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 店を出て少し歩いた先の広場に、フリッツはいた。

 いくつか並んだベンチに、彼は肩を落として座りこんでいた。

 どうしたものかと思いながら、ヴィルマーはその隣に腰掛ける。


「……何?」


 ちらりとこちらを見たフリッツは、明らかに機嫌の悪い声音でそう言った。


 警戒心というか、鬱陶しさを剥き出しにしたその態度に、ヴィルマーはつい苦笑してしまう。何かというと兄たちに構われていた自分を見るようだ。それを思うとあまりお節介なことは言わない方がいいのだろうか。


「いや、別に。俺も外の風に当たりに来ただけだ」


「ふうん。風、全然ないけどな」


「だな。残念だ」


 風のない外は暑いばかりだった。

 じりじりと容赦なく照る陽光が肌を焼く。湖のそばならまだもう少し涼しいのだが。そう思いながらもしばらくフリッツの横で足を組んでいると、「あのさ」と彼が口を開いた。


「エミリア、泣いてたか……?」


「気になるなら、戻ればどうだ?」


 がたっとフリッツが立ち上がる。怒ったように目尻がつり上がっていた。


「それができないから聞いてるんだって! なんだよ、お前もあの王女も偉そうにして……!」


「偉そうなんじゃなくて、偉いんだ。あの王女様は」


 フンとフリッツは鼻を鳴らしながらも、また隣に座り直した。


「そんなの肩書きだけだろ。肩書きだけで威張るやつなんて、くだらない」


「……。それ、王宮内でやったら不敬罪だからな」


 仮にも一国の王女を臣が肩書きだけの能無しと罵るのは、許されることではない。ベティーナは、適当に流して許すのだろうが。


 だが、ヴィルマーの心境としては複雑だ。


 肩書きだけで威張れるような人間だったら、ベティーナはもっと楽に生きられた。もっともそんな人間だったら、ヴィルマーは今ここにはいないだろうが。


「何でだよ。あの王女のことは、皆悪く言ってるだろ。それを全部捕まえて、刑に処すのか? 王族は」


「そういうことじゃないが……まあ、それはしないだろうな。今のところ、姫にそこまでの価値はない」


 だからこそ放置されている悪評だ。


 ベティーナ自身があまり気にしていないからヴィルマーも特に何もしないでいるが、薄々彼女の悪評には誰かの作為があるのではないかと疑っている。


 その誰かが、王家の衰退を狙う者なのか、彼女の名前に隠れて何かをしようとしている者なのか、はたまたもっと別の狙いがあるかは分からない。今のところは、思い過ごしかと思う程度の疑念だ。


「……お前は、あの王女の何なんだ?」


「それについては幼馴染だって結論が出ている」


「は? 結論?」


 不可解そうにフリッツは眉根を寄せた。


「ああ。王女様自ら結論を出してくださった。たぶん俺たちの関係は、そこから変わることはないんだろうな」


 子供の頃に仲が良かった存在。過去を導にした関係だ。


 現在を主軸にしてしまえば、主従の関係に帰結してしまうだろう。


 ヴィルマーとしては彼女の臣のつもりでいるが、きっとベティーナは自分が主などとは思っていない。ヴィルマーにその立ち位置を望んではいない。それは単に、彼女が孤独を恐れているからに過ぎないが、近くに居て欲しいと望まれているようで悪い気はしなかった。


「ふうん」


 自分から聞いたにもかかわらず、フリッツは気のない返事をした。

 唇を引き結び、また黙ろうとするのを見て、ヴィルマーは同じ問いを彼にする。


「エミリアとフリッツは、どういう関係なんだ?」


「…………」


 答えが返ってきたのは、長い沈黙のあとだった。それは、ヴィルマーの問いへの答えと呼べるような簡潔なものではなかったけれど。


「……あいつさ、エミリア。昔はあんなんじゃなかったんだ。確かによく泣くやつだったけど、それよりももっと、笑うやつだったんだ。あいつの笑った顔、すごい可愛くて、俺はそれが好きで」


 言いかけて、ハッとした顔になり、フリッツは顔を赤くした。何を言ったのか、完全に無自覚だったらしい。


「違うからな!? そういうのじゃないからな!? 微笑ましそうな目で見るなよ!」


「分かりやすいなー、フリッツは」


 違うって! と叫んだフリッツは、照れ隠しなのか何なのか脇腹のあたりをどついてきた。地味に痛い。

 その痛みが収まった頃に、ヴィルマーはもう一度訊ねた。


「……で? まだ話に続きはあるんだろう?」


 ふてくされた顔のフリッツは横目でヴィルマーをちらりと見て、仕方ないと言った具合に口を開いた。


「エミリアの母親が亡くなって、父親が再婚して、新しく母親と姉ができて、それからだ。あいつ、全然笑わなくなったんだ。笑っても、泣くのを堪えるように笑う。我慢してるのが透けて見えるんだ。笑えないのなら、いっそ大声で泣けば良いのに、それもしない」


 原因は分かり切ってる、と彼は虚空を睨む。


「あいつの泣ける場所も、笑える場所も、全部新しい母親たちが奪ったからだ。あいつの母親のいた部屋も、遺したものも、全部奪われて、笑えるわけがない。大声で泣けば慰めてくれるどころか殴られるような場所で、泣けるわけがない」


 だから、とフリッツは空を仰ぐ。

 雲一つないまっさらな青空は、こんな話にまったく似つかわしくない。けれどまあ、どんよりした空よりかはずっとマシだろう。上を向く気にさせてくれる。


「だから俺は、あいつを守りたかったんだ。助けたかったんだ。……でも、俺がそうやって庇うたびに、あいつは傷ついてたんだな。傷つけられてたんだな……そんなこと、想像もしてなかった」


 上げた顔を段々と落とし、それに連れて、声も小さくなった。

 俯いたフリッツは、消え入るようなか細い声で、震える声でささやいた。


「――なあ、でも、それなら俺は、どうしたら正解だったんだ……?」


 それは、隣に居るヴィルマーへの問いかけなのか。己自身への問いかけなのか。


 ヴィルマーは少し迷った後で、「難しいな」と呟いた。


「なっ、なんだよ、それ」とフリッツが顔を上げて、責めるような目を向けて来た。


 ここまで話したのだから、正解を教えてくれと言っているような目だ。その目をヴィルマーは挑発的に見返す。


「何か言って欲しいのか?」


 言って良いのか、と。

 まったく関係のない他人の意見に左右されて、それでいいのかと。


 ヴィルマーから言えることは何もない。

 エミリアを思っているのは、フリッツであってヴィルマーではない。彼女を助けたいと望んでいるのは、フリッツ自身だ。そこに、部外者であるヴィルマーが何かを言えるはずはなかった。


 フリッツは動揺したように上擦った声を出す。


「そ、そういうわけじゃ……でも、俺はこれからどうしていいか……」


「俺から言えるのは、ひとつだけだな」


 フリッツの(あお)い目を正面から見返せば、彼は怯んだように身を引いた。


「な、なんだよ?」


「これが絶対に正しいと言うやつのことは信じない方がいい。九割方、嘘だ」


 少なくともヴィルマーはそう思っている。

 この世に正解など、ありはしないのだから。


 安易に解を語る者は、よっぽど無責任な人間か、策に嵌めようとしている狡猾な人間のどちらかだ。


「なんだよ、それ……」


 フリッツは納得のいっていない顔で口をへの字に曲げた。




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