22 どうしておまえはここにいる
「音も無く近づくな、いきなり話しかけるな、ていうかそもそも、どうしておまえはここにいる」
よく見ると、昨日とは違って服装もこざっぱりしており、ヒゲもきれいに剃っている。風呂にも入ったのだろう、体臭を含めて、サチュロスじみた雰囲気は無くなっている。
ヨハンセンは私の質問も要求も一切無視して、目を輝かせてこう言った。
「君が月島しずくだったんだな」
「へ?」
「ハルハラから聞いていた通りの人だ」
私は思わず腰を引いて身構えてしまった。
椅子に座っていなければ、後方に二メートルぐらい飛びすさっていたところだ。
「晴原先輩の知り合い……なんですか」
基本的に無表情なこの男は、真顔で頷く。
「去年、ソチのトリエンナーレで知り合いになってね」
「はあ」
ソチというとロシアか。そういえば夏の間海外に行っていたようだが。
「いつも自慢げに言っていたもんさ。『うちの彫刻科には女がいる。ただの女じゃない、あれは、東北のアルテミスだ』ってね。君のことだ」
私は頭を抱えた。まったく意味がわからない。
アルテミスって、野生動物の守護神だっけか。猟師や猟犬を狂わせて殺したりする。およそ文化とも生産とも縁がない気がするが、晴原先輩、何をもって自慢だと……
ああ、そういえば処女神だっけか。大きなお世話だ馬鹿野郎。
「北海道と東北は別だし……」
顔を上げられないまま、そんなことをつぶやくしかない。
「東北と一緒にすんなし……」
などとやっているうちに、遊覧船の第一便が接岸した。外国人の乗客が多い。欧米系の若者六、七人のグループが店に入ってきた。私は日本人としては規格外のサイズだが、この連中とくらべるとなんら大きいほうではない。そしてヨハンセンは、確実にそいつらよりもひとまわり以上でかい。
やはりこの男、人間のカテゴリーに入れるには無理がある。
「そもそも、あの山中で何をやっていたんだ」
客は何も買わずに出て行った。ヨハンセンはいつまでも仕事の邪魔をしている。
「君はここで何をしているんだ」
「仕事だよ、見てわかんないのかよ」
「君の仕事はアーティストだろう」
揶揄しているわけでも責めているわけでもない、それはわかる。この男はまじめだ。
答えようはいくらでもあったはずだが、私は言葉に詰まってしまった。質問に見合うだけの真剣さが、自分に足りないような気がした。私はまだ、何もかも曖昧なままなのだ。
返答に窮しているうちに、アジア系の団体がどやどやとなだれ込んで来た。バスツアーで来ていて時間があまりないとかで、争うようにお土産を買いあさっては次の店に突進していく。嵐のような連中だった。
民族舞踊の公演が始まると、通りからは人が消えた。ヨハンセンも、気づくといなくなっていた。
昼食を終え、ダイニングで煙草を吸っていたら、民族衣装姿のくるみが顔をのぞかせた。
「あ、いたいた。しずくちゃん、おいでー」
「ん、何?」
「ヨン様がお・呼・び」
「ヨン様って誰よ」
「えーっ、しずくちゃんの王子さまじゃない」
煙がへんなところに入って思いっきり咳き込んだ。
「あれ、違った?」
「おまえ、ほんとに一度、頭見てもらえ」
どっちにしても、休憩時間だった。エカシに言うと、まったく問題ないから行って来い、と言う。大丈夫なんだろうか、この店は。
しかしそれにしても、
「ヨハンセンが何の用だろう」
「ステージ使わせてほしいって言ってたから、踊るんじゃない?」




