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第10話 わがまま娘のアルファード

第10話 わがまま娘のアルファード


三月半ばの土曜日、綾乃の家の前に、白いアルファードが止まった。大きな車体は朝の光を反射し、庭の沈丁花まで白く照らしている。達也は紺色のジャージ姿で玄関を出ると、車の前後を二度も往復した。


「本当に買ったのか?」


「買ったわ。昨日、納車されたの」


「相談していた車って、こんなに大きかったか?」


「通院だけなら小さい車でいいけれど、小旅行には全員で乗れる方が便利でしょう。車椅子が必要になっても、荷物を積めるもの」


綾乃は実家へ頼み、父の会社と付き合いのある販売店を紹介してもらった。代金を出してもらったわけではなく、夫婦名義で契約し、頭金も自分たちの預金から支払った。両側に大きなスライドドアがあり、茂が足を上げやすいよう乗降用の踏み台も用意していた。


「維持費は計算したのか?」


「自動車税、保険、駐車場、車検、ガソリン代まで計算したわ。二世帯住宅のローンより、ずっと安いでしょう」


「比べる相手がおかしいよ」


達也は運転席へ座り、ハンドルの位置を合わせた。新車の座席からは、革と樹脂が混じった匂いがする。助手席には取扱説明書、後部座席には値札を外していない灰色のひざ掛けが三枚置かれていた。


「今日は俺が運転するの?」


「私はまだ、この車幅に慣れていないの。お義父さんたちの通院に使う前に練習して」


「人を練習台にするなよ」


「今日は家族全員が乗るから、責任は重いわよ」


この日は、綾乃の実家と義実家が合同で河津桜を見に行く予定だった。目的地は車で二十分ほどの河川敷にある予約制のバーベキュー場で、遠出と呼ぶほどの距離ではない。それでも、炭、網、折り畳み椅子、食材、飲み物を積むと、荷物はアルファードの荷室いっぱいになった。


綾乃は黄土色のパーカーに黒いパンツを合わせ、髪を高い位置で結んでいた。前日の夜に漬け込んだ鶏肉、牛肉、豚肉を別々の保存容器へ入れ、切った玉ねぎ、ピーマン、椎茸、春キャベツも保冷箱へ詰めた。冷蔵庫の隅に残っていた大根の葉は、塩むすびへ混ぜ込んだ。


「また大根?」


「葉を捨てるのはもったいないでしょう」


「前回の筋肉痛は治ったのか?」


「今日はすりおろしていないから大丈夫よ」


達也がアルファードを五分走らせ、義実家の前へ止めると、敏恵が先に玄関から出てきた。桜色のカーディガンに白いスカーフを巻き、手には三段の重箱を抱えている。後ろから現れた茂は、薄茶色のジャケットに紺色の帽子をかぶり、杖で車のタイヤを軽くつついた。


「ずいぶん大きな車を買ったな」


「七人乗れます。今日は綾乃の両親も一緒だから、ちょうどいいよ」


「こんな車が必要なのか? 近所の病院へ行くだけなら、軽自動車で十分だろう」


「小旅行にも使うの。お義父さんが囲碁大会へ行きたいと言ったとき、道具も仲間も乗せられますよ」


「俺はまだ、連れていってくれとは言っていない」


茂はそう言いながら、開いたスライドドアの前へ立った。綾乃が踏み台を置くと、杖を先に車内へ入れ、手すりを握って慎重に乗り込む。座席へ腰を下ろした茂は、足元の広さを確かめるように膝を二度伸ばした。


「悪くはない」


「素直に乗りやすいと言えばいいでしょう」


敏恵は重箱を達也へ渡し、茂の隣へ座った。重箱の中には、卵焼き、筑前煮、苺がぎっしり詰められている。バーベキューへ行くのに煮物が必要なのかと達也が聞くと、敏恵は胸を張った。


「肉ばかりでは胃がもたれるでしょう。卵焼きは、綾乃さんみたいに太く切っていませんよ」


「まだ錦糸卵のことを言っているの?」


「一度見たら忘れられない太さだったもの」


次に綾乃の実家へ寄ると、佐和子と綾乃の父が門の前で待っていた。佐和子は深緑色のコートを着て、コーヒーを入れた大きな水筒を持っている。父は赤いチェックのシャツにベージュのベストを重ね、なぜか釣り用の帽子をかぶっていた。


