魔王の感謝 前編
【side 魔王】
俺は魔王である。
名前は魔王になった時に捨てる決まりであるため、皆は我のことを魔王と呼ぶ。
人間が魔王と言われて想像するのは、一体どのようなイメージであろうか。
魔物達を従える諸悪の根源?
はたまた人間を滅ぼそうとする人類の天敵?
それは全て、人間側が勝手に脚色して作り上げた勝手なイメージだ。
そもそもの話、俺は人間を滅ぼそうなどと思ったことなど一度もない。
こちらより進んだ文明を持っている人間を滅ぼして、一体何になるのか。
美味い飯と美味い酒が手に入らなくなる損失が大きすぎるので、人間達にはもっと栄えてほしいとすら思っている。
たしかに魔法や魔道具技術であれば魔物の方が進んでいるが、一次産業や食文化、芸術などでは正直我々魔物は人間の足下にも及んでいない。
俺は魔王として、魔物達をどういう方向へに導いていくか考える必要がある。
雑務は全て配下の四天王に投げているからこそ、それくらいは俺が考えねばなるまい。
「魔王様、なにとぞご慈悲を……っ!!」
「ああわかった、もう下がっていいぞ」
玉座にどっしりと構えながら、魔物達の陳情を受ける。
こうして定期的に魔物達の話を聞くのは、まあある種のパフォーマンスのようなものだ。
やれ魔物同士の争いだの人間達から守って欲しいだのと内容は様々だが、俺はわかったと言って頷くだけ。
実際に処理をするのは四天王のやつらなので、俺は行けと言われた場所に行って力を振るえばそれでいい。
「ふぅ……」
「お疲れ様です、魔王様」
そう言って頭を下げるのは、執事服に身を包んだ浅黒い肌をした人型の魔物だ。
背中からは蝙蝠を思わせる黒い翼が生えており、その右目にはモノクルをつけている。
こいつは四天王の一人である『大悪魔』ソロモン。
曲者揃いの四天王の中で唯一と言っていいまともな男であり、俺がこうしてふんぞり返りながらわりと好きなように生きていられるのは、八割くらいはこいつのおかげだ。
「少しは休んでおけよ。何もしていない俺が言うなよという感じではあるが」
「いえいえ、魔王様はそこにいらっしゃるだけでいいのです。我ら魔物を統べるのに必要なのはその圧倒的な力なのですから」
ソロモンはめちゃくちゃに頭が良く、また肉体が精神体である悪魔であるため睡眠を必要としないため二十四時間働き続ける。
一体いつ休んでるんだと思うほど働き続けている。
実際こうして俺と話している間も、ソロモンは後方で魔力によって生み出したマジックハンドと第三・第四の目を使いものすごい勢いで書類仕事をこなし続けていた。
ただこいつの力は基本的に事務処理能力に特化しているためその分戦闘能力はさほど高くなく、Sランクの魔物を数体も倒せばへばる程度の力しかない。
だがこいつがいないと間違いなく俺達魔物の国は滅ぶので、俺の鶴の一声で四天王に引き上げさせてもらった。
「しかし、ここ最近どうも人間との被害が増えてきている気がするな……」
「ええ、ここ十年ほどは毎年百件単位で人間との衝突の回数が増えております」
人間と魔物は相容れない存在。
そう考えている者達は双方に多い。
だが俺は人間側が意識を変えればどうとでもなると思っている。
人間は魔物達と俺達と知能のないゴブリンを一括りにするが、魔物側からするとまったく別物だからだ。
魔物には大きく分けて二種類ある。
知恵ある魔物と、そうでない魔物だ。
基本的に俺が率いているのは前者の魔物であり、人間が現れる街道などに出て好きなように繁殖して増えていく魔物達が後者だ。
たとえばゴブリンにも前者と後者の両方が下り、前者のゴブリンが詩を楽しむのに対し後者のゴブリンは木の根を囓りながら人間を戯れに殺す。
人間はこの両者を区別していない。
そのせいで盛って数が増えた馬鹿なゴブリンによる被害まで全て俺達のせいにし、ただ晴耕雨読の生活をしている知恵あるゴブリン達を皆殺しにしてしまう。
ゴブリン被害を受けてるのは俺達もだし、なんなら前者と後者のゴブリンを同一視するのは一種のタブーですらあるのだが、人間側はそういったこちらの事情に一切斟酌してくれない。
俺もゴブリンが増えすぎたら定期的に間引いたりしてもいるから、状況は似たようなものなんだけどな。
こちらを知恵なき魔物だと断定している人間達は、そもそも話し合いの土俵にすら立ってくれようとしない。
「やはり魔王様が求める人との融和の道のりは険しいものかと」
「ああ、だが険しいからこそ価値がある。そうは思わないか?」
人間側とは定期的に交渉の席に着こうとしてきたのだが、彼らはその度にこちらに闇討ちしてきたり実力者を差し向けてきたりとそれはもうやり放題されて余計にこじれそうだったので、一旦動くのをやめている。
無論、あちらが勝手に軍を進めてきたりすればこちらも動くがな。
こちらを一方的に蹂躙しようとするやつらに容赦するほど、俺は優しくはない。
俺としては、人と魔物が手を取り合って仲良くできる社会を目指したいが……なかなかに難しいものだ。
「私としては人里に下りるのはやめてもらいたいですが……」
「こればかりは俺の唯一の趣味だからな、許せ」
なので今は定期的に魔法で姿を変え、人里に下りて人間の文化に親しむ程度にしている。
こればかりは苦言を呈されてもやめるつもりはない。
魔物の料理は素材の味を活かしすぎているというか……調味料も塩しかないからすぐに飽きてしまうからな。
あの手この手で少しでも美味いものに変えようとする人間の思想を、魔物も見習ってほしいと思う。
当初はただマズイ飯に辟易として始めた人里での行脚だったが……アナスタジアという想定外の収穫もあった。
あれほど面白い女はそうはいない。
今日も『馬美人』に行こうか。
雰囲気は『馬公爵』の方が好きなんだが、あちらに行くとどうもあいつがうるさいからな。
「魔王様……最近なんだか楽しそうですね」
「……そうか?」
「ええ、前までは鬱屈としておりましたが、ここ最近は靄が晴れたようにすっきりとした顔をしております」
「……そうか」
自分ではまったく意識していなかったが……ひょっとすると俺は先行きの見えぬ状況で魔王として君臨し続けなければいけないことに、知らず知らずのうちに疲れていたのかもしれない。
美味い飯と美味い酒、それがあるだけで人生はこれほどまでに豊かになるのだと彼女に教えてもらっていなければ、俺はどこかで壊れてしまっていたかもしれない。
(だとすれば俺は……彼女に感謝すべきなのかもな)
俺は長距離通信の青の魔道具を光らせてから、重要度の高い書類の決裁をパパッと済ませることにした。
アナスタジアに片割れを渡しているこれは、双方向通信が可能な原始的な光の魔道具だ。
魔力を込めるともう片方が光るという単純な魔道具だが、光の明滅パターンを信号にすれば複雑な命令を伝達することもできる。
といっても彼女に使う時の意味合いは非常にシンプルだ。
青い方を光らせれば『馬美人』に、赤い方を光らせば『馬公爵』に行くという合図になっている。
俺は腹を空かせるために魔王城に詰めている魔物達と軽く組み手をしてから、夕飯時に『馬美人』へと向かうのだった――。




