第13話 王立図書館
ギルド本部を出たライアを、午後の陽光が照らした。
胸元のギルドカードに刻まれたA級の紋章を、ライアは親指でなぞった。ずっと欲しかったものだ。これさえあれば魔界に行ける。魔界に行ければ≪白楼の花≫を探せる。≪白楼の花≫が見つかれば、リーナを──
だが、ライアは何も知らなかった。
魔界がどれほど広いのか。どんな魔物がいるのか。≪白楼の花≫がどこに自生しているのか。何も分からないまま飛び込んで、死んだら意味がない。残された母とリーナはどうなる。
──まず、調べよう。
魔法が使えない。戦闘能力もない。だったら、せめて知識だけでも武器にしなければ。ライアの足は王都の中心に向かっていた。
王立図書館。
王都グランフェスの知の殿堂とも呼ばれる巨大な石造りの建物は、ギルド本部から大通りを東に進んだ先にあった。冒険者ギルドが王都に蓄積されている魔界の探索記録は、全てここに原本が収められている。
重い木の扉を押し開けると、静寂がライアを包んだ。天井の高い閲覧室。窓から差し込む光の柱の中を、微かな埃が舞っている。壁を埋め尽くす書棚の列が、奥へ奥へと続いていた。
受付でA級のギルドカードを提示すると、受付係の目が僅かに見開かれたが、何も言わずに通してくれた。
三階東棟──魔界資料室。
扉を開けた先には、壁一面の書棚と、中央に並ぶ閲覧用のテーブルがあった。棚には革表紙の分厚い記録集、羊皮紙を綴じた古い日誌、筒に丸められた地図。人類がこれまで命懸けで魔界から持ち帰ってきた情報の全てが、ここに集められている。
ライアは期待を込めて最初の棚に手を伸ばした。
──三十分後。
ライアは閲覧テーブルに突っ伏しそうになっていた。
魔界の地図を広げてみた。探索済みの範囲が線で区切られ、地形や魔物の出現域が細かく書き込まれている。だが、その線の外側──人間界との境界から少し入っただけの、ごく僅かな範囲を過ぎると、地図は白紙になっていた。白紙というのは比喩ではない。文字通り、何も描かれていない。魔界の広大さに対して、人類が把握している領域はあまりにも小さかった。
探索記録も開いてみた。A級冒険者たちが実際に魔界を歩いた記録だ。読めば魔界の実態が分かるはずだった。だが、記録は途中で途切れているものが多かった。ある日誌には、丁寧に書かれた文字が途中から急に乱れ、最後のページにはただ一行──「ここより先、未帰還」と走り書きされていた。日付の上に褐色の染みがついている。血痕なのか、それとも別の何かなのかは分からなかった。
そして≪白楼の花≫。
四年前、冒険者になったばかりの頃にもこの図書館を訪れたことがある。リーナの病気に効く薬はないかと、当時のライアは片端から資料を漁った。その時に見つけた≪白楼の花≫の記述が、冒険者を続ける理由の一つになった。
あの時と同じ棚から、同じ本を引き抜いた。同じページを開く。
──≪白楼の花≫。万病を治癒する効果を持つとされるS級アイテム。未踏破地域に自生していると考えられる。人類による意図的な採取の成功記録はない。過去に未踏破地域から風に乗って飛来したものを偶然入手した事例が一件のみ。
一字一句、四年前と同じだった。新しい情報は何も加わっていない。四年という歳月を重ねても、誰一人として≪白楼の花≫に近づけた人間はいなかったのだ。
ライアは本を閉じた。
分かっていたはずだ。人類の探索記録で最も奥まで到達した地点ですら、広大な魔界のほんのつま先に過ぎないことを。魔界の未踏破地域。A級冒険者すら帰ってこられぬ場所。そこに生えている花を取りに行く。
頭を抱えたくなった。A級になれば道が開けると思っていた。だが、A級はゴールどころかスタートラインですらなかった。
──それでも、行くしかない。
ライアは顔を上げた。駄目でも、今できることをやるしかない。一つでも多くの情報を頭に入れておこう。それが自分にできる、唯一の準備だ。
立ち上がって次の棚に向かおうとした時、資料室の奥に人影があることに気がついた。
奥のテーブルに、一人の少女が座っていた。
蒼銀の髪に薄水色の瞳──先程ギルドでライアを助けた少女、セレスティアだ。彼女も用事を済ませた後にやってきたらしい。
セレスティアは、テーブルの上に大量の資料を広げていた。地図が何枚も重ねられ、探索記録がいくつも開かれ、彼女自身の手帳には細かい文字がびっしりと書き込まれている。羽根ペンを走らせるその横顔は、ギルドで見せた冷たい表情とは少し違っていた。何かに追われているような、切迫した空気があった。
彼女がここに通い詰めているのは、今日が初めてではないのだろう。テーブルの上の資料の量が、それを物語っている。
ライアは気付かれないように棚に向かおうとしたが、目的の探索記録がセレスティアが使っているテーブルの上に積まれていた。
……声をかけるしかない。




