スタチウムの憤慨
バロニア王国の王都、バロウズ。
この場所が国の中心に位置している結節点となったのは、実は今より五十年ほど前の話である。
本来バロニア王国の北部にある都市であったバロウズが中心部となったのは、バロニア王国北部地域から更に北へと広がっている、グラースと呼ばれる大草原地帯とそこに住まう遊牧民族との歴史に所以がある。
グラースは元来、騎馬民族達が暮らすエリアであった。
その中で南側に位置していた氏族のいくつかがバロニア王国と取引を行うようになり、文明化していき強力になった氏族のうちの一つが、バロニア王家へと帰順した。
そのような来歴によって生まれた比較的新興の大貴族こそが、ニブルヘイム公爵家である。
他の大貴族達とは異なり肥沃な大地は存在せず、全体的に寒冷な地域であるが故に取れる作物もせいぜいが大麦程度。
だがグラースから取れる秣と飼料用の大麦によって育てられる軍馬は、王国内随一の品質を誇る。
そんなニブルヘイムが誇る軍馬の中でも最も精強と有名なのが、魔力によって変質し半魔物化しているウォーホース種。
その中で最高品種と謳われる紅毛種のウォーホースが、六頭立ての馬車を引きながら王都へ続く街道を早足で南へと駆けていた。
一頭で蔵が建つと言われているほどの名馬を輓馬に使える者はそう多くない。
その幌に押されている紋章を見た者達は、誰もが道を空けて平伏する。
馬と弓を示すその紋章こそ、国内でも最強の騎馬軍団を持つニブルヘイム公爵家の家紋である。
そんな馬車の中にニブルヘイム家当主、スタチウム・フォン・ニブルヘイムの姿はあった。
寄る年波を思わせぬほどに見事な体躯をした彼は、長年の騎馬生活により発達した足を左右に揺らしながら、明らかに急いている様子を隠そうともしていない。
「もう少し速度を上げて……」
「閣下、急ぎすぎです! そのようなペースで走らせていては馬が保ちませぬ!」
「……わかった」
進路を南に取っているこの馬車の向かう先は、当然ながら王都バロウズである。
スタチウムが急ぎバロウズへ向かっている理由はもちろん、愛娘であるアナスタジア・フォン・ニブルヘイムの婚約破棄騒ぎのことを聞きつけたからに他ならない。
なんとしてでも、一刻も早くアナスタジアから話を聞かなければならないと、彼の気持ちは逸るばかりであった。
最高の馬を走らせても、王都までの道はあまりにも長く、そしてもどかしかった。
「王都にはまだつかないのか?」
「馬がへたらぬギリギリの速度を出しております、どうかしばらくのご辛抱を」
「……すまん、つい急いてしまったようだ」
「心中、お察し致します」
使用人の言葉にゆっくりと頷きながら、自身が焦っていることを自覚したスタチウムがゆっくりと深呼吸をして心を整える。
――公爵家子飼いの諜報機関により、王太子殿下との婚約破棄の噂はあの騒ぎの当日の夜には彼の耳に届けられていた。
バロニア王家のニブルヘイム家の婚姻は、両家に取って意味のあることだ。
帰順した際、強大な兵力を抱えていたために王家の血を引かずとも公爵家となったニブルヘイム家と、ここ最近威光を失い始めているバロニア王家。
諸侯を抑えるためにも、対外的に王家が健在であることを示すためにも、この婚姻は国として必要なものであったはずだ。
(アナスタジアもその程度のこと、わからぬはずがあるまい……なぜあのような馬鹿げたことを)
一体それがなぜ、婚約破棄という話になっているのか。
その真意を、彼女の口から直接聞かねばなるまい。
(対価として求めたものが酒の販売に関する酒税の撤廃というのも、あまりにも馬鹿げているしな)
ニブルへイム家は軍馬の産出が多く、精強な騎兵が多いことで有名だが基本的な産業は貧弱である。
他の貴族から『馬飼い』や『傭兵』などと揶揄されることもあり、軍馬と武力を除けば見るべきものがない土地と言われて悔しい思いをすることも多かった。
戦い方と軍馬の育成法しか知らぬ自分達が、大商家が何代もかけて効率化してきた酒造業界で戦うなど、できるはずがない。
彼はアナスタジアのことを説得し、なんとしてでも王太子との婚約破棄を白紙に戻すよう告げるつもりであった。
そんな風に数日ほどやきもきしていると、ようやく王都が見えてくる。
「アナスタジアに会えるのは久しぶりだな……落ち込んでいないといいのだが……」
だがそれはそれとして、自分の娘と会うことができるのは素直に嬉しい。
スタチウムは領主としての責務と、親としての内心との間で揺れていた。
