魔王襲来
「それは困ったな……この居酒屋とやらに来るのを楽しみにしていたのだが……」
そういって困り顔をするのは、きらりと赤い瞳を輝かせる二十代後半ほどに見える、一人の男性だった。
その見上げるほどの体躯に光を全て吸い込んでしまいそうな黒の髪と端正な顔立ちと相まって、妙に神秘的な印象を与える。
元がいいからか、人間に擬態している魔王は、十人が十人振り向くほどの美男子だった。
すらりとした細身で、身長は190センチほどはあるだろうか。
引き締まった筋肉質な身体の上には肉体に比してずいぶんと小さな顔が乗っており、各パーツが完璧な位置で配置されている。
店内にいる令嬢達の中には彼を見てひそひそと話し始める子達も出ていたが、魔王本人にまったく気にしている様子はない。
(なんで私の店で、魔王とエンカウントしちゃうのよぉ!)
アナスタジアは心の中で半べそをかいていた。
彼女は知っている。
本来なら彼の側頭部からは、真っ黒な二本の角が生えていることを。
そして目の前の人物が人ですらない、なんならこの世界におけるラスボスである魔王だということを。
――『プリアラ』のラスボスである魔王という存在は、その正体を始めとして多くが謎に包まれている。
魔物を支配下に置いており人類と戦っていることは知られていても、その目的はよくわかっていなかった。
わりと恋愛以外がふわふわしている『プリアラ』世界では、魔王はよくわからないけど強いイケメン以上の存在ではなかったのだ。
魔王は人気投票でもかなり上位に位置しているキャラではありヒーローにという声も多かったのだが、彼は結局最後まで攻略不可能キャラだった。
「うーん……」
アナスタジアの脳みそが、かつてないほどにめまぐるしく回転を始める。
魔王自身が気配を隠蔽しているか圧迫感はないが、ここで下手なことができないというプレッシャーがアナスタジアの胃をきりきりと痛めつけ始める。
「ミューちゃん、裏にこの人も連れて行くけど大丈夫?」
「えっと……構いませんけど、お知り合いですか?」
「そ、そうなの! 親友っていうか魂で繋がっているソウルメイトっていうかマブタチ、的な感じ?」
「なんだ女、俺はお前のことなど……」
「シャラーップ!(小声) いいから黙って付いてきなさい、そしたらビール飲ませてあげるから!」
「うむ、了解した」
どうやらものわかりはいいらしく、魔王は黙って従ってくれた。
ミューに怪訝な顔をされながらも無事許可を取ったアナスタジアは、そのまま魔王と一緒に店を出て裏手へ回る。
人気が無くなった瞬間に髪飾りがチカチカと輝きクロノスが飛び出してこようとするが、彼女は慌てて握ってそれを止めた。
大精霊クロノスと魔王のガチバトルで『馬公爵』が更地になったりするのは本当に勘弁なので、クロノスにはお願いだから黙って見ててと小声で話してとにかく静観してもらう。
裏手のドアを開くと、そこにはアナスタジアのために用意されている小さなキッチンと四人座りのテーブルがある。
ちなみにアナスタジアの趣味で、こちら側は少し小綺麗な感じのチェーン店居酒屋風になっている。
テーブルをニスを塗って光らせ、側面に会計伝票を入れるスペースを用意したのがこだわりポイントだ。
ちなみに誰もここに伝票を持ってくる人はいないため、特に意味がないのは言うまでもない。
店内同様メニュー表もしっかり用意されており、魔王は着席すると同時にそれを手に取ってからふむふむと眺め始めた。
前世のレシピを積極的に再現したおかげで、居酒屋のメニューの数は一回の来店では絶対に全て食べきれないほどに多い。
そしてミューのお父さんであるカンマーさんの腕がいいこともあり、彼女が教えたレシピが着々と完成されメニューの数は来店する度に増えている。
大量に並んでいる料理名を見た魔王はアナスタジアの方を見て、
「ではこのラガーというやつとたこ焼き、それとガーリック枝豆をくれ」
(結構渋いチョイス……っ!)
「あ、それとカラアゲとフライドポテト、それから馬刺しも頼む」
(嘘でしょこの魔王、人気メニューの上位三種全部いった……っ!)
魔王は食欲すらも桁違いなのか、結構がっつり目にご飯を頼まれた。
余裕がある時は厨房でカンマ―さんが作ってくれるのだが、さすがに今の忙しい時に頼むのは心が痛い。
材料は冷蔵庫から取ってくればいいので、自分で作った方がいいだろう。
ガーリック枝豆は簡単なのでぱっぱと作っていく。
既に剥かれている枝豆を熱したフライパンの上に乗せ、揚げたニンニクと鷹の爪と炒め、そこに更にすりつぶしたニンニクを入れて炒めれば完成だ。
基本的にニンニクは入っていればいるほど美味しいので、とにかくものすごい食欲をそそる香りがする。
美味しさと次の日の口臭を天秤にかけ、悩んだ末に皆が頼んでしまう、『馬公爵』の定番の逸品であった。
ガーリック枝豆をキンキンに冷えたラガーと一緒に、お盆に乗せて持っていく。
「お待たせしました、こちらがラガーで、こちらがガーリック枝豆です」
「おお、これが人間が開発した新しいビールか……」
(人間って言ってるわ!? 大丈夫、正体自らバラしてない!?)
