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婚約破棄されて前世の記憶を取り戻したので……美味しいお酒を造ります! 【連載版】  作者: しんこせい


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3/15

エール造り


 数日後。

 エッカは無事桶を購入してきてくれた。

 近くの酒造メーカーで作れる酒がマズくなってきたと廃棄されそうになっていた、いわゆる悪い木桶である。


「いいんですか? 普通に足下見られたぼったくり価格でしたけど……」


「いいのよ、今は速度が大事。お金は後からついてくるんだから」


「こうして話してると忘れそうになるけど、アナスタジア様って公爵令嬢なんっすねぇ……」


「それじゃあ早速やっていくわね」


 皮肉や軽口を言える程度には親しくなってきたエッカの言うことは気にせず、アナスタジアはさっそくビール製造を始めることにした。


「よっと」


 アナスタジアの目の前に巨大な水球が現れ、彼女はそれをぱしゃりと別に用意しておいた桶に入れる。


 使う仕込み水はいろいろと考えた結果、水魔法で作ることにしたのだ。

 詠唱をせずに行うアナスタジアを見たエッカが、目を見開いていて絶句していた。


「む、無詠唱魔法……」


 この『プリアラ』世界で魔法を発動させるためのプロセスは二つある。


 まず一つ目が自身の魔力を体外に出し、それを魔法に適した属性魔力という形に成形すること。


 この成形にはイメージが必要とされ、これによって魔法を発動させる際の効率が大きく変わることになる。


 そして二つ目が、その属性魔力を詠唱という形で成形させること。

 強力な魔法であるほど詠唱は長くなるが、これもイメージで補完することで詠唱を省略することが可能とされている。


 これら二つのプロセスを経て、魔法という超常的な物理現象は発現する。

 この二つのプロセスには、共にイメージ力が必要とされている。


 そしてアナスタジアには、具体的な化学反応を想起させるための前世の化学の知識や、ゲームや漫画で育んでいたイメージ力があった。


 彼女は水が水素分子と酸素分子が化学結合でできていることや、水分子同士が強く引き合う水素結合の性質を持っていることを知っている。


 他者より明確なイメージが行えるアナスタジアは記憶を取り戻したことで、高等とされている詠唱短縮より更に難度の高い、無詠唱が使えるようになっていたのだ。


「そしたら次はっと……」


「今度は光魔法ですか!?」


 続いてアナスタジアは、無詠唱で光魔法を発動させる。


 光は傷病などを癒やしたり、防御のための結界を展開させることができる使い手の少ないレア属性だ。


 彼女が魔法を使う目的はもちろん、桶の中に未だ居着いているはずの酵母を活性化させるためである。


「アナスタジア様、ダブルだったんですか……」


「いえ、オクタプルね」


「……っ!?」


 この世界に存在しているのは火・水・土・風・氷・雷・光・闇からなる八属性。

 自分で確かめてみて驚いたのだが、アナスタジアはその全ての属性を使うことができた。


 記憶を取り戻す前はただのトリプルだったので、おそらくは前世のゲームなどの知識で具体的なイメージができるようになった結果、使えるようになったのだろう。


 八属性全てを使いこなすというのは、もはやおとぎ話の中に出てくる伝説の魔法使いレベルの適正である。


 そんな歴史に名を残すような才能を持っていながら、酒造りに全力をかけているアナスタジアに、アッカはもはや呆れるしかなかった。


「でも、どうして光魔法を……?」


「え? それはもちろん、酵母を回復させるためよ」


「コウボを、回復……?」


 悪い木桶とは、つまり酵母の動きが悪くなったり数が減ったりした桶のこと。

 微生物とはいえ生物である以上、回復効果のある光魔法を使えば活性化できるのではないか、そう思い使ってみたが……


「うん、ビンゴね」


 本来であれば傷病人の回復に使う光魔法を酵母に使うことで、樽の中で死にかけていた酵母達は一瞬で息を吹き返してみせた。


 怪我を癒やせることから考えるにおそらく細胞分裂を助ける働きもあると見ていたが……光魔法を受け光る酵母の数は、先ほどまでと比べても明らかに増えている。

 自分の推測は間違っていなかったらしい。


「綺麗ね……」


「……いや、たしかに綺麗ですけど……そこじゃないでしょう!」


 エッカはアナスタジアの奇行に、頭がどうにかなりそうだった。

 無詠唱で水を出す八属性持ちが、桶に光魔法をかけて光らせる。


 エッカはアナスタジアのそのあまりの規格外さに、自分はひょっとしたらとんでもない人に雇われてしまったのかもしれないと今更ながらに気付いた。


 彼がアナスタジアのことを見直したり呆れたりしている間に、彼女の方は全力でエール造りに取り組んでいた。


 酵母の数と質を回復させたら、桶に事前に用意していた麦汁を入れていく。

 この麦汁は、アナスタジアの努力の結晶であった。


 麦汁を生み出すのには多くの工程と時間がかかる。


 まずは大麦麦芽モルトを作るために製麦・浸麦・発芽。


 発芽を止めるために乾燥を行ってから麦芽を粉砕し、そのサイズを大中小の三つに分ける。


 その最適な割合を割り出さねばならず、そのせいでアナスタジアのここ最近のご飯は三食大麦粥である。


 腐らせるわけにもいかず使用人達にも食べさせているため、アナスタジアの暮らしている屋敷はここ数日の間どこからも大麦の香りが漂う、摩訶不思議空間となってしまっている。


