飲み応え
コップを打ち付け合わせ、アナスタジアは久しぶりのラガーを堪能することにした。
まず最初にやってくるのは、口の中にやってくる清涼感。
あぁ、懐かしい……アナスタジアは以前ビアガーデンで飲んでいたビールの光景が蘇ってくる。
そのビールは、この一週間で飲んできたものとまったくの別物だった。
どうやらエッカも同じ感想を抱いていたようで……彼は驚きのあまり、口の周りに泡を着けたまま目を見開いている。
「なんだこれ、めちゃくちゃ……飲み応えがありますね!」
――そう、下面発酵の良さは、とにかくキレと喉越しがいいところにある。
上面発酵のビールはフルーティーさが出やすく、下面発酵はキレと喉越しがいい。
「美味しいわね……食べ物と合わせなくても、単体でするすると飲めちゃうくらい飲みやすいわ」
飲み進める度に、アナスタジアの前世の記憶が蘇る。
キ○ン然りエ○ス然り、日本で飲まれているビールはほとんどが下面発酵のビールだ。
ほどよい酸味と苦みが全体を引き締め、そしてやはりこの喉越し……ゴクリと喉を鳴らすと、次の一口がまたほしくなる。
魔道具さえ用意できればこちらの方が大量生産できるとなれば、やはりラガーを造ろうとしていた自分は間違っていなかったと改めて確信できた。
「ラガーは大量生産がしやすいの。これをガンガン作って、お父様から正式に認可を得た『ニブル酒造』をガンガン大きくしていくわよ!」
「が、頑張ります!」
アナスタジア達が名乗る屋号は、『ニブル酒造』に決まった。
本当なら営業税の関係から、完成品を造れるようになった段階で登録をしようと思っていたのだが……父の置き土産によって彼女は思っていたよりもずっと早くに酒造業者としての登録を行うことになったのである。
(お父様の思いに答えなくっちゃいけないものね……でも実の娘からしても、正直はっちゃけすぎだと思うわ)
かなり張り切ったらしく、彼はアナスタジアが行う酒造業に関する直接税の免除を勝ち取ってきてくれた。
酒造業自体に免税がもらえるとなったので、アナスタジアは大急ぎで『ニブル酒造』を立ち上げ、免状を急ぎ作ってもらったのである。
ひとまず一号店は王都に立てることにした。
ただお酒を造るだけなら原料も公爵領から取れるので王都に留まる理由はないのだが、やはり王国の流行の中心は王都バロウズにある。
まずはビールをしっかりと流行らせ造った分が売れるという状態を作り、そこからニブルヘイム公爵領で二号店三号店を作る形で、最終的には酒造業をニブルヘイム公爵家の主要産業にする目論見であった。
(でもお父様の期待には応えたい……今回は婚約破棄なんて形になっちゃったし、好き放題させてもらってるから。せめて恩返しくらいはしなくちゃ)
アナスタジア自身、ニブルヘイム領を田舎だと小馬鹿にする者がいることに思うところはある。
少し前まで騎馬民族だったという事情や、地域全体が寒冷であり小麦などが収穫できず、食料を輸入に頼らざるを得ずに足下を見られている現状をなんとかしたいとは、記憶を取り戻す以前から考えていたのだ。
彼女が婚約に対して前のめりであったのも、婚姻によって王家の血を取り入れて王都との取引が盛んになれば、ニブルヘイム家にしっかりと箔と名誉がつけられるという公算があったからだ。
(うちの貧弱すぎる特産品の層を、もうちょっと厚くしなくちゃいけないものね)
ニブルヘイム家の特産品は軍馬と大麦。
軍馬に関しては非常に高値で取引されるのだが、特産品が軍馬など……とそれもまた他の貴族家から舐められる要員の一つになっている。
そしてもう一つの大麦だが……この世界において大麦は家畜の飼料に使われるもの、小麦が食べられない貧乏人が食べるものという認識が根強い。
それならば加工してビール造りをしようかと考えても、その辺りのノウハウは大手酒造店が独占しており新規参入は難しい……長年ニブルヘイム領はそれらに我慢しながら、必死に耐えることしかできなかったのだ。
だがアナスタジアからすればこの世界の酒の低品質さに我慢できなかっただけなのだが、結果としてそれを脱することができるきっかけができた。
「そのためにはまずは我が家で開くパーティーでのお披露目ね、あまり社交では得意ではないのだけれど……バズらせるためには致し方なし」
「バズ……?」
この世界にないものを受け入れてもらうためには、第一歩が肝心だ。
いつの時代も流行を作るのは女性……同年代の女性達に飲んでもらえるようなパーティーでなんとかして彼女達にこのラガーを飲んで話題に上げてもらうのが次なる目標だ。
「となると茶会より軽食を交えたものの方がいいかしら。ここ最近はおつまみ作りも頑張ってるし、それなら私が作った料理も一緒に出す形で……」
社交パーティーでどのように飲んでもらうのが一番ビールを美味しいと感じてもらえるか。
そんなことを考えながら魔法を使って無心で樽詰めを行っていると……ここ最近でわかるようになってきた魔力の揺らぎを感じ、顔を上げる。
どうやらラガーの完成を聞きつけてまた精霊がやってきたらしい。
まあ今回は大きい桶で造ったし、好きなくらい飲ませてあげても……とそこまで考えたところで、現れた精霊を見たアナスタジアの表情筋がピシッと固まった。
『おお、たまげた。本当に酒を作ってるんだねぇ、それも公爵令嬢が』
そこに現れた精霊は時々現れてはエールをねだるあの小さな精霊達より大きい、肩に乗る程度のサイズ。
そして流暢に言葉を話しながら、感情豊かにケタケタと笑っていた。
そしてそのくりくりとした瞳の中には、時計の時針を思わせる二本の光を宿している。
その精霊を、アナスタジアは知っていた。
「嘘、大精霊……クロノス!?」




