居酒屋『馬美人』
バロニア王国バロウズ。
文化の最先端である王都に暮らす者達は、流行には非常に敏感で、常にアンテナを張り巡らせている。
そんな王都に暮らす者達の中で最近、大きく流行しているものが二つある。
そのうちの一つは、ここ最近巷を賑わせている『ニブル酒店』の目玉商品であるビール。
『ジーニーエール』と『スピリットラガー』と呼ばれるそれらは、王太子サハラから婚約破棄の慰謝料としてアナスタジア・フォン・ニブルヘイムがぶんどった免税によって始められたというセンセーショナルな来歴によって瞬く間に広がり、そしてそのクオリティの高さによってただの色物ではないのだと貴族達の間で爆発的な人気を博していた。
「え……『ジーニーエール』? 何それ」
「知らないの!? あのメリッサ様が激押ししてる『今までのビールを過去にする』ビールなんだよ!」
子爵令嬢メリッサ。
自領で造っている高品質な石鹸や美容品などが一般人から高い人気を博しており、美のカリスマと呼ばれている女性だ。
そんな彼女がことあるごとに美味しいと宣伝し、『今までのビールを過去にする』と口にしたことでそれがある種のキャッチコピーになり、この二つのビールは若い女性の間で爆発的に人気が高まった。
貴族家などで働きおこぼれに預かった者達は皆口々に、『メリッサ様の言う通りだったわ……』とうっとりとした顔をするものだから、同世代の女性達の羨望の的になっていた。
だがこの二つのビールは、未だ貴族層にしか卸されておらず、一般には流通していない。
そのため一般人は貴族家に雇われている者でもない限り、まず飲むことができないのだ。
女性からの人気が彼女達と共に過ごす若い男性達へと広がり、そしてその上の世代まで広がっていくのにそう時間はかからなかった。
そもそもビールとしては桁が一つ違うほどの高級品ではあるのだが、それでも飲みたいという人は非常に多い。
なんとかあの手この手を使って手に入れようとして、偽物を掴まされるような者達まで出てくるほどの白熱した人気ぶりだったのだ。
誰だって手に入らないものほど欲しくなるもの。
王都の貴族達の間で話題になっているその酒をなんとか手に入れることはできないかと、彼らはいろいろな酒屋を巡る……が、当然その成果は芳しくない。
「すみませーん、『ジーニーエール』と『スピリットラガー』が欲しいんですけどぉ」
「ごめんなさい、うちには置いていなくて……王都の酒屋で買おうとしても、難しいと思いますよ」
今の王都にある酒屋に入ってくる客のうちの実に半分が、『ニブル酒店』のビール目当てに、それがないとわかると店を出ていく客だ。
そんなことが続けば、当然ながら酒屋からの問い合わせも殺到する。
だが『ニブル酒造』はまだ始まったばかりの酒造業者。
頑張って予約を入れても早くとも一年待ちという状態であり、それがまた一度も飲んでいない二つのビールへの期待値を上げていく。
「なあお前、『ジーニーエール』か『スピリットラガー』飲んだことあるか?」
「あるわけねぇだろ。うちも嫁に頼まれて酒屋を巡ったんだが、どこ行っても売ってなくてさぁ」
「俺は……あるぜ」
「「マジかよッ!? どこでだ!?」」
そんな風に王都でブームを起こしている『ニブル酒蔵』のビール。
それが飲める場所こそが、もう一つの流行である……
「お前ら行ったことないのかよ……居酒屋、『馬美人』さ」
居酒屋と呼ばれる飲食店であった。
現在王都には、二つの居酒屋が存在している。
貴族向けの『馬公爵』と一般大衆向けの『馬美人』。
二店舗運営されているそれらの店も、その店名から察することができる通りにニブルヘイム公爵家のアナスタジアがオーナーを務める店である。
レストランや酒場は存在するが、居酒屋と呼ばれる店はこの王都には存在していなかった。 お酒を飲ませる他の飲食店と何が違うのか、それはわからない。
ただ名前が違うだけじゃないかなどと口さがないことを言うものもいる。
だがそれは酸っぱい葡萄というやつなのだろう。
少なくとも『馬公爵』と『馬美人』に行ってそのような減らず口を叩く者は、一人も存在しなかったのだから。
