25 もちろん、永遠ではない。
単なる逃げ口上だったのだが、この子供の目をした男はそうはとらなかった。仕事が終ったらゆっくり話をしよう、そういう意味に解釈して、閉店まで私を待つことにしたのである。
ゲームボーイを手に。エカシのポケモンを育てながら。
店を閉めて風呂に入ってきたが、まだヨハンセンはそこにいた。仕方なく部屋を片付けるわけだがまったく嬉しくない。ドキドキしているのは確かだが、面接でも受けるような気分だ。
この男に失望されたくない、そんな思いもあったかもしれない。
最新のポートフォリオを見せた。
ヨハンセンはそれを膝にかかえこんでじっくりと覗き込み、数十分かけて目を通したあとで、
「最近は何をしてるんだ」
と聞いてきた。
「これに載ってるようなのは、だいたいハルハラのところで見せてもらった。まだあるんだろ、やりたいこと」
最近していること、というのは、部屋の隅に積み上げてシーツをかぶせてある。
紙の上ではいくらでもイメージがわくのだが、立体造形として表現しようとすると、強度やバランスの壁にぶつかって、無難なものになってしまうか、製作途中で破損するか、ということになりがちだ。
だがヨハンセンは、その破損したものに目をつけて、
「ああ、これはちょっと面白いな」
そう言った。
「でも、彫刻の世界でもそういうのってやりつくされてるだろ。それだけじゃダメなのはわかってるんだ。私がやりたいのは、なんていうか生命感なんだよ、線的な運動イメージじゃなく、次の瞬間の動きが常に不確定な、でもカオスじゃない、そういう感じ……」
「難しいな」
「ごめん、自分でもまだよくわかってないんだ」
「じゃあ、俺と一緒だな」
スエーデンから来た男は、そう言ってにこりと、実に気持ちのいい笑みを見せたのだった。
最初とは別の意味でドキドキしてきた。
こんな話をまじめに聞いてもらえるのは、正直嬉しいのだ。その夜私達は、お互いの中でまだ形にならないイメージと理論について、かみ合わない議論を戦わせた。話の種はいつまでも尽きず、何事もなかったら朝までだってそうしていただろう。ヨハンセンは言った。
「EUに来るといい。いやEUでなくても、インドでもアフリカでもいい。狭い文化の中ではわからないことがある。環境と自分の境界がフィットしすぎて、自分のカタチや大きさが見えなくなっているんだ。俺が日本に来て気づいたことがあるように、しずくにも見えてくることがあるはずだ。日本にいては見過ごされている、しずくのカタチや大きさに、気づく者も必ずいるだろう」
彼が言ったことも、私が受け取った意味も、ちっとも変なものではなかったのだが、ここで私は感極まってしまった。泣きそうな顔を見られたくなくてとりあえず立ち上がって、これという言い訳も思いつかないまま部屋を出た。すると――
くるみが廊下にいた。こちらに背中を見せ、ひざをついて壁に耳をあてて、ニンジャみたいな体勢で部屋の中の様子をうかがっていた。
「お、おま……そこで何を」
くるみは、ぱっとふりかえったがまったくあわてた様子を見せない。後頭部に手をやり、舌を出してウィンクして、
「見つかっちゃった」
語尾にハートマークでもついてそうな勢いである。次の瞬間には立ち上がり、
「お茶もってきましたー」
私の横をすり抜け、襖を開けている。なんとか阻止しようと背後から飛びつこうとする私を見もせずにかわした。私は鴨居に頭をぶつけ、そのあいだにくるみは部屋に入っている。
「ハーイ、ヨン」
意外でもないが、この町で観光に携わっている人間はたいてい外国語が話せる。
なんなら泊まってく? 布団もってこようか? アハハー、ジャストキッディングなどと恐ろしい話をしている。
こぶができたかもしれない額をかばいながら部屋に入る私の腕を、くるみがつかんだ。
「な、何を」
手を引っ張られるままに座る。ヨハンセンに何か言いながら、くるみは私に寄り添い、腰に手をまわしてだきついてくる。
ヨハンセンが、ぽん、と手を打った。
「ああ、君たちはレズビアンか」
「違うわっ」
「イエース」
「とっとと出てけ! ヨハンセン、お前もだ、帰れっ!」
真っ赤になって私は叫んだ。
その一夜がどれだけ貴重なかけがえのないものだったか、まるで気づきもせずに。
ヨハンセンは翌日出発し、二度とコタンを訪れることは無い。
そして、くるみと私がともにすごす時間も、もちろん、永遠ではない。