♢♢♢
無事王都に到着しさっそく王都の別邸へやってくると、アナスタジアを呼び出す。
久しぶりに会ったアナスタジアは、以前と比べて様子が変わっていた。
全体的に持っている雰囲気がやわらかくなり、どこか成熟した女性が持つしなやかさのようなものを併せ持っている。
「私がなぜやってきたかは、理解しているな」
「はい、もちろんです」
よくよく考えてみれば、最後に会ったのは果たして何時だったか。
軍務にかまけて会いに来る時間を作ってこなかったことを、今更ながらに悔やんでしまう。
(自分の娘の成長すら把握できていないとは、父としては落第だな……だがそれはそれとして、婚約破棄だけはなんとしてでもやめさせなければいかん)
アナスタジアに会ったその瞬間から、スタチウムは父としてではなくニブルヘイム公爵家当主として峻厳な雰囲気をその身に纏っていた。
彼は大の男達が恐れをなして一歩引いてしまうほどのプレッシャーを放ちながら、公爵家投手としての判断をアナスタジアへと伝える。
「単刀直入に言う、今すぐにサハラ殿下に許しを請い、婚約を取り消してもらうのだ」
「できません」
「……なぜだ?」
アナスタジアは基本的に、自分の言うことには逆らおうとしない従順な子だった。
何か理由があるのではとも思ってはいたが、わざわざ出向いてきた自分がに対してこうして反抗されるとは、さすがに想像していなかった。
スタチウムが自分が未だ彼女のことを子供だと思っていたのだと気付かされたのは、彼女の言葉を耳にしたその瞬間だった。
「サハラ殿下には既にお相手がいるのです。もはや私の入る場所はありませんでした」
「なん、だと……」
スタチウムは思わず言葉に詰まる。
それは彼が事前に予想し、そして真っ先に否定した答えだったからだ。
仮にも王族が王家のための婚姻を白紙にするなど、到底考えられるものではない。
「初耳でしたか?」
「ああ、王都にはあまり諜報の手は伸ばせないからな」
「……なるほど、王の剣ですね」
「その通りだ」
王家には王の剣と呼ばれる凄腕の諜報機関を抱えている。
故に彼らに叛意と取られかねぬよう、公爵といえど王家に関する情報はさほど集めることができないのだ。
「誰なのだ、その相手というのは」
「カーシャという、平民の女性です。ここだけの話にしてほしいのですが、彼は彼女のことを正妻にするつもりかと」
「――平民だと!?」
平民を正妻になど、到底信じられぬ話であった。
サハラ殿下は国家の安寧よりも、一人の女を選ばれるというのか。
市井の色恋ならば問題はなかろう。
けれどそれは決して、王太子が取っていい行動ではない。
この国では重婚も認められているのだ。
もし好いているのなら、彼女のことを側室にすればいいだけの話。
「サハラ殿下の隣に……私の居場所はありませんでした……」
「アナスタジア……」
全てを諦めたような顔をするアナスタジアを見て、スタチウムは何が起こったのかを悟ってしまった。
おそらく彼女は色ぼけをしている王太子を前にして、どれだけ言葉を重ねても無駄だとわかってしまったのだろう。
「うぅむ……」
アナスタジアが自分に似て聡明であることを理解しているからこそ、公爵は唸らざるを得なかった。
完全にあちらの都合の婚約破棄、アナスタジアが怒って受け入れたのも無理はない。
市井の女に現を抜かしアナスタジアに恥をかかせた男などこちらから願い下げである。
とそこまで考えたところで、スタチウムは彼女が得たという対価について思い出す。
「それならば対価については? なぜ販売時の酒税の撤廃などという札を取った?」
「殿下の婚約破棄の判断は、おそらく陛下の裁可を取っていない彼独自の判断でしょう。故にあの場で大手形を切らせることは困難でした。その中で最善を取ってきたという認識です」
「最善……だと?」
スッと手を前に出し、言葉を続けようとしたスタチウムを静止する。
彼女は使用人に声をかけると、執事の男が一杯のガラスジョッキを持ってきた。
そこに入っていたのは……見たことがないほどに綺麗な琥珀色をした透明な液体だった。
「これは、一体……?」
スタチウムの疑問に、アナスタジアはにこりと笑う。
彼はそこでようやく、娘がなぜ荒唐無稽な話を取り付けてきたのかを理解することになる。
「これは――私が作成に成功したビールです」
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