「花見なのに、どうして釣りの帽子なの?」


「ひもがついているから、風に飛ばされない」


「その帽子、魚の絵が描いてあるわよ」


「桜は帽子の柄まで見ないだろう」


父は荷室を開け、山のような荷物の隙間へ自分の折り畳み椅子を押し込んだ。車内へ乗ると、茂とどちらが窓側へ座るかでしばらく譲り合う。最後は茂が「足が悪い方が乗り降りしやすい席だ」と言い、入口側へ座った。


河川敷へ着く頃には、空が青く晴れていた。濃い桃色の河津桜が堤防沿いに並び、菜の花の黄色と重なっている。窓を開けると、川の湿った匂いに花と若い草の香りが混じった。


駐車場からバーベキュー場までは、歩いて数分だった。近い場所だったが、炭、網、保冷箱、椅子、重箱を一度に運ぶことはできない。綾乃が荷物を分けていると、茂が炭の袋を持とうとした。


「お義父さんは、自分の杖と帽子をお願いします」


「それでは荷物を持ったことにならん」


「では、このキッチンペーパーをお願いします。風に飛ばされたら困ります」


「ずいぶん軽い係だな」


茂は不満を言いながら、キッチンペーパーを胸へ抱えた。敏恵は重箱、佐和子は水筒、綾乃の父は椅子を二脚持つ。残った重い荷物は達也と綾乃が運び、二往復目は全員が桜の下で待った。


火を起こすと、炭の煙が桃色の花の間へ上がった。達也が肉を焼き、綾乃は春キャベツと新玉ねぎを網へ並べる。敏恵は焦げかけた椎茸を勝手に端へ移し、佐和子は紙皿が飛ばないよう水筒を重しにした。


「達也さん、鶏肉は中まで火を通してね」


「分かっています」


「さっきから三回も裏返しているけれど、触りすぎると焼けないわよ」


「母さん、俺に任せてくれ」


「家で料理をしない人に、任せきりにはできないでしょう」


綾乃の父が焼けた牛肉を一枚取り、敏恵の皿へ載せた。敏恵は礼を言い、代わりに重箱の筑前煮を差し出す。父はレンコンを食べながら、アルファードの方を振り返った。


「娘が突然、大きな車を探してくれと言い出しましてね。わがまま娘ですみません」


父が苦笑すると、敏恵の箸が止まった。以前、自分が綾乃を「実家に甘やかされたわがまま娘」と呼んだことを思い出したらしい。佐和子は何も言わず、紙コップへコーヒーを注いだ。


「いえ。今回は、私たちのためでもあるそうですから」


「今回だけではありませんよ。あの子は昔から、必要だと思えば先に動くんです。小学生のとき、捨て犬を拾ってきて、飼うための費用と散歩当番まで表にして見せました」


「それで飼ったの?」


「十五年、一緒に暮らしました。最後の通院にも、娘が付き添いました」


綾乃は肉を焼く手を止め、父を見た。古い話を持ち出され、耳まで熱くなる。達也は面白そうに笑いながら、焦げたピーマンを綾乃の皿へ入れた。


「わがままというより、準備してから押し切るんですね」


「押し切ってはいないわ。選択肢を用意しているの」


「断りにくい選択肢をな」


六人の笑い声に驚き、桜の枝にいた小鳥が飛び立った。茂は椅子へ深く腰掛け、菜の花の向こうを流れる川を眺めている。膝には灰色のひざ掛けがあり、手には敏恵が作った卵焼きが残っていた。


食後、綾乃は車から二つのバランスボールを出した。空気を少し抜いて運んできたため、その場で達也がポンプを使って膨らませる。青と黄緑の大きな球が桜の下に並ぶと、近くで遊んでいた子どもたちまで振り返った。


「花見にまで持ってきたのか?」


「食べた分を少し動きましょう。座ったまま転がすだけです」


「今日は予防の運動は休みじゃないのか」


「これは遊びです」


茂が青いボールを綾乃の父へ転がすと、父は椅子から立ち上がり、両手で強く押し返した。ボールは茂の横を通り抜け、敏恵の足元へ転がる。敏恵はスカートの裾を押さえながら、両手で佐和子へ返した。


河津桜の花びらが風に乗り、青いボールへ一枚貼りついた。家族は一つ屋根の下にいなかったが、一台の車へ荷物を詰め、同じ火で焼いた肉を食べ、同じボールを追いかけていた。通院へ使うために買った車は、その日初めて、病院とは反対の方向へ家族を運んだ。


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