エッカの独白 後編
【side エッカ】
正直なことを言うと、俺は貴族というものがあまり得意ではない。
以前仕事を辞めてふらついていた時分に、愛妾にならないかという誘いを受けたことがある。
そしてその誘いを断ったら貴族の申し出を異なるなんてとんでもないと、刺客を差し向けられた。
その時は仲間と一緒に戦って事なきを得たんだが……貴族というのは自分のエゴを押し通すためであればどんな卑怯な手も打ってくる生き物だ。
そのくせ国は彼らの味方なので、ひどいことをされてもこちらは泣き寝入りするしか手立てがない……というのが俺の認識だった。
だがアナスタジア様は、そんな凡百の貴族とは格が違った。
彼女は会って話をしてもまったく偉ぶるようなところがなく、それどころか自分のことを仕事のパートナーとして見てくれていた。
「とにかくエッカしか雇えなかったから、これからしばらくは二人三脚で一緒に頑張っていきましょう。大丈夫、公爵令嬢の手慰みみたいなものだと思って気軽に構えてくれてればいいわ」
「はぁ、そんなもんですか……まあ大丈夫なら構いませんけど」
貴族の道楽と軽く見ていた俺は、彼女の口から出てきたビール造りに関する見識の深さに脱帽することになった。
なにせ、二年働いていた俺であっても知らないようなことがいくつもあるのだ。
彼女がどれだけこの酒造業に懸けているかは、その熱意に満ちた瞳をみればわかるというもの。
「それじゃあ早速やっていくわね」
そしてアナスタジア様は、魔法を使ってとんでもない勢いでビールを造っていった。
彼女は光魔法で死んだも同然の悪い桶を一瞬で最高品質のそれに変えてしまったのだ。
信じられるか?
おまけに中にいる菌達が元気なおかげで……なんと一日も経たずにエールができあがってしまったんだぞ!
しかもそのエールが、また美味いこと!
これと比べれば『エルギン酒造』のビールなんて泥水のようなものだ。
正直なことを言えば、レベルが違う。
彼女が王都の酒造業界に踏み込むと言った時は正直正気を疑ったが、これだけのクオリティの物が造れるのであれば、それも決して不可能ではないように思える。
しかもどうやらアナスタジア様はそれで終わらせるつもりは毛頭ないらしく、別のビールの腹案すら既に温めているらしい。
おまけにビール造りが安定したら、まったく別のお酒まで造ろうとしているのだ。
俺は彼女の持つ活力に、終始圧倒されっぱなしだった。
「エッカ、ついてきなさい。私達のお酒造りはまだまだここからよ!」
「は、はいっ!」
こうして俺はアナスタジア様に引っ張られる形でエール造りを行うことになった。
なんと働き始めた二日目には、直接ビールを造れることになっていたのだ。
そもそも下働きがほとんどで、技術を見て盗む程度のことしかできていなかった俺がだぞ。
俺よりも知識があるアナスタジア様に教わりながら見よう見まねで、時折盗み聞きしていた先輩達の話を思い出しながら俺は必死になってエールを造っていく。
休む暇なんてものはなかった。
怠惰な自分に鞭を打ち、これが最後のチャンスだと言い聞かせた。
前までの自分のように適当に手を抜いていたら、きっとアナスタジア様はきっとどんどんと先に行ってしまう。
そして一度距離が離されればきっと俺はもう二度と、彼女に追いつくことはできないだろう。
おとぎ話でしか聞いたことのない八属性全ての魔法を使える魔法使いであるアナスタジア様は、そのありあまる魔法の才能の全てを使って、美味しいお酒を造ろうとしている。
なんという執念だろうか。俺はそこまで何か一つのことに没頭したことはない。
アナスタジア様に強い憧憬を抱くのは、当然のことのように思う。
彼女が一緒に仕事をしていて、恥ずかしくないような人になりたい。
そんな思いは彼女と仕事をするうちに、むくむくと膨らんでいった。
それからもいろいろなことがあった。
毎日が激動の連続で、気付けばアナスタジア様は、これまたおとぎ話の中で出てくるような存在である大精霊と契約を結んでいた。
アナスタジア様なら契約ができてもなんらおかしくない。
そう思えてきてしまうから不思議だ。
