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落ちこぼれが魔王の娘を拾ったら  作者: 遥透子@『推し推し』『売れ残りエルフ』書籍化&コミカライズ


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第15話 『悠久』のハイゼン

 図書館を出ると、空が茜色に染まり始めていた。


 ライアはハンナ亭への道を歩きながら、頭の中を整理した。魔界の地図はほとんど白紙。探索記録は途中で途切れているものばかり。≪白楼の花≫の情報は四年前から一文字も増えていない。そしてセレスティアの、あの淡々とした声。


 ──死ぬわよ。


 分かっている。分かっていて、行くしかない。

 ハンナ亭の暖簾をくぐると、ソルブレアはカウンターの椅子の上で丸くなって寝息を立てていた。ハンナのショールが小さな身体にかけられている。もはや定位置だった。


「お帰り。ずいぶん遅かったね?」


 ハンナは厨房で大きな鍋を火にかけていた。さっきの煮込みハンバーグ──ではない。もっと量が多い。鍋が二つ並んでいて、片方にはスープ、もう片方にはシチューが入っている。明らかに店の営業だけでは使い切れない量だった。


「ハンナさん、それ……随分多くないですか?」

「ああ、これ? これはうちの分じゃないの──ねえ、ちょっとお願いがあるんだけど」


 ハンナは鍋の蓋を閉めると、棚から大きな籠を取り出した。パンが何個も詰め込まれている。


「この近くに小さな孤児院があってね。週に何回か、ごはんを届けてるの。今日がその日なんだけど、鍋が重くて一人だと大変で。手伝ってくれない?」

「もちろん」


 ハンナは鍋を一つ抱え、ライアがもう一つの鍋とパンの籠を持った。ソルブレアは起こさず、そのまま寝かせておくことにした。


 ハンナ亭から裏通りを二つ曲がった先に、その建物はあった。

 孤児院、というよりは少し大きな民家といった風情だった。木造の二階建てで、壁は何度も塗り直した跡がある。庭先には粗末だが手入れされた花壇があり、洗濯物が夕風にはためいていた。入口の横に『ハイゼンの家』という小さな看板が掛かっている。


「ハンナお姉ちゃんだ!」


 扉を開けると、子供たちが駆け寄ってきた。七人。五つくらいの幼児から十歳前後の子供まで。皆、身なりは質素だが顔色は悪くない。ハンナを見ると、目を輝かせて取り囲む。


「はいはい、慌てないの。今日はシチューだよ──この人はライアくん。お手伝いしてくれたの」


 ライアが鍋を食卓に運ぶと、子供たちはいそいそと自分たちで皿と匙を並べ始めた。慣れた手つきだった。奥から白髪の老婦人が出てきて、ハンナに頭を下げた。


「ハンナちゃん、いつもすまないねえ」

「気にしないでっていつも言ってるでしょ? こっちも子供たちで味を試してるから助かってるの」


 それは明らかに用意してきた言葉だったが、老婦人はそれ以上は何も言わなかった。

 子供たちがシチューを頬張る姿を見ながら、ライアはふと入口の看板を思い出した。


「ハンナさん、『ハイゼンの家』ってなんですか?」

「ルドルフ・ハイゼン。A級冒険者だった人よ」


 ハンナはパンを切り分けながら、静かに言った。


「七年前、この辺りで流行り病が出たの。子供ばかりが罹る、酷い病気。王都の薬師にも治せなくて、毎日のように子供が死んでいった」


 ライアの手が止まった。


「ハイゼンさんは、魔界に薬の素材を探しに行った。それまで誰も採取に成功したことのない素材だったけど、彼は持ち帰ったの。おかげで薬が作れて、残っていた子供たちは助かった」

「……ハイゼンさんは」

「帰ってこなかったわ」


 ハンナの声は穏やかだった。悲しみを通り越して、もうずっと前に受け入れた人の声だった。


「素材だけが、仲間の手で届けられたの。ハイゼンさんは素材を仲間に託して……そのまま」


 ライアは黙って聞いていた。


「助かった子供たちの中に、身寄りのない子が何人かいてね。ハイゼンさんの仲間たちがお金を出し合って、この家を買ったの。それが『ハイゼンの家』」


 食卓では、子供たちが賑やかにシチューのおかわりを争っている。一人の女の子がパンをちぎって隣の小さな男の子に分けてやっていた。なんとなく、二人は姉弟のように見えた。


「ハンナさんは、その頃からここに?」

「私は店を始めてからね──何となく、ほっとけなくて」


 ライアは子供たちの顔を見渡した。美味しいご飯を腹いっぱい食べて、温かい場所にいて、笑っている。七年前、一人の冒険者が命を懸けて持ち帰ったものが、今この瞬間もこの子たちの命を支えている。


 ──この部屋の記録は、全て誰かの命で書かれたものよ。


 セレスティアの言葉が、不意に蘇った。


 図書館で読んだ記録。途中で途切れた日誌。「未帰還」の走り書き。あの記録の向こう側には、ハイゼンのような人間がいたのだ。命を落としてでも、何かを持ち帰ろうとした人間が。その「何か」が、巡り巡って子供たちの腹を満たしている。


 魔界に行くことは、死ににいくことかもしれない。だが、ただ死ににいくだけではない。


「ライアおにーちゃん、シチューおいしいよ!」


 女の子が笑いかけてきた。ライアは少し目を細めて、笑い返した。


「……そうだな。ハンナさんの料理は、美味いからな」

「でしょう?」


 ハンナが得意そうに腕を組んだ。



 帰り道、ハンナと並んで裏通りを歩きながら、ライアは空を見上げた。星が出始めている。コレア村で見るのとは違う、街の明かりに負けてしまいそうな弱い星空だった。


「ハンナさん」

「ん?」

「ありがとうございます。今日、あそこに連れて行ってくれて」

「お礼を言うのは私のほうよ。手伝ってくれてありがとね」

「それを言ったらご飯だって──」

「その話はもう終わり。私ね、困ってる子にご馳走するのが好きなのよ」


 ハンナはそう言って前を向いた。裏通りの先を、ハンナ亭の小さな灯りが照らしている。

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