12
店を出て少し歩いた先の広場に、フリッツはいた。
いくつか並んだベンチに、彼は肩を落として座りこんでいた。
どうしたものかと思いながら、ヴィルマーはその隣に腰掛ける。
「……何?」
ちらりとこちらを見たフリッツは、明らかに機嫌の悪い声音でそう言った。
警戒心というか、鬱陶しさを剥き出しにしたその態度に、ヴィルマーはつい苦笑してしまう。何かというと兄たちに構われていた自分を見るようだ。それを思うとあまりお節介なことは言わない方がいいのだろうか。
「いや、別に。俺も外の風に当たりに来ただけだ」
「ふうん。風、全然ないけどな」
「だな。残念だ」
風のない外は暑いばかりだった。
じりじりと容赦なく照る陽光が肌を焼く。湖のそばならまだもう少し涼しいのだが。そう思いながらもしばらくフリッツの横で足を組んでいると、「あのさ」と彼が口を開いた。
「エミリア、泣いてたか……?」
「気になるなら、戻ればどうだ?」
がたっとフリッツが立ち上がる。怒ったように目尻がつり上がっていた。
「それができないから聞いてるんだって! なんだよ、お前もあの王女も偉そうにして……!」
「偉そうなんじゃなくて、偉いんだ。あの王女様は」
フンとフリッツは鼻を鳴らしながらも、また隣に座り直した。
「そんなの肩書きだけだろ。肩書きだけで威張るやつなんて、くだらない」
「……。それ、王宮内でやったら不敬罪だからな」
仮にも一国の王女を臣が肩書きだけの能無しと罵るのは、許されることではない。ベティーナは、適当に流して許すのだろうが。
だが、ヴィルマーの心境としては複雑だ。
肩書きだけで威張れるような人間だったら、ベティーナはもっと楽に生きられた。もっともそんな人間だったら、ヴィルマーは今ここにはいないだろうが。
「何でだよ。あの王女のことは、皆悪く言ってるだろ。それを全部捕まえて、刑に処すのか? 王族は」
「そういうことじゃないが……まあ、それはしないだろうな。今のところ、姫にそこまでの価値はない」
だからこそ放置されている悪評だ。
ベティーナ自身があまり気にしていないからヴィルマーも特に何もしないでいるが、薄々彼女の悪評には誰かの作為があるのではないかと疑っている。
その誰かが、王家の衰退を狙う者なのか、彼女の名前に隠れて何かをしようとしている者なのか、はたまたもっと別の狙いがあるかは分からない。今のところは、思い過ごしかと思う程度の疑念だ。
「……お前は、あの王女の何なんだ?」
「それについては幼馴染だって結論が出ている」
「は? 結論?」
不可解そうにフリッツは眉根を寄せた。
「ああ。王女様自ら結論を出してくださった。たぶん俺たちの関係は、そこから変わることはないんだろうな」
子供の頃に仲が良かった存在。過去を導にした関係だ。
現在を主軸にしてしまえば、主従の関係に帰結してしまうだろう。
ヴィルマーとしては彼女の臣のつもりでいるが、きっとベティーナは自分が主などとは思っていない。ヴィルマーにその立ち位置を望んではいない。それは単に、彼女が孤独を恐れているからに過ぎないが、近くに居て欲しいと望まれているようで悪い気はしなかった。
「ふうん」
自分から聞いたにもかかわらず、フリッツは気のない返事をした。
唇を引き結び、また黙ろうとするのを見て、ヴィルマーは同じ問いを彼にする。
「エミリアとフリッツは、どういう関係なんだ?」
「…………」
答えが返ってきたのは、長い沈黙のあとだった。それは、ヴィルマーの問いへの答えと呼べるような簡潔なものではなかったけれど。
「……あいつさ、エミリア。昔はあんなんじゃなかったんだ。確かによく泣くやつだったけど、それよりももっと、笑うやつだったんだ。あいつの笑った顔、すごい可愛くて、俺はそれが好きで」
言いかけて、ハッとした顔になり、フリッツは顔を赤くした。何を言ったのか、完全に無自覚だったらしい。
「違うからな!? そういうのじゃないからな!? 微笑ましそうな目で見るなよ!」
「分かりやすいなー、フリッツは」
違うって! と叫んだフリッツは、照れ隠しなのか何なのか脇腹のあたりをどついてきた。地味に痛い。
その痛みが収まった頃に、ヴィルマーはもう一度訊ねた。
「……で? まだ話に続きはあるんだろう?」
ふてくされた顔のフリッツは横目でヴィルマーをちらりと見て、仕方ないと言った具合に口を開いた。
「エミリアの母親が亡くなって、父親が再婚して、新しく母親と姉ができて、それからだ。あいつ、全然笑わなくなったんだ。笑っても、泣くのを堪えるように笑う。我慢してるのが透けて見えるんだ。笑えないのなら、いっそ大声で泣けば良いのに、それもしない」
原因は分かり切ってる、と彼は虚空を睨む。
「あいつの泣ける場所も、笑える場所も、全部新しい母親たちが奪ったからだ。あいつの母親のいた部屋も、遺したものも、全部奪われて、笑えるわけがない。大声で泣けば慰めてくれるどころか殴られるような場所で、泣けるわけがない」
だから、とフリッツは空を仰ぐ。
雲一つないまっさらな青空は、こんな話にまったく似つかわしくない。けれどまあ、どんよりした空よりかはずっとマシだろう。上を向く気にさせてくれる。
「だから俺は、あいつを守りたかったんだ。助けたかったんだ。……でも、俺がそうやって庇うたびに、あいつは傷ついてたんだな。傷つけられてたんだな……そんなこと、想像もしてなかった」
上げた顔を段々と落とし、それに連れて、声も小さくなった。
俯いたフリッツは、消え入るようなか細い声で、震える声でささやいた。
「――なあ、でも、それなら俺は、どうしたら正解だったんだ……?」
それは、隣に居るヴィルマーへの問いかけなのか。己自身への問いかけなのか。
ヴィルマーは少し迷った後で、「難しいな」と呟いた。
「なっ、なんだよ、それ」とフリッツが顔を上げて、責めるような目を向けて来た。
ここまで話したのだから、正解を教えてくれと言っているような目だ。その目をヴィルマーは挑発的に見返す。
「何か言って欲しいのか?」
言って良いのか、と。
まったく関係のない他人の意見に左右されて、それでいいのかと。
ヴィルマーから言えることは何もない。
エミリアを思っているのは、フリッツであってヴィルマーではない。彼女を助けたいと望んでいるのは、フリッツ自身だ。そこに、部外者であるヴィルマーが何かを言えるはずはなかった。
フリッツは動揺したように上擦った声を出す。
「そ、そういうわけじゃ……でも、俺はこれからどうしていいか……」
「俺から言えるのは、ひとつだけだな」
フリッツの碧い目を正面から見返せば、彼は怯んだように身を引いた。
「な、なんだよ?」
「これが絶対に正しいと言うやつのことは信じない方がいい。九割方、嘘だ」
少なくともヴィルマーはそう思っている。
この世に正解など、ありはしないのだから。
安易に解を語る者は、よっぽど無責任な人間か、策に嵌めようとしている狡猾な人間のどちらかだ。
「なんだよ、それ……」
フリッツは納得のいっていない顔で口をへの字に曲げた。




