第4話 ずっと欲しかったもの
「ただいま」
奥の部屋にぼんやりと灯りが見えるのを確認しながら、ライアは扉を開けた。
「お帰り、ライア。遅かったね。──あら?」
奥の部屋から顔を出したライアの母──エリカが、ライアの後ろに立つ小さな影に気がつく。
「えっと……ちょっと訳ありで。今日はうちに泊めようかと」
エリカはソルブレアをじっと見つめた後、柔らかく微笑んだ。
「そう。お腹は空いてない? 何か作ろうか?」
それだけだった。どこの子なのか、なぜ連れてきたのか、何も聞かない。父が死んでから十三の歳で一家を支え始めたライアを、エリカは一人前の男として信頼していた。
この子が連れてきたのなら、それなりの理由があるのだろう。エリカのその信頼が、ライアにはありがたくもあり、時折重くもあった。
「大丈夫。もう食べたから」
「いかにも。腹いっぱいじゃ」
ソルブレアがえらそうに答えるのを見て、エリカはくすりと笑った。心配ないことを伝えると、エリカは奥の部屋に戻っていく。
「ソルブレアちゃん、リーナを見てもらっていいかな」
ライアはソルブレアを、リーナの部屋へ連れていった。
小さなベッドに、少女が横たわっている。黒髪を肩まで伸ばした、同い年の子より少し痩せた身体。穏やかな寝顔は、まるで麗らかな午睡を楽しんでいるかのように見える。
枕元には野花が飾られていた。エリカが毎日、欠かさず替えている。
「この子がリーナ。……一年前から、ずっとこうして眠ってる」
ソルブレアは無言でリーナの傍に歩み寄った。金色の瞳が、眠る少女の身体をじっと見つめている。
しばらくの沈黙の後、ソルブレアが口を開いた。
「身体の中の魔力が、上手く巡っておらぬ」
「魔力が?」
「何と言えばよいのか……流れが滞っておる。我は人間の身体のことなど知らぬから、これが原因かどうかは分からぬがな」
「それって、ソルブレアちゃんが治すことは出来ないの?」
ソルブレアは少し考え込んだ後、首を横に振った。
「魔力の流れを整えること自体は出来るかもしれぬ。だが、我は人間の身体の仕組みを知らぬ。下手に触れば余計に壊してしまうかもしれん」
頼めば、ソルブレアはやってくれるのだろう。ソルブレアの口振りでライアにはそれが分かった。だが、自らの選択でリーナの命を散らせてしまうかもしれないとなれば、そんな勇気などあるはずもなかった。
「それは……やめておくよ」
「力になれず済まぬな」
「いや……見てくれただけで十分だよ」
ライアはリーナの手を取った。まだ、ぬくもりは残っている。
「ソルブレアちゃん……さっき話した≪白楼の花≫って覚えてるかな。万病を治すっていう」
ソルブレアが頷く。
「あれが本当に万病を治すなら、リーナにも効くかもしれない……取りに行ってくれないかな?」
図々しい頼みだと分かっていた。でも、他に手段がない。リーナの身体は少しずつ痩せてきている。このままでは、いつか取り返しのつかない日が来る。
魔王の娘が目の前にいる。魔界の花の話を知っている。こんな機会は二度とないかもしれない。
ソルブレアはしかし、ぷいと顔を背けた。
「嫌じゃ。父上が謝ってこぬ限り、我は魔界には戻らぬ」
「……そう、だよね」
そう言われてしまえば、ライアに出来ることはなかった。
「そもそも、お主が取りに行けばよかろう」
「魔界に行けるのはA級以上なんだ。俺はE級で、しかも魔力がない。A級なんて何年経っても──」
「魔力があればよいのか?」
ソルブレアは何でもないことのように、言った。
「……え?」
「さっきから気になっておったのじゃ。この村の人間には魔力があるのに、お主だけ空っぽじゃろう。出会った時は人間とはそういう生き物かと思っておったが、どうやら違うようじゃ」
ソルブレアにとって、その提案はおやつの飴玉を一つあげるのと同じようなものだった。
「我の家臣が魔力もないのでは格好もつかぬ。我の魔力をお主に入れてやろう」
だがライアにとっては──それは雷に打たれたような衝撃を伴って耳朶を叩いた。