彼女に置いていかれないように必死になって一生懸命仕事をやっていると、酒造りの勘所とでもいうべきところがわかってくる。
アナスタジア様がラガーを造れるようになってからは更に忙しくなったが、その忙しさの中でも俺は自分なりにビールを改良していくことができるようになった。
「さすがエッカね、私はほら、お酒に関しては素人だから……」
彼女が素人なら一体誰が玄人なんだとは思うが、そう言ってくれるのはとても嬉しかった。
使う大麦の質や砕き方、酵母の選定や熟成のさせ方……アナスタジア様がお金に糸目をつけず大量に生産する下地を作ってくれたから、俺もいろいろと試行錯誤を繰り返すことができた。
おかげで最初のロットの頃よりも今の『ジーニーエール』と『スピリットラガー』の方が美味くなったと、自身を持って言える。
必死になって頑張って、気付けば『ニブル酒造』の製造責任者という立場ある地位になり……そこで俺は気付いた。
今自分がやっていることが、腐っていた頃の俺がずっと求めていた、面白い仕事だということに。
ビール造りに関しては、順調にいっている。
余所からの妨害や風評被害などもあるが、圧倒的な品質の前ではそんなことは些事でしかない。
最初の頃は人手不足で睡眠を削りながら回していたが、今ではある程度作業を任せられるようになったのでゆとりもできた。
歩合制のおかげで、十分な給金もいただけている。
今までは母さんの脛をかじってばかりだったが、ここ最近はしっかりと家に金を入れながらプレゼントをあげたりして親孝行もできている。
貯金も貯まってきたので、そろそろ一人暮らしも始めるつもりだ。
仕事で成果が出て、私生活も充実して……アナスタジア様には本当に頭が上がらない。
「ふぅ……」
俺は今日の仕事を終えて外に出ると、既に外は完全に暗くなっていた。
今日は昼から何も食べておらず腹が減ったので、『馬公爵』へと向かうことにした。
『ニブル酒造』と同じくアナスタジア様がオーナーを務めているため、俺はアナスタジア様と同様にここで飲み食いをすることを許されている。
今では半年待ち、『馬美人』の方は三年半待ちという店でこうして食事を取れるのだから、とんでもない特権だ。
こんな福利厚生があるとなれば、誰もが俺の代わりに働きたがるだろう。
実際最初の頃は俺のことを急に貴族の道楽に巻き込まれた毛の生えた素人と馬鹿にしていた者も、ここ最近は俺になんとかして『ニブル酒造』に入れないかと言ってくるようになった。
俺よりもはるかに上手く酒が造れるからと、アナスタジア様にプレゼンをする別の酒造の親方なんかも何人も来ているらしい。
だが俺は危機感を覚えてはいない。
今自分にできることは全てやっているからだ。
そして俺はこの場所を、誰にも譲るつもりはない。
アナスタジア様についていき、彼女がしでかすことを特等席から見ていたい……それが今の俺の、ささやかな願いだった。
気付けば『馬公爵』にやってきていた。
同様に使える『馬美人』ではなくこちらにやってくるのは……こちらの方がアナスタジア様がいることが多いからだ。
「あら、エッカじゃない。おかえりなさーい」
「もう……飲み過ぎですよ、アナスタジア様」
どうやら既に仕事を終えて飲んでいたらしいアナスタジア様が、わずかに頬を紅潮させながらこちらに手を振っている。
とろんとして下がった目尻に、酔っ払ってふにゃふにゃになった言葉尻。
どうして酔っ払っている女性というのは、これほど魅力的に見えるのだろうか。
「一緒に飲みましょ、エッカ!」
「ええ、お供致します」
アナスタジア様と一緒に、『ジーニーエール』を飲む。
労働の後に飲む自分で造ったビールは、格別に上手かった。
アナスタジア様、俺……あなたのおかげで、変われました。
だから一生……あなたについていきます。
「そういえばこないだ魔王が言ってたんだけどね……」
「――魔王ですか!?」
まさか魔王と飲み友達になっていたとは……やはりアナスタジア様はいつも俺の予想の斜め上を行く。
彼女と一緒にいると退屈しない。
俺は心の底から浮かび上がりそうになる気持ちを再び奥へ奥へと沈め、アナスタジア様と共に朝までお酒を酌み交わすのだった――。




