スタチウムの苦悩
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【side スタチウム・フォン・ニブルヘイム】
アナスタジアが、公爵領へと帰ってきた。
その発端を考えればあまりよろしいことではないのだが、あの子が戻ってきた直接の理由は領主としては大変喜ばしいことだった。
――このニブルヘイム公爵領におけるお酒事業の振興。
『ニブル酒造』の第二醸造所及び本店の移動。
これまで軍馬と大麦程度しか売れる物がなかったニブルヘイム公爵領に新たに吹いた酒造の風を、彼女は一瞬のうちに点火させ、大きく燃え広がらせてみせるだろう。
それにアナスタジアが帰ってきてくれたことは、父としても非常に嬉しいことだ。
社交界に急に呼ばれることになって疲れ気味だったサリーも、あの子に会って元気を取り戻していたしな。
結婚相手のことはのらりくらりとかわされているので、どうやら彼女にはまだ結婚するつもりはないらしい。
が、それならそれでまたいいとも思う。
私の部下にも戦いが好きすぎて妻子のことなど考えられぬと独身を貫いている者は多い。
あいつらと同等……あるいはそれ以上にお酒のことが好きなアナスタジアが生涯お酒を伴侶にするといっても、私は驚かないだろう。
だが私は少々、アナスタジアのことを舐めていたのかもしれない。
思えばあの子は小さな頃からずいぶんとバイタリティに溢れた子だった。
アナスタジアのパワフルさは、間違いなくニブルヘイム家の血なのだろう。
「……なんだと?」
私は家宰のバトスから報告を聞き、目が点になった。
そしてしっかりと聞いていたにもかかわらず、同じ報告を再度させてしまう。
上司としては失格だろう。
だが許して欲しい。
一体誰が……こんな報告を聞いて、自分の耳を疑わずにいられるだろうか。
「つい先ほど十三時頃に、アナスタジア様がお空を飛んで東へと向かわれました。どうやらその際、燃える火の鳥に騎乗していたらしく……」
「……」
だが再度聞いても現実は変わらなかった。
いや、本当に現実なのだろうか。
自分の娘が燃える鳥に飛んでいなくなる……そんなことが現実でいいものなのだろうか?
そういえばアナスタジアは昨日の夕飯の席で、私に話したいことがあると言っていた。
その表情から何か大切なことだろうとは思っていたが……こんなに大切なことなら、何がなんでも昨日の話してくれというのが正直なところである。
(向かった先は東……ということはドワーフの集落か。馬車で行くと時間がかかりすぎるから、ショートカットをするために火の鳥に乗って向かった……おそらくはそんなところだろうな)
あの子は考えることが単純だ。
こうと決めたら一直線なので、その思考を追うことはそこまで難しくない。
自分が温めたアイデアである新しい酒。
それを造るためには高い金属の工作技術が必要ということで、器用さにかけては右に出る者のいないドワーフ達を頼ることにしたのだろう。
だが仮にも公爵令嬢なのだから、人任せにすればいいと思うのだが……やはりその辺りは、あの子の譲れないところなのだろう。
一度決めたらテコでも動かない頑固な性格なので、何を言っても無駄だ。
結局アナスタジアの好きにやらせるのが皆にとって一番いい結果になるということを、私はここ最近の激動の日々の中で学んでいた。
そう……激動の日々だ。
彼女が王都に拠点を構える大手酒造でも作れないようなビールを造ったことは、ニブルヘイムにとってあまりに大きな一手であった。
これからニブルヘイムは、大麦を加工して他領に輸出することができるようになる。
『ニブル酒造』へ大麦の輸送の算段をつけたり、社交場でビールを対価に譲歩を引き出したり、アナスタジアが造ろうとしている新たなお酒の原料を確保するために他領との交渉をまとめたり……ここ最近はあまり得意ではない書類仕事に完全に忙殺されていた。
飼料として安く買い叩かれていたものが、王都で金貨を出してでも買えない酒に早変わりするのだ。
こんなに美味い話があっていいのかと思うほどに、彼女がこちらから大麦を買い取ってくれる値段は高い。
今後自領で生産・加工ができるようになれば、公爵領で営業する『ニブル酒造』はもちろん利益の一部を公爵家に収めることになる。
そこから得られる税額は、かなりのものになるはずだ。
そして私達が上納する額の中に、『ニブル酒造』からの税額は入らないため、その分をまるまる公爵家の利得とすることができる。
それをすれば間接的に『ニブル酒造』から徴税が可能ではないかと、陛下相手にごねた甲斐があったというものだ。
おそらく交易と長年に渡す戦費の負担によって赤字が常態化している公爵家の経済も、これでいくらか立て直すことができるだろう。
営業税を免除されたおかげで、『ニブル酒造』の規模をどれだけ大きくしても税の支払いを気にする必要はない。
今後も『ニブル酒造』は、我が領に大量の金貨をもたらしてくれることを、私はもはや何一つ疑ってはいなかった。
「閣下! アナスタジアお嬢様が帰って参りました!」
「……本当に、火の鳥に乗っているな」
もちろん嘘や冗談の類いではないとは思っていたが……こうして飛んでいる姿を見るとそのインパクトがあまりにも強すぎる。
もはやアホくさすぎて、怒ろうという気持ちも失せてしまった。
彼女なりに早くお酒を造ろうと頑張った結果なのだから、認めてやるべきだろう。
見ろ、下りてくるアナスタジアの得意満面な表情を。
無論、彼女からしっかり話を聞かせてもらう必要がありそうだが。
この調子だととんでもないことをどれだけしていても不思議ではないからな。
「おいアナスタジア……しっかり説明はしてくれるんだろうな?」
「……あ」
その顔を見るに完全に忘れていたらしい。
しかも息が少しアルコール臭い……多分だがドワーフ達と飲み会でもしてきたのだろう。
まったくこの子は、本当に……。
そして私はアナスタジアから彼女の事情を聞かせてもらい……彼女がとてつもない爆弾をいくつも抱えていることを知り、頭を抱えるのであった……。
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