第2話 魔王の娘 ソルブレア
「魔王の……娘……?」
「うむ。従属してよいぞ」
少女はえっへんと胸を張る。
きめ細やかな純黒のドレスに包まれた小さな身体が精一杯の威厳を示しているが、ライアの頭の中は一つの事柄で埋め尽くされていた。
(うわ……変な子だ……)
王都の貴族でも着ないような絢爛なドレスに身を包み、夜遅くにこんな辺鄙な村はずれの森の中にいるのだから、その時点で変な子には違いないのだが、ライアはその時、初めて目の前の少女が何か特異な存在だということに気が付いた。
「えっと……ソルブレアちゃん、だっけ? 魔王の娘の君が、どうしてこんな所にいるの?」
ライアは既に、村の子供たちの話を聞くお兄さんモードになっていた。
「よくぞ聞いてくれた! あのな、お父様が酷いんだ」
「お父様?」
ソルブレアはとてとてとライアの傍に寄ると、隣にぺたんと腰を下ろした。
膝を抱えるとそこに頭を乗せ、ゆらゆらと揺れる炎をどこか儚げに眺めている。
「……実は、昨日は我の誕生日だったんだ」
「誕生日?」
「うむ。それでお父様が何でも好きなものをプレゼントしてくれることになった」
「いいお父さんじゃないか」
「そんなことあるものか。……我は竜王バハムートが欲しいと言ったんだ」
「……バハムート?」
「知らんか? 魔界の竜を統べる竜族の王だ。書物によく登場するんだが、我はバハムートをペットにしたいと前から思っていた」
「……そうなんだね」
ライアは内心焦っていた。
ソルブレアが想定よりずっと『変な子』だったからだ。
「だが、お父様は私がバハムートを欲しがっているのを知ると『それは難しいかもしれない』と言うんだ。『先方の意向もあるからこの場では決められない』と」
「あはは、それはそうだろうね」
妙にリアリティのあるやり取りにライアは思わず笑ってしまう。
仮にそのような竜の王がいたとして、ある日いきなり「今日からお前はペットだ」と言われれば、それは困るだろう。彼には竜族を統べる役目があるのだから。
きっとソルブレアのお父さんは空想好きな娘に手を焼いているんだろうな、とライアの口元が少しだけ緩んだ。
「……結局、誕生日になってお父様が連れてきたのは、竜王バハムートではなかった」
「流石にバハムートは難しかったのかな」
「我の事を本当に愛しているならバハムートだって何だって連れてこれるはずなんだ。お父様は我より魔界の秩序を選んだのだ」
ソルブレアはぷくーと頬を膨らませる。
「……お父様が連れてきたのは雷竜インドラだった。奴は竜族の幹部ではあるが、書物ではいまいち影が薄い。当然、我は激怒した」
「怒っちゃったんだ」
ライアはお父さんの苦労を心の中で労った。
「当然だ! ……お父様は慌てて謝ってきたがもう遅い。我は怒りのままに城を飛び出した」
「家出ってことかな」
「そのまま力に任せて飛び続けていたら、ここまで来ていたのだ。まさか人間界まで出てしまうとは思っていなかった」
「ソルブレアちゃんは家出少女なんだね」
ライアはそう言うとソルブレアから意識をそらす。
彼女はどうやら家出少女で、子供が徒歩で移動できる距離にある村はコレア村だけ。ならば村まで一緒に連れ帰れば問題ないだろうと結論づけたのだ。
「お、いい感じだな」
ライアは肉の焼き加減を確認すると、豪快にコレアソルトを振りかけ、自らの顔ほどもある肉塊に思いっきり齧り付く。
一仕事終えて乾いた口内を、弾けるような肉汁が潤していく。ライアにとって、仕事後にコレアボアに齧りつく時間が至福のひと時だった。
「食べ終わったら、一緒に村に戻ろう。お父さんもきっと心配してる」
「……心配などしているものか。きっと我の事などどうでもいいんだ」
「そんなことないよ。子供を愛していない親なんて、きっと存在しないはずだから」
「そうだろうか……我には分からぬ」
ソルブレアが少し寂しそうにしていることに気が付いたライアは、その小さな頭を優しく撫でる。さらさらした銀髪が指先を優しくさらい、小ぶりな二本の角がゴツゴツとして気持ちが良かった。
「……ん?」
さわ。
さわさわさわさわさわ。
あるはずのない突起に、ライアはつい意識を指先に集中させる。
「お、おい! なんだくすぐったいぞ! や、やめろっ」
