第12話 『氷華』のセレスティア
冷たく、澄んだ声だった。大声ではない。それなのに、その声は刃のようにホールの喧騒を両断した。
「何だあ?」
ドルガンの拳が、止まった。振りかぶった姿勢のまま声の方に目を向ける。ライアも、受付嬢も、ホールにいた全員が、入り口を振り返った。
逆光の中に、一人の少女が立っていた。
淡い蒼みを帯びた銀髪が、宝石のように輝いている。冒険者には珍しい流麗な軽鎧を纏い、腰には細身の剣。薄水色の瞳が、ホールの奥──ドルガンの顔を、真っ直ぐ射抜いていた。
ホールの空気が変わった。先程までの粗暴な熱気が、まるで冬の窓を開けたかのように冷えていく。
「……おい、あれは」
「氷の姫騎士──『氷華』のセレスティア!?」
「アイゼンベルクの王族だろ……俺、初めて見たぜ」
ドルガンの顔から、余裕と笑みが消えた。
静まり返ったホールに硬い靴音が響く。セレスティアは迷いのない足取りでホールを横切ると、薄水色の瞳でドルガンを見上げた。身長差は頭二つ分はある。だが、見上げる側が圧倒しているという異様な光景だった。
「ギルド内での暴力行為は規約違反よ。まして相手はE級。B級の魔法拳を受ければ死ぬわ──それとも、あなたはギルドの中で殺人を犯すつもり?」
A級とB級──隣り合った二つのランクの間には、途方もない距離が開いている。くぐってきた修羅場の質が違うのだ。『魔界』の土を踏んだ経験のある者にしか宿らない独特の凄みが、セレスティアにはあった。
ドルガンがライアの胸倉から手を離した。ライアの足が床に着く。ドルガンは舌打ちをして一歩退いたが、まだ毒気は抜けていない。
「……別にてめえにとやかく言われる筋合いはねえよ、『お姫様』。俺はただ、こいつがドラゴンを倒したなんて嘘を確かめてやろうとしただけだ」
「嘘?」
セレスティアの視線が、カウンターの上の漆黒の角に向けられた。角を手に取り、ゆっくりと回して確認する。切断面に指を這わせ、角の根元に鼻を近づけ、そして光に翳した。その所作には、明らかに専門的な知識に裏打ちされた精密さがあった。
「……ブラックドラゴンの第二角。切断面の魔力残留から見て、切り取られたのは遅くても昨日。角の根元に戦闘時の魔力灼けがある──直前まで生きていた個体から切り取られたもので間違いないわ」
ホールがざわついた。セレスティアは角をカウンターに戻すと、ドルガンに向き直った。
「ドラゴンの角は偽造できない。そしてこの角の根元には戦闘時の魔力灼けが残っている。つまり生きた個体と交戦し、切り取られたもの。死骸から拾ったものや、闇市に流れるような古い角とは全く違うわ。あなたも冒険者なら、そのくらいは見分けられるでしょう?」
ドルガンは黙った。ドラゴンなどまともに相対したこともない。勿論、素材の見分けなどつくはずもなかった。
「そしてもう一つ」
セレスティアはホールを見渡した。薄水色の瞳が、嘲笑を浮かべていた冒険者たちの顔を一人ずつ舐めるように捉えていく。目を合わせた者から順に、耐えきれず視線を逸らしていった。
「ドラゴンは、まぐれで倒せる相手ではないわ」
静かな声だった。しかし、その一言に込められた実感は、この場において何よりも重たかった。
「A級が複数パーティで挑んでも犠牲者が出る。綿密な作戦を立て、地形を吟味し、慎重に退路を確保し、それでも討伐できる保証はない。そんな相手を──この人がどのような手段で倒したのかは私にも分からない。だけど、結果はここにあるわ。生きたドラゴンから切り取られた角という、否定しようのない結果が」
ホールは完全に静まり返っていた。ドルガンですら、もう口を開こうとしなかった。
セレスティアは受付嬢に向き直った。
「A級冒険者、セレスティア・ヴィンターハルト・アイゼンベルクとして意見を述べるわ。この角は本物よ。ドラゴン討伐の証拠品として、十分に有効。──審議の必要はないと、私は判断する」
受付嬢は一瞬躊躇した後、背筋を伸ばした。A級冒険者の鑑定と証言。これ以上の審査は、もはや形式的な意味しか持たない。
「──ライア・フィレクシアさん。A級冒険者への昇格申請、即日受理いたします」
誰も、異を唱えなかった。
ドルガンは忌々しげにライアを一瞥すると、舌打ちを残してホールの奥に消えていった。その背中を見送りながら、ライアはようやく息をついた。胸倉を掴まれていた箇所がじんじんと痛む──情けない話だが、もしセレスティアが来なければ、本当に殺されていたかもしれない。
ライアはセレスティアに向き直った。蒼銀の髪の少女は、既に興味を失ったようにカウンターに歩み寄り、自分の用件を済ませようとしている。
「あの──ありがとうございました」
セレスティアの足が止まった。薄水色の瞳がちらりとライアを見た。
「別にあなたを助けたわけではないわ。ギルドの中で暴力が罷り通るのが不愉快だっただけ」
それだけ言って、セレスティアはカウンターに向き直った。受付嬢に何か書類を差し出している。ライアのことなど、もう視界にも入っていないようだった。
(──A級は、多いに越したことはない)
セレスティアの目は既にカウンターの書類に向いていた。どうやってドラゴンを倒したかなど、正直どうでもいい。A級が一人増える。魔界を探索できる人間が一人増える。それだけが重要だった。
(──私は、急がなければならないのだから)
薄水色の瞳が、一瞬だけ翳った。だがそれはほんの一瞬のことで、次の瞬間にはクリスタルのような輝きを取り戻している。




