さらば!
あのスザクとの契約から早いもので二週間が経過し、とうとうアナスタジアが王都を去る日がやってきた。
「さて、そうしたら……行きましょうか」
旅行用の大きなトラベルバッグの中身を確認し、バタンと閉める。
旅の準備を終えると、なんだか一気にいろいろな感情が押し寄せてくる。
「そうしたらお願いね」
「はっ!」
使用人に荷物を馬車に運び入れてもらう。
時空魔法が使えるということは公にしていないため、実際必要なものは鞄の中にもしっかり入れている。
無論料理などに関しては、人目を避けつつこっそりと食材を取り出して行う予定である。
「この部屋に帰ってくるのは……次はいつになるのかしら」
アナスタジアはくるりと自室を見渡した。
壁面も、テーブルも、椅子もベッドも、全てが白一色で統一された彼女の自室。
あまり女の子らしくはないがとにかく清潔感があり、彼女としてはかなり気に入っている。
別に屋敷を引き払うわけではないし帰ってはこれるのだが、仮にも学院に入学した当時から十年以上も住んでいる家だ。
引っ越しとなると、いろいろと思うところも多い。
『いやぁ、ここともおさらばとは……感慨深いねぇ』
『居酒屋のメニューを全制覇する前に王都を出ることになるとは……この雪辱は、なんとしても領都で晴らさねばなるまい』
クロノスとスザクの声は聞こえているが、アナスタジアの周囲に彼らの姿はない。
彼らの存在を公にすると何がどうなるかわからなかったので、基本的には彼らには気配を消してもらっているからだ。
ちなみにクロノスは変わらずに髪留めの中に入っていて、スザクは召喚獣なので契約時に特別に用意された亜空間に収納されている。
だがどうやらスザクとクロノスを通じて魔力でパスを繋げたことで変化があったらしく、アナスタジアは彼らと心の中で念じるだけで会話ができるようになった。
(帰ったらお父様と相談しなくちゃね)
大精霊と契約したという事実はなるべくなら隠しておきたい。
それが理由で祭り上げられ、酒造りができなくなっては意味がないからだ。
ただせっかく力があるのだから、それを使って公爵家の領民を守りたいという気持ちもあった。
――ニブルヘイム公爵領は王国に帰順したことで、かつては同じ遊牧民の仲間であった北部の騎馬民族からの防衛を、一手に引き受けるようになった。
だがそれらの紛争も、多分クロノスとスザクが本気を出せばあっという間に解決してしまうだろう。
(せっかくなら誰も傷つかずに仲良くなれる方法を探したいところよね)
アナスタジアは痛いのも嫌だし、戦いが全然好きではない。
そういうのが得意な父に頼み、適切に力を振るう場所を決めてもらうつもりであった。
公爵家に戻っても、アナスタジアがやることは多い。
どうやらまだまだ、退屈する暇はないらしい。
♢♢♢
「アナスタジアさん、本当に行ってしまわれるのですね……」
「ええ、ですが心配なさらないで下さい。年に数度は帰ってきますから」
馬車に乗り込もうと外へ出ると、そこには既に別れを惜しむ貴族達の姿があった。
クラリッサ夫人にメリッサ子爵令嬢、それにランドー子爵令嬢の姿もある。
彼女達は皆、本心からアナスタジアの帰郷を悲しんでくれていた。
自分がやってきたことの意味を実感するようで、なんだか少し嬉しくなってしまう。
当然ながらそこにサハラ・フォン・バロニアの姿はなかった。
(そういえば彼は、カーシャと結ばれたのかしら?)
私生活が充実しすぎていて、そんなことを気にかける暇もなかった。
できることなら彼も、幸せであってほしい。
かつては好きであった人の幸せを願うことができるようになったのはきっと、それだけ心のゆとりができたからだ。
今の自分は満ち足りていて、幸福を感じることができている。
そしてきっとこの幸せは、これからも続くだろう。
(……いや、そうじゃないわね)
続けていくよう、頑張るのだ。
自分自身が、自分を慕ってついてきてくれる皆と一緒に。
「それでは皆様……お元気でッ!」
アナスタジアは馬車に乗り込み、公爵邸を後にする。
彼女達の姿が豆粒のように小さくなるまで手を振り続けた。
「ふうぅ……」
『お疲れ様、アナスタジア』
ゆっくりと息を吐き出すと、髪留めからクロノスが飛び出してくる。
どうやらスザクの方は馬車が燃えぬよう、亜空間の中にいてくれているらしい。
少しの疲れと寂寥感に頭を下げる。
王都で過ごしてきたいろいろな思い出が脳裏を駆け巡り、瞳が少し潤んでしまった。
(ダメよ、前に進むための出発で涙なんか流しちゃ)
自分を叱咤しながら、アナスタジアは顔を上げる。
すると外から、大きな音が聞こえてき始めた。
何やら大きな声だけではなく、それだけではなく太鼓を打ち鳴らすような音まで聞こえてくる。
「今日、お祭りなんてあったかしら……?」
『ふふっ、顔を出してみるといいよ』
笑うクロノスに従い馬車の窓から顔を出すと、そこには……
「「「アナスタジア様ー!!」」」
自分がこの王都で築き上げてきた、その全てがあった。
『ニブル酒造』で働いている店員達、既に先に公爵領に向かったエッカに変わって第一醸造所をまとめてくれている醸造部長であるファイネルさん。
そして『馬公爵』と『馬美人』で働いている店員達も、ほとんど全員が見送りにきてくれていた。
『アナスタジア様万歳!』という横断幕のようなものまで作っているし、料理長であるカンマーさんはどこから取り出してきたらしい太鼓をどんどんと叩きながら叫んでいる。
『またね~っ!』
『美味しいお酒、よろしくね!』
「……もう、あの子達、勝手に出てきちゃダメじゃない」
そしてなぜか、お見送りには精霊達の姿もあった。
精霊達を初めて見る者達の中が、びっくりして目を見開いている。
『ニブル酒造』の二つのビールの美味しさは精霊公認……あくまでも売り文句と思い、本当に精霊が飲んでいるとは思ってもみなかったのだろう。
彼らが本当にビールを飲んでいるのは酒蔵で働いている従業員であれば誰でも知っている公然の秘密なのだが、こうして見られてしまえば公にしてもいいかもしれない。
精霊が製造を手伝っているビールとなれば、更なる躍進も期待できるだろう。
「アナスタジア様、お元気で!」
「アナスタジア様が帰ってくるまでに、絶対もっと美味いビールを作ってみせますから!」
皆がアナスタジアに気安く声をかけ、旅立ちを祝ってくれている。
上位貴族である公爵令嬢の出立ともなれば、普通ならば平身低頭で去るのを待つのが普通だ。
だが彼らは皆顔を上げたまま、こちらに見えるように大きく手を振りながらアナスタジアの出発を祝してくれている。
これがアナスタジアの人徳であり、彼女が為してきたことの結果だ。
アナスタジアは彼らにも手を振る。
彼らに負けぬように、大きく、大きく。
先ほどまで出かけていた涙は、気付けば引っ込んでいた。
自分に泣いて悲しんでいる時間なんてものはない。
「……ふふ、皆のためにも……頑張らなくっちゃね」
別れ際は、笑顔で。
彼女はにこやかに笑いながら、王都バロウズを後にするのであった――。
読んでくださりありがとうございます、これにて第二章は終了となります。
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