アナスタジアからするとめちゃくちゃツッコミどころ満載なのだが、魔王なので素直に話していいのかためらってしまう。
彼女は心の中で怒濤のツッコミをしながらも公爵令嬢の笑みを浮かべ、そのままたこ焼き器を取り出すことにした。
たこ焼きは作る過程を見るのも楽しいので、見える位置で作った方がいいだろう。
――メニューは定期的に見直しが計られており人気がないメニューは消えていくのだが、たこ焼きはその見た目のかわいらしさもあり、『馬公爵』では人気メニューの一つだ。
半球型の型に水に溶いた小麦粉の生地を入れ、その中にたこと揚げ玉、紅ショウガを入れる。
アナスタジアはサクサク食感が好きなので、揚げ玉をマストで入れるタイプだった。
「……てっきりたこの丸焼きが出てくるものだとばかり思っていた」
「たこを入れて焼くからたこやきなのよ」
料理に集中しているので素の口調に戻りながら、アナスタジアは慎重に生地を追加していった。
入れすぎると隣と繋がってしまうので、こまめに鉄串でくるくると回していくのがポイントだ。
たこは王国では悪魔の魚と言われて漁師飯でしか使われていなかったが、なんでも『馬公爵』でその美味さを知った貴族達がこぞって買い始めたことで、今や高級魚のような扱いを受けているらしい。
十分に熱されたら二本の鉄串を使いくるりと勢いよく返していく。
それを見て魔王がラガーを美味そうに飲みながら、おぉと声を上げている。
魔王がのんきにビールを飲みながらたこ焼き作成風景を見ている……あまりに現実離れした光景に頭がクラクラしてくる。
「そしたらこれをこうして舟に乗っけてっと」
舟の形に焼かれたお皿を三つ用意すると、その上にたこ焼きを八個ずつ乗っける。
この三皿はもちろん魔王と自分とクロノスの分だ。
空腹の状態で香ってくる小麦の焼けた良い香りを嗅ぎすぎたアナスタジアは、もはや態度を取り繕う気力もなくなっていた。
「最後にこうやってソースとマヨネーズをかけて……できあがり!」
無論たこ焼きを出すからには、マヨネーズとソースもきっちりと再現済みだ。
マヨネーズはサルモネラ菌による食中毒が怖いのでマヨネーズは当日に作成し、光魔法で念入りに除菌を行わせている。
ちなみにソースに使う砂糖や香辛料が結構な値段がするため、たこ焼きの値段は驚きの金貨一枚超え。さすがに高すぎるので、現在は『馬公爵』の方でしか出せていない。
原価の値段を確認した時には、前世の調味料会社ってすごいんだなぁと改めて感心したものだ。
「ああお腹空いた。クロノスも一緒に食べましょ?」
チカチカッと光った髪留めを軽く叩くと、クロノスがそのまま飛び出してくる。
その様子を見た魔王が、さすがに驚いた顔をする。
「人間にしては妙な気配だとは思っていたが……まさか大精霊の契約者だったとは」
「そんなのどうでもいいから、温かいうちに食べてよね。私、ビール持ってくる!」
『あ、僕の分もお願いね!』
「いや、全然どうでもよくはないと思うのだが……」
『あはは、まあ彼女ってああいう子だからさ。気にしないで食べてもらって大丈夫だよ』
「うむ、わかった。しかしこれは……真ん丸だな。そして、なんとかぐわしい香り……」
アナスタジアが急いで自分達の分を注いで帰ってくると、魔王は既に楊枝で突き刺したたこ焼きをハフハフと食べながらラガーを飲んでいる。
「このソースの香ばしく、そして甘やかな香り。その上にある白い液体の酸味と相まって……これは、美味いな……む、ラガーがもうなくなってしまった」
(なんだか、普通に一人で居酒屋に来たおっさんみたいね……)
そのままたこ焼きをつまんでいる魔王のジョッキを持ち『おかわりはいかが?』と尋ねると、魔王に目礼をされた。
「このガーリック枝豆やたこ焼きの美味さも素晴らしいが……このラガーとやらも凄まじいな。ここまでするすると飲めてしまうビールは、生まれて初めてだ」
「そうよ、うちの『ニブル酒造』の自信作なんだから」
「……まさかビールの方も、娘が?」
「もちろん! あと娘じゃなくて、私にはアナスタジアって名前がありますから」
「ああ、わかった……アナスタジア」
どうやら魔王といっても、まったくこちらの話を聞こうとしないわからずやではないらしい。
たしかに思い返してみると、魔王は戦う前もきちんと対話をしようとしていたように思う。
ひょっとするとカーシャにも、魔王と戦わずに対話する道があったのだろうか……などと考えながら、飲み物がほしそうな顔をしている魔王の顔が目に映る。
彼の期待に応えるため、アナスタジアは奥にある冷蔵庫の方へと向かうことにした。