♢♢♢
王都の大通りから少し外れたところにある、少し大きめの店。
新しい外装と内側から聞こえる喧噪。
店の上にある看板にはホカホカと湯気を上げる、揚げ物とビールが描かれている。
そして出入り口に立てかけられているのは、本日満席の立て札の文字。
「おお、ここ……で、合ってるよな?」
「夢みたい、本当に『馬美人』に来れるなんて!」
そう言って腕を掴む彼女はアリシア、そして掴まれてまんざらでもなさそうな顔をしているのはバットという。
二人は王都に暮らす商人で、二人で中規模の商会を切り盛りしている夫婦である。
商売は情報の鮮度が命。
王都の有識人の間で居酒屋が少し噂になった時点で、『これは間違いなく流行る』と確信したバットは予約を取った。
それでも一ヶ月待ちだったというから、王都民の情報感度には舌を巻くばかりだが……彼らはこうして無事、現在三年先まで予約で埋まっているという『馬美人』の予約を取って来店することができたのだ。
「ねぇ見てあなた、すっごい並んでるわ……」
「あぁ……あの列に並んでたかと思うと、ぞっとするよ」
バット達が見つめる視線の先には、蛇行をしながら大通りまで続き、更にそこから先も続いて最後尾が米粒ほどのサイズになっている長蛇の列が見えていた。
一応救済措置とでも言うべきか、『馬美人』には予約席だけではなく当日に入ることができる当日席がわずかだが用意されている。
ただしその数は少なく、そして予約が取れなかった者達による熾烈な奪い合いも起こる。
代理人による並びの禁止というルールのせいで、あまりにも『馬美人』に行きたい猛者達は前日の閉店後からすぐに並ぶという荒唐無稽な噂も流れていたが……前の方にいる長時間の待ちで疲れている人達を見ると、あながち間違いではないのかもしれない。
(だがそれは裏を返せば『馬美人』にはそこまでするだけの価値があるということ……今回は、めいっぱい飲み食いさせてもらうとしよう)
今日店に行けば、次の予約が取れるのは早くても三年後というから、もう一度食べに来るのはかなり難しいだろう。
であれば今回手に入れた僥倖をめいっぱい楽しもうと、バットはアリシアを先導する形でドアを開いた。
「らっしゃーせーっ!」
「「――っ!?(びくっ)」」
店に入ると同時、店員から元気な声をかけられる。
その声を聞いた店員達がまた声を出すので、輪唱のように声の輪は大きくなっていく。
「お客様、ご予約の方はされておりますか?」
「あ、ああ。十八時からで予約してたバットだ」
「バット様……はい確認致しました、ご案内致します。ご新規二名様ご来店でーす!」
「「「ありがとうございまーす!!」」」
「す……すごい活気ね」
「ああ、そうだな」
腹から声を出さなければ出ないような大きな声にアリシアが目を白黒させている間にも、バットは流行り物を前にした王都の商人として、店内の雰囲気や客層などに視線を向けずにはいられなかった。
まず最初に店内に入って感じるのは、店の明るさだ。
通常レストランやバーなどでは経費削減のために火を灯りに使うことが多いが、見ればこの『馬美人』は天井につけた魔道具のランプを灯りに使っている。
これだけの光量があるものとなれば、値段もかなり張るはずだ。
魔石の消費量も考えれば維持コストも馬鹿にならないはずだが……。
(そこをなんとかできるのは、さすがの公爵家の財力といったところか)
大々的に言ってはいないが、この『馬美人』がニブルヘイム公爵家のご息女であるアナスタジア・フォン・ニブルヘイムがオーナーを務めている店だというのは有名な話。
中に居る客層は様々。
だが皆一様に、酒を提供する場所とは思えないほどに品が良い者達ばかりであった。
事前に調査しただけでも、この店で出てくる料理は一品で金貨一枚を超えることもあるという高級店。
それが支払える人物しか来れないため、ある程度客層を篩いにかけることができているということなのだろう。
「ではこちらへどうぞー」
「ああ、ありがとう」
案内されたのは、向かいで座る形のテーブル席だった。
客と客の間にはある程度間隔が設けられており、場末の酒場のように座っていて圧迫感を感じることはない。
