまいとしているのか、両手で乱暴に目元をこすりながら。


「わたし、強くなりますっ、一緒にいて、あなたを傷つけないぐらい、っ、強く。どんなことがあっても、笑えるぐらい、強く。だから、だから……――」


「馬鹿エミリア」


 すっと伸びたフリッツの手がエミリアの細い手首を掴む。彼の指が、エミリアの目尻をなぞり、涙を優しくすくい取る。エミリアはびっくりしてその先の言葉を忘れてしまったかのように、ぱくぱくと口を開閉していた。馬鹿、ともう一度フリッツは言う。


「辛いときはちゃんと泣け。無理に笑ってるのを見る方が、こっちはきついんだよ。強くたって弱くたって、エミリアが望む限り、俺は居るよ。俺にはまだ、何が正解かなんて分からないから、だからせめて、涙が拭える距離には居ることにする。それでエミリアが傷ついたとしても、俺が傷ついたとしても、離れていて後悔するよりもずっとマシだ」


 エミリアはまた大きく目を見開いて、それからゆっくりと眉を下げた。くしゃりと表情が泣き顔に歪む。


「う……うううぅぅ……!」


 エミリアは声を押し殺しながらもしばらく涙をこぼし続けた。大粒の涙を、ぼろぼろと。

 その涙を、フリッツは何度もすくい受け止めていた。彼女が泣きやむまで、ずっと。



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