エッカの独白 前編
【side エッカ】
俺の名前はエッカ。
今は故あって、『ニブル酒造』のビールの製造責任者という立場に立っている。
二年ほど働いていたからこそわかるが、酒造業界で言えばめちゃくちゃにおかしなことだ。
異常、といってしまってもいいだろう。
製造責任者というのは言ってしまえば酒造そのものの最高責任者であり、酒造業を経営している親方である。
どの業界でもそうだろうが、親方になるというのは並大抵のことではない。
成人したところで丁稚奉公につき、何年もの間まずは桶の洗浄や麦の処理などの雑事を行う。
そして更に数年もの間働き続けたところで、ようやく酒に関わることができるようになり、先輩方から酒造りのノウハウを教わりながら徐々にステップアップ。
三十代後半で親方になれれば十分早い方といえば、速度感がわかるだろうか。
俺は今年で二十五になる。
前の酒蔵で一応二年ほど下積みで働いていたものの、二十代そこそこの俺がこの役目につくのは酒造業界では、明らかに異常なほどのスピード出世だ。
当然ながら余所の同業者には舐められることもあるし、年上の人達に命令しなくちゃいけないことも多いからいろいろと気苦労することも多い。
この役職に相応しいだけの人間になることができるよう、俺は日々努力を続けている。
毎日こんなに何かに精を出すのは、思えば初めてのような気がする。
思えば俺は、そんなことができるような人間ではなかった。
正直に告白するが……俺は怠惰で、やる気がなくて、なんとなく生きていくために仕事をする人間だったからだ。
♢♢♢
俺は大して裕福ではない家庭に生まれ、両親は俺が物心がつくときには離婚して母さんと二人暮らしをするようになっていた。
離婚の理由は父さんの浮気……父によく似た面影を持つ俺に、生真面目な母さんは絶対にあんな風になるんじゃないよと口酸っぱく言っていた。
父さんは遊び人でよくモテる人間らしい。
実際に何度か会ったことがあるが、たしかに俺によく似ていて、どこか危険な雰囲気のある男だった。
そんな母さんに育てられた俺は、比較的真面目に育った……と思う。
もちろん人並みに女性経験は積んだが、不誠実な真似は一度もしていない。
だが俺はどちらかといえば父さん似で、母さんから生真面目さは受け継がなかった。
成人するまでは大分迷惑をかけたが、それは成人して働きに出てからも変わらなかった。
俺にはあまり根気というものがない。
父似の見てくれのおかげか面接は簡単に通るのだが、働き始めると将来の飽き性が顔を出し、すぐやめてしまうのだ。
どこに働きに出ても、最初の数年間は下積みばかり。
魔石職人なら魔石磨きを、鍛冶師ならくず鉄集めを、酒造職人なら麦や麦汁の運搬など。
低賃金のくせに肉体労働でこき使われるというのが、どうにも俺に合わなかったのだ。
やっていて面白い仕事であれば続くような気もするのだが、そこに辿り着くまでには何年もつまらない仕事を続ける必要がある。
そんなある種のジレンマに陥って、俺はいろんな職場を転々とすることになった。
呆れた母さんは何も言わず、黙って衣食住をなんとかしてくれる。
そんな母さんに孝行したいという気持ちはあるのだが、なかなかいい求人に巡り会えない。
元から酒が嫌いではなかったこともあり、俺にしては大分長く続いていた『エルギン酒造』の仕事も、想像していなかった理由で首を切られてしまった。
――俺はオーナーの娘のパンチョさんに、一目惚れをされてしまった。
彼女の態度はどんどん厚かましくなっていき、気付けば彼女面をしてくるようになった。
職場での色恋は面倒なタイプなのでしっかりと断ったら、それに彼女がブチギレ。
気付けばまた無職に逆戻りだ。
ああ、またこれか。
果たして次はなんの仕事に就けばいいものやら……そんな俺に目に入ってきたのは、なんとなしに寄ってみた職業斡旋所の掲示板にあった、経験者募集と書かれた張り紙だった。
まさかこれが俺の人生を大きく変えることになるだなんて……当時の俺は、思ってもいなかった。
「へぇ、公爵令嬢様が酒造りをねぇ……」
わざわざ金を稼ぐ必要のない上級貴族が、酒を造る。
文字通りの貴族の道楽というやつだろう。
だが給金は『エルギン酒造』で働いていた時よりもはるかに高い。
おまけに給料が純粋な固定給ではなく、割合で歩合制があるというのも気に入った。
そもそも歩合が出るほどに酒が売れるのかははなはだ疑問ではあるが……やってみるのは、悪くないかもしれない。
他のやつらがこの依頼を受けないのは、依頼主……公爵令嬢アナスタジア・フォン・ニブルヘイムと仕事をしたいと思っているやつがいないからだろう。
彼女の悪評は王都でもある程度有名な話だし、そもそも上級貴族との仕事なんていうのは発現一つで物理的に首が飛んでいくので、命がいくつあっても足りない。
(さすがに直接一緒に仕事をすることはないだろうが……)
それでも向こうの想定通りに酒が造れなければ、癇癪を起こされて処刑されたりしてもおかしくはない。
「……まあ、いいか」
俺はそんな危険度の高い仕事を受けることを決めた。
後になって思い返してみると、この時の俺は正直、意味のわからない理由で首を切られて完全にやけになっていたのだろう。
だが正常ではない判断を下したあの時の自分に、俺は強く感謝している。
あの時の自分がやけになっていなければ、俺は彼女に……アナスタジア様に会うことはできなかったのだから。




