第19話 出発前夜
顔合わせの後、ライアはギルド本部の一階にある送金所を訪れた。
送金所は受付カウンターの裏手にひっそりとある小さな窓口で、冒険者が故郷の家族に金を送るための施設だ。利用者はそれなりに多く、窓口の前には簡素な椅子が幾つか並んでいる。
ドラゴンの角の売却価格は、ライアが想像していたよりもずっと高かった。A級昇格に伴う支度金も加えると、コレア村で一年は暮らせる額になる。ライアはこれからかかるであろうソルブレアのご飯代だけを手元に残し、残りの全額を送金用紙に書き込んだ。
「コレア村、フィレクシア家宛てでお願いします」
窓口の職員は書類を確認し、淡々と処理を進めた。判を押し、控えをライアに差し出す。
「──なお、送金者が死亡または一定期間連絡が途絶えた場合、ギルドに預託されている未送金の報酬および遺品は、登録先のご家族に送付されます。登録先の変更は随時受け付けておりますが、現在の登録先はこちらでよろしいですか」
事務的な声だった。毎日、何十人もの冒険者に同じ説明をしているのだろう。
「はい、そのままで」
ライアは控えを受け取って送金所を出た。一仕事をやり遂げた後のような、不思議な充実感がライアの胸に生まれていた。これで、自分に何かあっても母とリーナがすぐに困ることはない。
──自分に何かあっても。
その言葉を、頭の中で反芻した。現実味がなかった。でも、明日それが現実になるかもしれない。
◆
夜。ハンナ亭の二階。
ライアはテーブルに便箋を広げて、羽根ペンを手に取った。母に、手紙を書こうと思った。
明日、魔界に行く。そのことを伝えるべきだと思った。でなければ、もし自分が帰ってこなかった時、母はライアが何をしていたのかも知らないまま、ギルドからの事務的な通知だけを受け取ることになる。
──母さんへ。元気です。
そこで筆が止まった。
元気です、の次に何を書けばいい。「魔界に行きます」と書けば母を不安にさせる。「大丈夫です」と書けば嘘になる。「必ず帰ります」と書けば──もし帰れなかった時、この紙が母を一番苦しめることになる。
ライアは便箋をじっと見つめた。それからペンを置き、白紙のまま畳んでポケットにしまった。
「何をしておるのじゃ、暗い顔をして」
声がして振り返ると、ソルブレアが布団の上に座っていた。いつの間に起きたのか、金色の瞳がじっとライアを見ている。
「明日、魔界に行くんだ」
「知っておる。ハンナから聞いた」
ライアからそれを聞いたハンナは、暫くの間、二階に住まないかと二人に申し出た。唐突な連泊の申し出にライアは遠慮したが、押し問答の末、今日もライアたちはここに泊まっている。
……ハンナの頭の中にはハイゼンの存在があった。ライアが帰ってこない未来を想像すると、ソルブレアを放っておけるわけがなかった。ソルブレアが魔王の娘だということをハンナは知らない。
「なんとかの花、見つかるといいのう」
ソルブレアはふわあと欠伸をしながら、軽い調子で言った。ライアの妹のことも、花を探しに魔界に行くことも、全部知っている。知った上で、この子にとってはその程度の重さなのだ。
「ソルブレアちゃんは、魔界のことなら何でも知ってるんだよな。何か教えてくれないか。気をつけることとか──」
「我は魔王城の周りしか知らぬぞ。人間が歩くような場所のことなど分からぬ」
「……だよね」
「まあ、お主なら大丈夫じゃろう」
「え?」
「我の魔力を持っておるのだからな。そう簡単には死なぬはずじゃ……多分」
「多分って……」
「知らぬ。人間に魔力を入れたのは初めてだと言ったじゃろう」
ソルブレアはそっぽを向いた。励ましているのか不安にさせたいのか分からなかったが、この子なりに心配しているのだろう。
「ソルブレアちゃん、俺がいない間……ハンナさんに迷惑かけないでくれよ」
「失礼な。我ほど行儀のよい客はおるまい」
昨日、煮込みハンバーグを顔中に飛ばしながら食べていた記憶があるが、ライアは黙っておいた。
「お主がいない間、我は我で人間界を楽しんでおく」
ソルブレアはごろんと布団に転がり、毛布を引っ張り上げた。金色の瞳が毛布の隙間からライアを見ている。
「……早く帰ってこい」
ぼそりと、毛布に半分埋もれた声だった。
「一人で飯を食うのは、つまらぬからな」
それだけ言うと、ソルブレアは毛布を頭まで被ってしまった。小さな身体が丸まって、すぐに寝息が聞こえ始めた。
ライアは窓辺に寄りかかった。明日の朝、ここを出る。次にこの窓から王都の夜景を見るのは──いつだろう。
ポケットの中の白紙の便箋に触れた。
──必ず、帰ってくる。




