魔王の感謝 後編
【side 魔王】
最初は王都で流行っているという居酒屋なる店に行こうとしたのが、俺と彼女……アナスタジアが出会うきっかけだった。
なぜか俺のことを一目で魔王だと見抜いたその眼力は普通ではない。
それに彼女は身に纏っている魔力も人間とは思えぬほどに多い。
最初は噂に聞く聖女なのではないかと思わず身構えるほどであった。
だがその疑いはすぐに晴れた。
彼女の魔力が信じられぬほどに多いのは、は大精霊と契約をしていたからだということがわかったからだ。
だがむしろ俺からすればそちらの方が驚きだ。
――大精霊との契約は、やろうと思ってできるものではない。
更なる力を求め魔物の中にも契約をしようとする者達は数多くいる。
無論俺もその一人だった。
だが歴代の魔王も含め、魔物の中に大精霊との契約に成功した者は一人もいなかった。
それをこんなまだ年若い女性が……と驚きながら、俺はとりあえず出されたビールを飲む。
一杯を飲んだその瞬間、目の前の彼女のことや大精霊のことなど、頭から吹き飛んでしまった。
(なんだこのビールは! ……美味すぎる!!)
俺は酒が嫌いではない……というか好きだ。
人里に下りたら必ず酒を買うし、あの手この手で金策をして食と同じくらいお酒にも金をかけるようにしている。
人並み程度には酒も飲んできたとは思うのだが……アナスタジアが提供するビールは、今まで飲んできたものとは正しく次元が違った。
一杯目に飲んだ『スピリットラガー』も劇的な美味さだったが、二杯目に飲んだ『ジーニーエール』もまた凄まじい。
おまけに酒だけではなく、作る料理までもが全て劇的に美味い!
しかもこれら全てが、彼女が生み出しオーナーを務めている店で作られている物なのだ。
これほど美味いものを大量に摂取するのは、魔王である俺をして生まれて初めての経験であった。
俺の様子を楽しそうに見ながら自身も杯を傾けている大精霊のクロノスを見て、俺は納得せざるを得なかった。
たしかにこれだけの物を出せるのであれば……大精霊と契約ができても不思議ではない。
アナスタジアは不思議な女性だった。
なぜか魔王である俺を相手にしても普通に対等に話してくるし、面倒見がいいのか俺が来た時には毎回料理を作ってくれる。
このような扱いを受けるのは、魔王になってからは生まれて初めてのことであった。
おそらくソロモン辺りがこの様子を見れば、腰を抜かすことだろう。
さすがに毎度手ぶらで行くのを申し訳なく思ったため、ここ最近は魔物素材を対価として置いていっているのだが……ひょっとしたら、これでは足りなかっただろうか。
聞けば居酒屋自体、俺が入ったように正面からの入店はほぼ不可能なほどの人気店らしいからな。
人間達が購入するのはかなり難しいらしいビールも融通してくれているし、もう少しレア度の高い魔物素材を贈るべきだろうか……。
今日も『馬美人』にやってくると、そこには既に調理をしているアナスタジアの姿があった。
テーブルの上には俺の大好きな唐揚げが乗っており、髪留めから飛び出しているクロノスは既につまみ食いをし始めていた。
「ふんふーん、ふふっふーん」
アナスタジアはこちらに背を向け、公爵令嬢とは思えぬほどに庶民的なエプロンを着用しながら、楽しそうに料理を作っていた。
その背中を見ていると、なんだかこちらまで気持ちが上がってくる。
それに彼女と居ると、妙に落ち着く。
まるで小さな頃家に帰った頃を想起させる、実家のような安心感を覚えるのだ。
『やあ魔王、元気にしてたかい?』
「ああ、クロノスの方は?」
『変わらず気楽にやらせてもらってるよ』
当初はもしや戦いになるやもとお互い警戒をしている感じはあったが、今ではクロノスともずいぶん打ち解け合うことができた。
アナスタジアはざくざくと時空魔法で野菜を切り、そのまままとめて鍋に入れる。
今日はもつではなく魚介類を入れているらしく、香ってくる匂いから察するに醤油で味付けをしているらしい。
醤油鍋か……食べたことがないな。
だが醤油が美味いのは既に約束されている。
この調味料もアナスタジアが作ったというのだから驚きだ。
クロノスが彼女と契約をしたのも頷ける。
こんな風に美味しいご飯が食べれるのであれば、俺が大精霊であっても彼女を選ぼうとするだろう。
俺は精霊のことをほとんど知らなかった。
クロノスと付き合うようになったが、精霊というのは基本的に自由で何者にも縛られない存在だ。
強くなろうという考えに縛られているような輩では契約はできないということを、わからされたよ。
まさか俺が、学ぶ側に立たされるとは……それもこれもアナスタジアのおかげである。
