第3話 人類の未到達地域
魔界。
この世界の九割超を覆う、人類の未探索地帯。
人間界の魔物とは比較にならない強さの魔物が無数に棲んでいて、足を踏み入れることを許されるのはA級冒険者以上に限られている。そのA級でさえ、探索できているのは人間界に接するほんの僅かな範囲だけだ。
それでも、魔界から持ち帰られるアイテムは人間界に計り知れない恩恵をもたらしている。
例えば、S級アイテム≪白楼の花≫。
それには万病を治癒する効果があるとされている。魔界の奥深くにしか自生しておらず、人類が意図的に採取に成功した記録はない。過去に魔界の奥地から風に乗って飛んできたものを偶然手に入れた冒険者がいたらしいが、そいつは王都の一等地に豪邸を建てたという。
他にも、あらゆる生物を瞬時に絶命させる猛毒草≪黒夢の花≫や、莫大な魔力を秘めた≪緋純魔石≫など、人間界には存在しないアイテムが魔界には数多くある。
ギルドの冒険者システムは、突き詰めればこの魔界探索が主な目的と言っていい。
冒険者システムにより優秀な冒険者を選別していき、A級まで登り詰めた冒険者は魔界を探索して一攫千金を掴む。
これがライアが知っている魔界の情報の全てだった。
「なるほどのう。人間界ではそんな風に言われておるのじゃな」
ソルブレアはライアの話を聞くと、大口を開け、串に刺さったステーキに齧り付いた。
「ううむ……やっぱり美味しいのう……」
ソルブレアは既に五枚のステーキを平らげていた。
「沢山あるから、好きなだけ食べてね」
地元の料理を美味しい美味しいと食べてくれるのはやはり嬉しくて、ライアはソルブレアが魔王の娘だということを瞬間的に忘れていた。
「うむ! ……それにしても魔界の花が人間界でそんなに重宝されておるとはな。花なら城の周りに数え切れんほど生えていた気がするぞ」
「そうなんだ。聞いた話では滅多に見つからないらしいけど」
「ああ、それは魔力濃度のせいじゃろう」
「魔力濃度?」
「魔界の中でも人間界に近い部分ほど魔力濃度が低いのじゃ。だから魔力を糧にしている魔界の生物は寄り付きたがらん。花も生息し辛いんじゃろうな」
「なるほど、そういう理由があるんだ」
「そもそも、魔力を糧としない人間が魔力濃度の低い土地に生活圏を作ったのが人間界の起こりと言われておるからな。魔界の生物と人間界の生物とでは栄養補給の仕組みが根本から違うのじゃ」
「それは知らなかったな……ん、それじゃソルブレアちゃんは肉を食べなくても生きていけるってこと?」
「ぎくっ!?」
ライアの言葉に、ソルブレアは背筋をぴんと伸ばす。
「ああ、責めるつもりはないんだ。それにしては美味しそうに食べるなあと思っただけで」
「確かに我は魔力を糧に生きておるから、人間のように食事を摂る必要はない。食事からも魔力は補給できるが、まあ娯楽の部類じゃな」
「そうなんだね。勉強になるよ」
ソルブレアは手にした串を平らげると、大げさに声をあげた。
「食べた食べた、流石にお腹いっぱいじゃ。感謝するぞ、人間」
「お粗末さまでした」
ライアが布を手に取ると、ソルブレアは顔をつん、とライアの方に向けた。ライアは脂塗れのソルブレアの口周りを丁寧に拭き取っていく。
「──よし、こんなもんかな。もういいよソルブレアちゃん」
「うむ、ご苦労であった」
ソルブレアが満面の笑みを浮かべる。
魔王の娘でも笑顔は年相応なんだな、とライアはその笑顔に微笑みを返すのだった。
◆
「──ところで人間、名は何というんじゃ」
コレア村へ戻る道中、思いついたようにソルブレアはライアに尋ねる。
「名前? 俺はライア。ライア・フィレクシアっていうんだ」
「ライアか。頑張って覚えようと思う」
「覚えてくれたら嬉しいな。人間、だと少し味気ないからね」
ライアの言葉は、残念ながらソルブレアにはあまりしっくり来ていないようだった。きっと人間は全て同じように見えているんだろう。人間にとってコレアボアが全て同じように見えるように。
「そういうものか。それでだライア、お主には何か望みはないか?」
「望み?」
「そうじゃ。我は家臣に優しい姫じゃからな。肉の褒美としてお主の望みを叶えてやろう」
「いつ家臣になったんだろう」
「勿論バハムートはダメじゃぞ? あれは我のじゃ」
「バハムートは俺には持て余しそうだからね。遠慮しておくよ」
ライアは数瞬考え込み、少し声を落として言った。
「……ソルブレアちゃんに何とか出来るか分からないんだけど。妹のリーナが、一年前からずっと眠ったままなんだ」
「眠ったまま?」
「ある朝突然、起きなくなった。身体は温かいし、息もしてる。でも何をしても目を開けない。村の医者にも王都の学者にも、原因は分からなかった」
ソルブレアは黙って聞いていた。ライアは空を見上げる。星が、やたらと綺麗な夜だった。
「母さんがずっと傍についてくれてるけど、身体は少しずつ痩せてきてる。このままだと、いつか……」
その先は言えなかった。口にしてしまえば、現実になってしまう気がした。
ソルブレアはしばらく沈黙した後、小さく首を傾げた。
「見てやろう。我の目で見れば、何か分かるかもしれぬ」
「本当!?」
「期待はするでないぞ。我は医者ではないからな」
ライアの胸に、小さな灯が点った。期待してはいけないと分かっている。何度も裏切られてきた。それでも、期待することをやめられない自分がいた。
「……ありがとう」
「礼はまだ早い。何も分からぬかもしれぬぞ」
「それでも、見てくれるだけで嬉しいよ」
ソルブレアはふわあと大きな欠伸をした。子供はもう寝る時間だった──人間のタイムスケジュールが魔王の娘に通じるのかは知らないが。




