順風満帆
「アナスタジア様、また発注が来ました! 今度はソマリ伯爵のところから『ジーニーエール』を十樽です!」
「わかったわ、ひとまず先の予約を優先するけど、それが終わり次第回す形で了承を取り付けてちょうだい」
「了解しました!」
やってきた新入りの店員が、小走りになりながら屋敷を後にする。
『忙しないねぇ』
「でもこれでひとまずやらなきゃいけないことは終わったわ。書類仕事は面倒だから、さっさとこの辺りも信頼できる人に任せちゃいたいなぁ」
ビール売却の諸処の手続きやら事務作業やら搬入の日取りやらの調整が終わり、ひとまず片付けなければならない用事は全て終わった。
事務仕事があまり好きではないアナスタジアはふぅと安堵のため息をこぼす。
――社交界の重鎮や若者達のカリスマを呼び寄せて行ったアナスタジア主催の社交パーティーは、自分でも驚くほどに見事な成功を収めた。
おかげさまで精霊お墨付きというのを前面に出すため『ジーニーエール』と『スピリットラガー』と名付けたそれらは、貴族界隈で爆発的なヒットを叩き出していた。
値段は従来のビールと比べても明らかに高く設定しているのだが、それでも作れば作った文だけ飛ぶように売れていくのでアナスタジアとしては笑いが止まらない。
「それもこれも全部、彼女達のおかげだわ」
『売らないことが不思議だったけど……売る相手を選ぶだけでこんなに結果が違うんだね。人間の商売って不思議だよ、本当に』
気難しくプライドが高いことで有名だったクラリッサ夫人もお酒を飲んで上機嫌になってからは親身になって話を聞いてくれたし、メリッサ子爵令嬢は早速アナスタジアにビールの買い付けをお願いしてくれた。
お酒の席で美味しいものを食べながらという環境も手伝ったのだろうが、おかげでずいぶんと彼女達と仲良くなることができた。
今では彼女達と私的な交流も行うようになっており、中でもいの一番に自分のところのビールの売買契約を結んだランドー子爵令嬢とは特に懇意にさせてもらっている。
ビバ飲みニケーション、と頭の中に昭和脳をインストールさせつつあるアナスタジアは、ソーサーを持ったまま紅茶で唇を湿らせる。
(まったく、前世知識様々だわ)
――アナスタジアはもちろん意図的に、情報感度の高い社交場で存在感を放つ者達ばかりを固めてパーティーへと呼んだ。
彼女達は、いわば前世におけるインフルエンサーのような存在だ。
流行の最先端を行く彼女達がこれがいいといえば、実際にいいものかどうかはおいておいて、とりあえず一度買ってみようかという程度には皆の関心を引くことができる。
SNSのようなものがないこの世界で、こういった情報の横の広がりというのは非常に重要だ。
最初にトップにほど近い者達からの認知を集めたおかげで、今では『ニブル酒造』の名は『実はこの世界にスマホがあるんじゃないかな?』とアナスタジアが思ってしまうほどの速度で伝播している。
今はまだ貴族家達や一部の裕福な商人の中で有名になっているだけだが、おそらくそう遠くないうちに『ニブル酒造』の名は市井にも広がっていくことになるだろう。
(王都に暮らす日と達の間ではあっちの名前の方が売れてるっていうのは、さすがに私も予想外だったけど)
基本的に社交では田舎者扱いを受け裏で小馬鹿にされていたニブルヘイム公爵家の地位は、あの一件以降以前と比べて明らかに向上している。
アナスタジアとしては、色々と辛い思いをしたという母の敵討ちをした気分だ。
次に来てくれた時には、きっと下にも置かない扱いを受けるに違いない。
ただ嬉しい悲鳴と言うべきか、アナスタジアは現在『ニブル酒造』のオーナーとしてとてつもない忙しさの中にあった。
アナスタジアとエッカだけではさすがに首が回らなくなり、今では公爵領からやってきた口の固い領民達を店員として雇い入れる形で経営体制の見直しを進めている。
先ほどやってきた新人店員も、ニブルヘイムからやってきた貴族家の三男のトカレフ君だ。
エッカは現在進行形で現場の監督をしてビールの増産に励んでくれており、おかげでアナスタジアはビール製造ではなく販路の拡充や店員達の教育など、『ニブル酒造』の経営に力を入れることができている。
「んーっ!!」
グッと伸びをすると、肩と首筋がバキバキと鳴った。
ここ最近はずっと座り仕事をしているせいで、身体の筋肉がガチガチになっているのだろう。
「気分転換に散歩でも行きましょうよ」
『いいよ、どこに行くの?』
「酒蔵かな」
『……それ、散歩じゃなくて視察って言うんじゃない?』