やはり彼女は、面白い女だ。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
『いただきます』
なぜか彼女は食事の前に、いただきますという挨拶を好む。
この言葉には、生産者への感謝の意を含んでいるらしい。
ご飯を食べる時に、その作り手のことを考えたことはない。
やはり彼女は着眼点一つ取っても面白い。
そのような特殊な発想こそが、他の者では作れぬビールや料理の開発に活かされているのだろう。
まずは食べたことのない鮭の鍋から食べることにした。
アナスタジアが言うにはイシカリ鍋というらしい。
おそらくイシカリの地発祥の鍋なのだろう。
ぐつぐつと煮立つ鍋からは、食欲がそそられる香りがたちこめている。
「良い匂いだ……」
塩か何かでしめられていたのだろう鮭が、鍋で煮込まれることで甘やかな香りを発しており、思わずうっとりとしてしまう。
鮭をフォークで刺してみると、驚くほど簡単にほろほろと崩れていく。
中までしっかりと煮込まれた鮭は雪のように繊細で、慌ててそうっと口へ含む。
「甘い……」
口に含んだ鮭は、まるで砂糖をまぶしたかのように甘かった。
おそらくは脂の甘み、なのだろう。
アナスタジアの料理を食べるまで、俺は脂というのはただ食べると太って胃もたれするだけの代物だと思っていた。
だが適切な調理法で調理を行い脂の甘みや旨味を引き出されれば、それは驚くほど見事なアクセントへと変わる。
醤油の味つけがやや薄めなおかげで、鮭の味がしっかりとわかる。
しっかりと塩気が取られ素材本来の味を楽しめるイシカリ鍋は実に美味かった。
中に入っているキノコ類や野菜類もまた実に美味い。
ぐつぐつと煮込んだおかげで鮭の味が野菜にまで染みこんでおり、気付けば自分でおかわりをよそってしまっていた。
料理を楽しんだら、次はビールだ。
俺はどちらかといえば『スピリットラガー』の方が好みだ。
この苦みがどうにも癖になる。
それに喉越しがいいため、するすると飲めるのがいい。
薄味の鍋にも、『スピリットラガー』は良くあった。
ラガーの苦みで口の中が引き締められることで、次に口に入れる料理の味がより美味く感じる。
醤油を使うことで前より更に美味くなったカラアゲに、アナスタジアの故郷の馬を使っているという馬刺し。
どちらにも使われているショウガとニンニクもまた食欲をそそる。
アナスタジアが出す料理には、食欲をそそるものしか使われていない。
こんなもの、腹一杯になるまで食べずにはいられない。
「ふぅ……馳走になったな。今日も美味だった」
アナスタジア達と一緒に飲んで食べているうち、気付けば時間がかなり遅くなってしまっていた。
彼女と飲んでいる時間は実に楽しい。
あっという間に時間が経ってしまう。
「……そろそろ帰らなくてはな」
名残惜しいが、少々楽しみすぎた。
そろそろ魔王城に戻らなければならない。
ただでさえ酒の匂いをさせているのだ、この上朝帰りでもしようものならまたソロモンに怒られてしまう。
そのままワープで帰る前に今日の代金を渡そうとしたのだが……。
「あ、そうだ! 一つ魔王に言いたいことがあって!」
「む、なんだ?」
かなり酔っているのか、アナスタジアがビシッと手を上げながらこちらを見てくる。
目は若干据わっており、目尻がいつもより下がっているからか幼いような印象を受ける。
「魔物の素材をもらっても換金できる伝手がないのよ。だからもうちょっと換金しやすいものとかで渡してくれるとありがたいんだけど……」
「……なるほど、それは盲点だったな」
公爵家ほどの人間ともなればできて当然かとも思っていたが、たしかに出所不明なSランクの魔物の素材を売りさばくのは難しいかもしれない。
俺は胸ポケットから取り出そうとしていた、真竜の逆鱗をそっと胸の中にしまい直した。
「それなら次回、二回分をまとめて支払うようにしよう」
「あっちょ、だから別にもう……」
アナスタジアが何かを言い切るより早く、俺は魔王城へと戻る。
だが魔物の素材を渡せないとなると……ううむ、支払いをどうするべきか。
換金しやすいものというと……宝石あたりか。
宝石自体にはまったく興味はなかったが、そういえば以前戦闘に使えるような宝石をまとめておいたような……まあいい、眠いから今日は寝てしまうことにしよう。
しっかりと眠り酔いは覚ましたのだが、次の日にはソロモンにお酒を飲んでいたことがバレてしまった。
ほどほどにと小言を言われてしまったが……一体アナスタジアの料理を食べてほどほどに済ませられる者が、この世界のどこにいるというのか。
だから俺は悪くないと思う。
また明日辺りに行かせてもらうことにしよう。
今度は彼女も納得する代金を用意できたからな。
きっと喜んでくれるに違いない。




