第21話 未知との遭遇
一日目の夜。
パーティは岩陰に野営していた。火は焚かない。魔界では火が魔物を引き寄せるとディークが言った。冷えた携行食を暗闘の中で口に運ぶ。味はしない。
交代で見張りを立てた。ディークとエルマが最初の番、次にレクトとセレスティア、最後がライアだった。ライアの見張りにはディークが付き添った。一人にはさせない、というのがこの夫婦のやり方だった。
「……ディークさん」
「ん?」
「今日、一度も魔物に会いませんでした。これは本当に普通じゃないんですか」
ディークはしばらく黙っていた。暗闇の中で、灰色の目が微かに光っている。
「俺は魔界に八度入って、当然、八度帰ってきた。その中で魔物と半日だって遭遇しなかったことは一度もない。丸一日は──あり得ない」
「……怖いですか」
「当たり前だ」
ディークの即答に、ライアは少し驚いた。
「魔界に入って怖くない奴は二種類しかいない。嘘つきか、死人か。──怖いのは正常だよ、坊主」
「ディークさんでも?」
「俺も、エルマもだ。毎回怖い。でも、帰って会いたい相手がいる。だから必死に帰るんだ。──お前もそうだろう?」
「……はい」
「なら、怖がったまま進め。恐怖を消そうとするな。恐怖がお前を生かす」
ディークはそれだけ言うと、再び闇の中に目を凝らした。
◆
二日目の昼。
異変は、前触れなく訪れた。
ライアの胸の奥で、魔力が激しく波打った。今までとは質が違う。昨日からずっと感じていたざわめきが、一瞬で激流に変わった。全身の血が沸騰するような感覚。
「──っ!」
ライアが胸を押さえてよろめいた瞬間、ディークが叫んだ。
「全員、止まれッ!」
遅かった。
地面が──いや、空間が震えた。空気そのものが悲鳴を上げたかのような圧力が、上空から叩きつけられた。ライアの足が地面にめり込む。息が出来ない。全身が押し潰される。
「上よ!」
エルマの声。ライアが見上げた先に、それはいた。
ドラゴンとは違った。もっと──もっと根源的な恐怖だった。
空を覆うように巨大な影が広がっている。翼のように見えるが、翼ではない。影そのものが生きているかのように蠢き、その中心にある暗黒の身体から、三対六つの目が赤く燃えていた。
あれが何なのか、ライアには分からなかった。だが分からなくても理解できた。あれは人間が戦っていい存在ではない。この世界の秩序の外側にいる何かだ。
ディークの顔から血の気が引いていた。八度も人類の踏破地域を広げた男が、盾を構える手を震わせている。
「……上位、魔物だ」
絞り出すようなディークの声に、全員の身体が凍りついた。探索記録に名前すら載っていない──未踏破地域の存在が、なぜここにいるのか。
「嘘だろ……入口付近にこんなのが……!」
レクトの声が裏返っていた。二振りの曲刀を抜いているが、刃先が震えている。
「来るぞ! 散開!」
ディークが盾を構えた瞬間、影が落ちてきた。
地面が爆ぜた。ライアは衝撃で吹き飛ばされ、岩に背中を打ちつけた。視界が白く明滅する。痛みよりも先に、息が止まった。
──何が起きた。
粉塵の中で、剣戟の音が聞こえた。セレスティアが動いていた。氷の刃が空を裂き、上位魔物の影を切り刻む。だが、切った端から影が再生していく。
「効かないッ……!」
セレスティアの声に焦りが滲んでいた。氷の魔法を次々に放つが、上位魔物はそれを物ともしない。六つの赤い目が、嘲笑うようにセレスティアを見下ろしている。
「俺が行く! 援護しろ!」
レクトが飛び出した。二振りの曲刀に風の魔力を纏わせ、上位魔物に斬りかかる。『烈風』の二つ名に恥じない鋭い斬撃が、影の身体に叩き込まれた。
──だが。
上位魔物の腕が動いた。影で出来た腕が、レクトの身体を横薙ぎに払った。
それだけだった。
嫌な音がした。人間の身体から出てはいけない音だった。レクトの身体が二つに千切れ、上半身と下半身が別々の方向に飛んでいった。曲刀を握りしめたままの右腕が、さらに別の場所に落ちた。深緑のマントが赤黒く染まりながら、ゆっくりと地面に落ちた。