 ここ数日の苦労に思いを馳せながら発酵桶の中に砕いた大麦麦芽とお湯を入れると、酵素が働き出した。


 未だにわずかな光を発している酵母が動いたかと思うと……みるみるうちに糖化がすすんでいき、桶の上面がぶくぶくと泡立ち始める。

 軽く指ですくって舐めてみると……。


「……甘い! もう糖化が終わったのね!」


「と、糖化が日をまたがずに終わる……? 俺は一体、何を見てるんだ……」


 あっという間に糖化が終わってしまった。

 どうやら光魔法が良い働きをしてくれたらしい。


 ひょっとすると光魔法を使う際に醸造の詳細な工程を思い描いていたのが奏功したのかもしれない。


「糖化が終わったら次は不純物の除去と、ホップの投入ね」


「どうしよう、もう水魔法の無詠唱で驚かなくなっている自分がいる……」


 アナスタジアの規格外っぷりに完全に圧倒されているエッカを横に置き、水魔法を使って不純物を除去していく。


 イメージするのは洗濯槽などに使われている網目つきのフィルター。

 水を層にしてしっかりと殻や芽のカスなどを完全に除去するイメージで使っていく。


 苦みが強かったりするのの大部分は、こういった不純物のせいのはずだ。

 これがなくなるだけでエールがぐっと美味くなるはず。


 そして続いてホップを投入。

 ぱらぱらと振る粉末はホップ腺と呼ばれるもので、これをつけることでビールに苦みや香りをつけることができる。


 ホップは結構な種類を舐めて比べてみたのだが、まずはとにかく皆が飲みやすいものをと思い、比較的苦みが少ないものを選ばせてもらった。


 ここまで来れば、後は発酵させるだけだ。

 だが光魔法で活性していた酵母のおかげで、発酵も数時間もしないうちにあっという間に終わる。


「そうしたら仕上げにきっちり濾過をしてっと」


 そしたら最後に濾過をすれば、ビールは完成だ。

 王国のビールが濁っているのは、ここの濾過が甘いからだと思われる。


 故にアナスタジアは水魔法を使って遠心分離を使い、力業で麦芽のカスとホップの残渣、そして酵母を分離させて剥がしてみせる。


 本来こんなことをすれば炭酸が抜けてしまうが、魔法に必要なのはイメージ。

 しっかりと炭酸が残るように考えながら魔法を使えば、出来上がったビールからはしゅわしゅわと力強く泡が浮かび上がっていた。


 試行錯誤の末に完成した、アナスタジア渾身の第一作目であるエール。

 グラスに注いで覗いてみれば、向こう側が見えるほどに綺麗な透明な琥珀色をしていた。


「で、できた! ちゃんとしたビールができたわ! ……(ごくり)」


「ビ、ビールがこんなに透き通って!? あ、ありえねぇ……」


 二年もの間働いていたからこそ、エッカには目の前にあるビールがどれだけあり得ないものなのかがわかる。


 得意げな笑みを浮かべながら、「美味しそ~」とのんきに言っているアナスタジアを見て、彼はアナスタジアの非凡さを理解した。


 そして自分が何をしたかまったくわかっていない様子のアナスタジアを見て、このお方を放ってはおけないと固い決意を固める。


 その瞬間、エッカは本当の意味でのアナスタジアの配下となった。


 ……そしてアナスタジアはビールに釘付けで、そんなことにはまったく気付いてもいなかった。



 出来上がったビールを、待ちきれぬとばかりに氷魔法を使ってキンキンに冷やし、二人で飲むことにした。


「う、美味え! 美味すぎる!!」


「美味しい……ああ、懐かしの味……」


 口の中にやってくる爽やかな苦みと酸味。

 ごくりと喉を通る時の喉越し。

 余韻に残るわずかな麦の香ばしさ……。


 間違いない、今自分が飲んでいるのは自分が前世に居酒屋やビアガーデンでお世話になっていた、あのビールそのものだった。


 こうして無事前世クオリティのエールが完成したわけだが……当然これだけで満足するアナスタジアではない。


 なんとしてでもラガーを造り、それができたら次は蒸留酒だ。

 ジン、ウイスキー、焼酎にウォッカ……作りたいお酒はまだまだ沢山ある。


「よし、それなら次はラガー造りを目指すわよ!」


「はいっ!」


 アナスタジアの酒造りはまだ始まったばかり。

 彼女が様々なお酒を造り出し『酒の女神』と呼ばれるようになるのは、もう少しだけ先の話……。

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