ライアの頭の中で、何かが繋がった。
魔力がある。ならば冒険者のランクを上げられるかもしれない。A級になれば魔界に行ける。魔界に行ければ≪白楼の花≫を探しに行ける。
≪白楼の花≫があれば──リーナを、救える。
身体が、震えた。声が出なかった。足元がぐらついて、視界がぐるぐると回る。全身の血液が体中を駆け巡る。
「ちょっと噛むからな。痛いかもしれんが我慢するんじゃぞ」
言いながら、ソルブレアはライアの袖を引いた。
「しゃがめ。届かぬじゃろうが」
ライアはその場にしゃがみ込む。心の準備などする暇もなく、ソルブレアの小さな牙がライアの首元に突き刺さった。
「我の血をお主に移した。血は魔力となり、お主の身体を駆け巡る力となるじゃろう」
と言われても、何かが変わった様子はない。首筋に鈍い痛みが残るだけだった。ライアは半信半疑のまま立ち上がった。
──その瞬間。
「ぐォあっっっ!!??」
心臓から湧き出る熱い血潮が、ライアの身体を満たしていく。血が自分のものじゃないみたいだった。ライアは身体を支えきれず、その場に倒れ込んだ。
意識が遠のいていく。だが、身体の奥では何かが脈打っていた。心臓とは別のリズムで、熱い何かが血管の一本一本を辿るように全身を巡っている。
──これが、魔力。
生まれて初めて感じるその鼓動は、今まで空っぽだった器に温かい水が満たされていくような、不思議な感覚だった。
薄れゆく意識の中で、ライアはリーナのベッドに手を伸ばした。指先が妹の手に触れる。温かい。まだ、ここにいる。
──必ず、助けてみせる。
ライアはそのまま、意識を手放した。
◆
翌朝、目を覚ますと、ライアはリーナの部屋の床に横たわっていた。毛布がかけられている。エリカがかけてくれたのだろう。隣ではソルブレアがライアの腕を枕にして丸くなっていた。
身体を起こすと、不思議な感覚があった。目に見えるものは何も変わらない。でも、身体の奥に昨日までなかったものが脈打っている。首筋に残る小さな噛み跡が、あの出来事が夢ではなかったことを証明していた。
リーナの顔を見た。穏やかな寝顔。何も変わらない。でも、ライアの中では何かが決定的に変わっていた。
──助けることが出来るかもしれない。
台所に行くと、エリカが朝食の支度をしていた。
「母さん、俺、王都に行こうと思う」
母の手が一瞬止まった。しかしすぐに、いつもの穏やかな目でライアを見つめた。
「リーナのため?」
「うん」
詳しいことは話さなかった。魔力のことも、魔王の娘のことも。ただ、リーナを救える可能性が出来た。それだけを伝えた。
「そう。……行っておいで」
「母さんとリーナのことが心配で──」
「大丈夫、リーナのことは私が見てるから。心配しなくていいからね」
「……王都のギルドには送金所があるんだ。稼げるようになったらすぐに送るから」
言葉を遮るように、エリカが、ライアの頬にそっと手を当てた。
「あなたは十分頑張ってる。お父さんが見たら誇りに思うわよ」
不意打ちだった。ライアは俯いて唇を噛み、何も言えないまま深く頷いた。
リーナの部屋に戻り、眠る妹の手を握った。細い指先を、両手で包み込む。
「……行ってくるよ、リーナ」
返事はない。一年前からずっと、返事はない。それでもライアは続けた。
「必ず帰ってくるから。お前を治す方法を見つけて、必ず」
ソルブレアが部屋の入り口に立っていた。マントを被り、出発の準備は万端らしい。
「済んだか?」
ライアは「ああ」と小さく頷いた。
「ならば行くぞ。美味い飯が待っておる」
ソルブレアはくるりと背を向けた。ライアはリーナの手をそっと離し、立ち上がる。
「──行ってきます」
「行ってらっしゃい」
母は笑っていた。だけど、その笑顔の裏でどれだけ息子のことを心配しているのか、ライアには分かっていた。だからこそ、自分も笑顔を作った。
ソルブレアがとてとてとライアの隣に並ぶ。
「行こう」
「うむ」
王都グランフェスに向かって、二人は朝日に照らされた道を歩き出した。




