心
『ニブル酒造』、及びの居酒屋経営は順調に進んでいた。
『ジーニーエール』と『スピリットラガー』の売れ行きは順調であり、『馬公爵』と『馬美人』は常に満員御礼。
先の予約はますます長くなっており、このままだと『馬美人』の方は本当に10年待ちとかになりそうなレベルでぱんぱんになっている。
現在の王都の流行は、彼女を中心に回っている。
そんな今をときめくアナスタジアは目を回すような忙しさで不眠不休で食うや食わずの生活を……などということは全然なく、
「ふうぅ……」
彼女は自室にて、ゆっくりと紅茶を嗜んでいた。
既に『ニブル酒造』のビール造りは、アナスタジアの手から離れてから一月ほど時間が経った。
当初は魔法ではなく魔道具で一部を代替するという方式により生産効率自体は落ちたものの、エッカが頑張ってくれたおかげで既に生産量はアナスタジアとエッカの二馬力だった時よりも増えている。
更にエッカが細かく調整をして味のクオリティが上がったことで、生産量は当初想定していたものの1.5倍ほどになった。
結果を出し全ての諜報を弾けている今ではちょっかいを出そうとする者もおらず、アナスタジアはたまに見に行ってエッカと話をすればそれで終わる程度には順調だ。
また生産だけではなく経営の方も既にアナスタジアではなく父のニブルヘイム公爵が呼び寄せた家臣団の次男坊三男坊に任せているため、アナスタジアは時折チェックをして最終的な決裁をすればそれで問題はなくなっていた。
ビールの方は主に貴族達の社交用に販売し、またその一部をニブルヘイムに流す形で父にも『ジーニーエール』と『スピリットラガー』を自由に渡せるように取り計らっている。
おかげで公爵家のパーティーへ行けば間違いなく『ニブル酒造』のビールが飲めると、今や開催が待ち望まれるほどになっている。
かつてはニブルヘイム公爵家のパーティーにあったネガティブなイメージは完全に払拭され、母からもお礼の手紙が何度も来ている。
体調は大丈夫なのとかあなたもそろそろいい人をとかいろいろと書かれていたのはスルーしているが、母が嬉しそうにしているのはシンプルに嬉しかった。
『馬公爵』と『馬美人』の方も、既にアナスタジアがなくても回る体制ができあがっている。
当初ノウハウが溜まっていなかった頃にはアナスタジアが厨房に立って料理をすることもあったが、さすがに公爵令嬢に油はねのする料理をさせてはいられないと皆が頑張って一致団結して頑張ってくれたおかげで、今はアナスタジアは裏で好きなように調理を楽しんだりしているだけでいい。
こちらは公爵家の家臣団の料理人や使用人達が担ってくれており、彼女達にもしっかりとかなり高めの給金を与えることができている。
成人後は公爵家ではなくアナスタジアの下で働きたいというやつらが多くて困っているよと、父は嬉しい悲鳴だがと前置きをした上でこぼしていた。
「やっぱり人間、ゆっくりできる時間は必要だわ……」
ぼーっと、何も考えずに紅茶を飲む。
近くにあるスコーンやクッキーなどもポリポリと食べながら、気の抜けた顔をしているアナスタジア。
今まで猛烈に働き過ぎた反動で、彼女は燃え尽き症候群のようになっていた。
社長が若い頃は猛烈に働くって言葉の意味がよくわかるわね……と内心で独りごちる。
といっても、アナスタジアはオーナーとしてふんぞり返って何もしていないわけではない。
一日一度は必ず全店舗に顔を出すようにしているし、こうして時間が空いたことで彼女はいくつか後回しにしていたものに手を出すことができるようになったのだ。
まず第一は、『ニブル酒造』の酒蔵をニブルヘイムにも建設すること。
今の『ニブル酒造』のビールがまったく手に入らないという状態は、正直健全ではない。
公爵家の威光をデカデカと掲げているのであからさまなことをするものは居ないが、がめつい商人の中には手に入れたビールをプレミア価格で転売している転売ヤーのようなものもいる。
転売ヤーによる買い占めには前世でも散々苦しんだので、それを知って以降アナスタジアは樽にシリアルナンバーを記載するようになった。
誰がどの程度の頻度で買っているのかは把握できるし、既に社交の中心となりつつあるアナスタジアは誰がどの程度でパーティーをしているかも理解できる。
この二つの合わせ技で、転売ヤーを撲滅するつもりだ。
これでもなおやろうとするつもりであれば、精霊達だけがわかる目印をつけて転売と同時に炭酸を抜いてまともに飲めないようにするという報復措置を行うつもりである。
美味しい酒を楽しみたい気持ちをお金で穢す者に慈悲はない。
話を元に戻そう。
そのようなプレミア価格で取引されている現在、『ニブル酒造』の生産量の拡大は急務である。
だが王都で製造を増やすには、制約が多く限界があった。
現在製造に使っている大麦はほとんど全てをニブルヘイム公爵領のもので賄っておりこれだけでも結構な輸送費がかかっているためである。
人材の採用も基本的に公爵領から行うことが多いので、それならいっそ向こうで作った方が効率がいい。
そのためこれからは、ニブルヘイム側に酒蔵の拠点を移すつもりである。
最終的にはニブルヘイムを酒造りの聖地にして、醸造所や蒸留所などの見学ツアーなども行い観光資源としても活用する予定だ。
(もう私が王都にいる理由って、それほどないものね)
もはや知名度は十二分に得られたといっていい。
社交のためにある程度パーティーには出席する必要はあるが、アナスタジア自身が広告塔兼ワンマン社長としてしゃかりきに働かずとも、大衆へ認知度が広まっていくのにそう時間はかからないだろう。
『馬美人』、『馬公爵』に次ぐ馬系列の居酒屋は引き続きに出店予定なので、そちらからの広まりも考えればアナスタジアが王都に張り付く意味はない。
現地人の採用や用地立ての交渉なども王都のアナスタジアが書簡のやりとりをして行うより、直接行ってしまった方がよほど早いからだ。
「お腹が空いてきたわ……よし、料理でもしにいこうかしら。またあいつが来るみたいだしね」
彼女は食べることだけではなく、作ることも好きだ。
自分が美味しい料理を作れればそれがメニューに追加されるため、仕事の一環になっているところも素晴らしい。
だがそれでも手間がかかると半分ほどは料理長任せにしていたのあが……ここ最近は料理が楽しくてたまらないため、食事はほとんど自分で作っていた。
その理由は、彼女に時間ができたことで、個人的な重要度は高いものの後回しにしていたあるものの開発に成功したからだ。
そう、日本人の心――醤油と味噌の開発に!