「うわぁ……メニューがいっぱいあるわ。どれにしようか迷っちゃうわね」
顔を上げるアリシアの視線の先では、壁に貼り付けられた板にデカデカとメニューとその値段が記されている。
アリシアの目は、かつて自分が恋した少女だった頃と同じようにキラキラと輝いていた。
最近は仕事仕事で彼女が元気になることはなかった。
自分が好きになったその顔をまた見れたことに、これだけでも来た甲斐があったなとバットは薄く微笑む。
「こっちの表でも見れるみたいだよ」
「あらそうなの……あれよく見て、あっちにしか書かれてないメニューもあるわ」
「なんだって、そうしたら両方じっくりと見なくちゃいけないじゃないか」
「もしよろしければ最初に飲み物の方お伺い致しますが」
「っ!? す、すみません」
二人ではしゃぎながらメニューを見ていたところで、店員に声をかけられてハッと正気に戻る。
食べるメニューはパッと見ただけでは多すぎてなかなか絞ることはできなそうだが、飲み物に関しては店に来る前から二人で決めている。
「それじゃあ『ジーニーエール』と『スピリットラガー』を一つずつお願いします」
「かしこまりました。上一丁下一丁入りまぁす!!」
「「「ありがとうございまーす!」」」
元気な声と共に店員が戻っていき、あっという間にビールを持ってこちらにやってくる。
「お待たせ致しました、『ジーニーエール』と『スピリットラガー』になります」
全然待ってないと突っ込みたくなる速度でビールが出てきた。
もちろんメニューはまだ決まっていない。
だがビールを見た瞬間、バットとアリシアの思考は完全にフリーズする。
そしてほとんど同じタイミングで、思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「すごい……本当に、宝石みたいに綺麗だわ……」
「これが……本当にビールなのか……」
二人の前にあるビールは、飲むのがもったいないと思うほどに美しかった。
『スピリットラガー』の方がやや色が濃い琥珀色、『ジーニーエール』の方は淡いライトゴールドをしている。
「もったいない気がするけど……飲まなくちゃね」
「ああ、ビールは注ぎたてが一番美味いからな」
炭酸が抜けてしまい、せっかくのビールの気が抜けてはもったいない。
バットは『スピリットラガー』を、アリシアは『ジーニーエール』を持ち、緊張の面持ちで口に含んだ。
「なんっ……だ、これはっ!?」
「美味しい……まるで炭酸入りの果実水でも飲んでるんじゃないかと思っちゃうくらい」
言葉を失うほどのクリアな味わい。
酸味と香ばしさとフルーティーさが口内を蹂躙する。
そして中のビールもジョッキも、信じられぬほどの冷たさだ。
キンキンに冷えたビールはそれだけで喉越しが良くなる。
飲み物を入れる容器を冷やすだけで、これほど口当たりが変わるというのは驚きだ。
つい先日この『馬美人』を真似てコップを冷やすようにしたという商人の話を小耳に挟んだが、多少値がかさんでも自分もやろうと思うくらいには衝撃は大きかった。
「……」
「……」
二人ともは何も言わずに無言でジョッキを半分ほど空け、そのまま残りを交換し合いもう一方の味を楽しむ。
たしかにアリシアが言っていたように、この『ジーニーエール』はフルーティーさが際立っている。
刻んだリンゴや梨でも入れているのではないかと疑ってしまうような、みずみずしい清涼感は素晴らしい。
「……おかわり、頼もうか」
「……うん、そうしましょ」
互いに頷き合いながら、おかわりを頼む。
食前酒をジョッキで二杯分も飲んでしまうのは、生まれて初めての経験だった。
「これは間違いなく……」
「ええ、『今までのビールを過去にする』」
メリッサ子爵令嬢がビールを振る舞う度に口にしていたというフレーズを、二人は真の意味で理解したのであった。
ビールだけでこれほど満足してしまった二人だが、恐ろしいことにここはまだまだ序盤戦。
酔って上機嫌になった二人は、どの食事を食べるかを、かつてないほど真剣に話し合うのであった……。




