第6話 『紅蓮』のグレン
四日目の昼過ぎ。
街道の往来が増え始めた。商人の馬車、旅の楽団、巡礼の一行──王都が近いのだ。
コレア村では一日に数人としかすれ違わないライアには、この人の多さだけで衝撃だった。ソルブレアもマントのフードの奥から物珍しそうに辺りを見回している。
街道の先に、王都グランフェスの城壁がうっすらと見え始めた頃──前方から馬車の一団が近づいてきた。
馬車は三台。いずれも頑丈な造りで、荷台には大量の荷物が積まれている。護衛らしき者が馬車の周囲を囲んでいた。
ライアは道の端に寄って一団をやり過ごそうとした。冒険者同士が街道ですれ違うのは珍しいことではない。
──だが、先頭を歩く男を見た瞬間、ライアの足が凍り付いた。
長身の男だった。赤銅色の髪を後ろに流し、革の胸当ての上から深紅のマントを羽織っている。腰には使い込まれた大剣。鍛え抜かれた体躯に、戦場を幾度も潜り抜けてきたことを物語る古い傷跡が首筋に走っている。すれ違うだけで目を奪われるような、絵になる男だった。
だが、本当に異質なのは見た目ではない。空気だ。
その男を中心に、空気の質そのものが変わっていた。男が一歩踏み出すたびに、周囲に緊張が走る。
「……なんだ、あれ」
ライアは思わず息を呑んだ。まるで嵐の目の中に立っているような──圧倒的な存在感。
露店の店主が、商品を並べる手を止めて立ち上がった。頭を下げている。通りがかりの旅人たちが足を止めて道を空けた。誰に言われたわけでもない。その男が歩いているだけで、自然と道が開けていく。
ライアは呼吸すら忘れていた。
ただ、すれ違おうとしているだけだ。それなのに、身体の芯から理解させられる。この男は、自分とは何もかもが違う場所にいる。
「……嘘だろ」
ライアの口から声が漏れた。男の胸元に見える紋章──それは冒険者ギルドのA級章だった。
「あれ……『紅蓮』のグレンだ」
「なんじゃそれは。ダジャレか?」
「A級冒険者だよ。冒険者ギルドの中でもほんの一握りしかいない、最高位の冒険者。その中でも『紅蓮のグレン』は──確か、単独で魔界の魔物を討伐した記録を持ってる。コレア村にいた頃、何度も噂を聞いたことがある」
ライアの声は上擦っていた。辺境の村にまで名前が届くほどの冒険者が、今まさに目の前を歩いている。コレア村で聞いた武勇伝はどこか遠い国の御伽噺のようだった。それが今、数歩先にいる。
一団がライアたちの脇を通り過ぎようとしたとき──グレンの足が、ふと止まった。
深紅のマントが風に揺れる。赤銅色の髪の奥から覗く鋭い目が、ちらりとライアに向けられた。
──見られた。
それだけのことなのに、ライアの背筋に冷たいものが走った。全身の毛穴が開くような感覚。身体が勝手に竦む。大型の魔物と目が合ったときのような、本能的な恐怖だった。
A級冒険者の視線がライアの上を通り過ぎるまでの数瞬が、途方もなく長く感じられた。やがてグレンは何事もなかったように前を向き──数歩進んだところで立ち止まった。
(──今、何か……)
グレンの背筋を、冷たい感覚が撫でた。殺気とも違う。だが、A級の戦場を幾度も潜り抜けてきた身体が確かに反応した。魔界の入口付近で感じる、あの独特な圧に似ていた。
グレンは肩越しに振り返った。
道端に立ち尽くしている痩せた少年が見えた。どう見てもただの駆け出しだ。装備は貧弱、立ち姿にも覇気がない。
「どうした、グレン」
仲間の声に、グレンは前を向いた。
「いや……何でもない」
気のせいだろう。あんなガキから、魔界の気配がするはずがない。
──それでもグレンは、少年の顔をなんとなく記憶に留めていた。理由は、自分でも分からなかった。
◆
一団が通り過ぎた後も、ライアはしばらくその場に立ち尽くしていた。
「……あれに、俺がなるのか」
途方もなかった。魔力をもらっても火一つ起こせない自分が、あの領域に至るなど冗談でも言える気がしない。あの男が纏っていた空気を思い出すだけで、自分のちっぽけさが骨の髄まで染みてくるようだった。
「ソルブレアちゃん、見たか? あれがA級──」
振り返ると、ソルブレアは特に興味もなさそうにリンゴを齧っていた。どうやら近くの露店で買ったらしい。
「ん? ああ、あの赤いのか。そんなに強そうには見えんかったがのう」
「……え?」
「父上の方が遥かに迫力があるぞ。あれならインドラの方がまだ怖い顔をしておる」
比較対象が魔王と雷竜では、そもそも土俵が違うのだが。ライアは思わず乾いた笑いを漏らした。
「そりゃ、魔王と比べたらそうだろうけど」
「あの男は人間にしては強いのかもしれんが、お主にはお主の戦い方があるじゃろう。我の魔力を持っておるのだからな」
「使い方が分からない魔力だけどね」
「それはこれから分かればよい」
ソルブレアは何でもないことのようにそう言って、リンゴの芯を道端に放った。小さな芯が草の上に転がり、すぐに見えなくなる。
ライアは遠ざかっていくグレンの一団の背中を見つめながら、拳を握った。
「……行こう。王都はもうすぐだ」
「うむ。美味い飯が待っておるからな」
街道の先に、王都グランフェスの城壁が大きくなっていく。