ソルブレアが身を捩りライアの手から逃れようとするが、ライアは夢中でそのゴツゴツした感触を確かめる。
「……角が……生えてる……?」
「あははっ、死んじゃうっ、死んじゃうからやめてっ……!」
ソルブレアの懇願などどこ吹く風。
ライアの頭はさっきまでの話を猛烈な速さで振り返っていた。
魔王。
バハムート。
この辺りでは見たこともないドレス。
人間には決して存在しない、角。
それらを繋ぎ合わせると──答えは一つ。
「……本当に……魔王の、娘……?」
角に触れていた手がぱたりと膝に落ちる。ライアは口を半開きにしたまま、目の前の少女をまじまじと見つめた。
「はぁ……はぁ……やっとやめおったか……笑いすぎて死ぬかと思ったぞ……!」
ソルブレアはどうやら角が弱いらしく、肩で息をしながら呼吸を整えていた。
「嘘……え……そんな……」
「ん? なんじゃぼーっとして。肉が冷めてしまうぞ」
「あ、ああ……」
ライアはソルブレアの言葉になんとか反応すると、小さく肉を齧る。
食欲はとうに失せていたが、それでも新鮮なコレアボアのステーキはライアに食事を再開させるに十分な美味しさだった。
「という訳でだ」
「ん?」
あまりの衝撃に、ライアは直前まで会話していた内容が頭から飛んでしまい、曖昧な相槌を打つことしか出来ない。
「我は、バハムートを自分で捕まえようと思う」
「……そう、なんだ」
自分のキャパシティを大きく逸脱したスケールの話に、ライアはそう吐き出すことしか出来ない。魔王も、バハムートも、ライアの人生には全く関わり合いのない話だった。
「奴は魔界のどこかにいるはずだからな。捕まえられないことはないだろう」
「……そうだね。捕まえられるといいね」
ライアは本心からそう呟いた。
ソルブレアとはまだ出会って間もないが、この小さなお姫様の願いが達成されればいいなと心から思ったのだ。
「ところで人間。人間界にはこのような美味しい食べ物が沢山あるのか?」
ソルブレアはライアが食べているステーキを指差す。
「ん、ああそうだね。沢山あると思うよ。肉に関しては、これが一番だと思ってるけど」
「そうか……」
ライアの返答に、ソルブレアは何事か考えこむ──ちらちらと物欲しそうにステーキを盗み見ながら。
「えっと、もしかしてお腹が空いて──」
「よし決めた!」
「うわっ」
突然の大声にライアがびくっと肩を震わせる。
「我は暫く人間界を楽しむことにした。そして人間、貴様には我の案内役をさせてやろう」
「……は?」
「誉に思うがいいぞ。次代の魔界の王たるこの我の案内役に任命されたのだからな」
「案内って……どこに?」
「それをお主が考えるのだ。人間で賑わう街はないのか?」
「それなら……王都かな」
──王都。
ライアの表情が僅かに翳る。
十三歳で冒険者になってから、ライアは何度か王都のギルド本部に足を運んでいた。コレア村の出張所では受けられない依頼の確認や、報酬の受け取り。その度に、ランクを確認した受付嬢の微妙な表情を見て、足早にギルドを後にしていた。
二年前もそうだった。カウンターで依頼の手続きを済ませて帰ろうとした時、後ろから野太い声が飛んできた。
『おい。まだE級かよ、お前。学院出たばかりのガキでもすぐD級に上がるってのに──冒険者舐めてんのか?』
周囲の嘲笑。それに乗じて飛んでくる声。
『あいつ魔法使えないらしいぜ』
『二年もE級って、逆に才能だろ』
心の底からこちらを馬鹿にするような嘲りの視線が、何年経ってもライアの胸の奥にこびりついている。
「……どうした? 嫌なのか?」
「いや……嫌って訳じゃないけど」
村を離れればその間の稼ぎがなくなる。妹のことも気になる。断る理由はいくつかあった。
だけど、それは本質的じゃない。
王都を案内するのなんて精々二週間程度の話だ。蓄えがない訳ではないし、妹には母がいてくれる。
結局、嫌な思い出から逃げているだけだ。
「なんじゃ、不服か?」
「……いいよ。案内役、引き受ける」
ライアは小さくため息をついた。この子に逆らっても無駄だということは、もう分かり始めていた。
「決まりじゃな! そうと決まれば我はその肉がもう一枚、いや二枚食べたいぞ!」




