陰り2
夢は見なかった。重い頭を働かせながら、ゆっくりと瞼を開ける。
「ミエラ、起きた?」
視界にはクラウ、ヒルダ、セドリック――三人の心配そうな顔が並んでいた。返事もせずに何度か瞬きをし、左手を額に当てる。
「熱っぽい……」
右腕はまだ痛くて動かせそうにない。呼吸が荒いことに今更気が付いた。
「さっき、お医者さんに解熱鎮痛剤打ってもらったから。安心して」
今にも泣き出しそうな目で微笑むクラウに、小さく頷く。
一方で、ヒルダは腕を組んで眉間にしわを寄せる。
「それにしても、誰がこんなことを? 目的は何?」
最初から私を殺すつもりなら、揉み合いになんてならなかっただろう。それならば、考えられるのは一つしかない。
「たぶん、誘拐……」
「誘拐……!?」
三人は目を見開いて私を見る。
「それで、単独犯じゃないの」
組織的な動きをしているのだろう。思い出そうとすると、怖くて頭が痛くなってくる。思わず片手で頭を抱えてしまった。
ヒルダは軽く首を振る。
「でも、どうして? ミエラが狙われるようなことなんてしてないでしょ?」
「……私には、そうは思えませんけどね」
セドリックの発言に、ヒルダは両手で口を覆う。
「じゃあ、犯人の目星がついてるの?」
「ある程度は」
セドリックは小さく唸り声を上げ、目を伏せる。
「二人とも、ミエラの前で話すことじゃないよ。話したいなら、廊下に出て」
これまでにない強い口調でクラウが言うので、ヒルダとセドリックは顔を見合せた。
「……昼食いただいてこようか。ね、セドリック」
「そうですね」
二人は静かに立ち上がり、私たちに背を向ける。扉が閉まると、クラウは盛大に溜め息を吐いた。そして、拳を震わせながら、申し訳なさそうな瞳で私を見る。
「ごめん、俺……また何もできなかった」
クラウが気に病むことではない。そうは思うのに、百年前のことを考えると言葉で否定してあげる勇気は沸いてこなかった。小さく首を振るだけに留まる。
「これまで、この世界でこんな事件は起きたことなんてないんだ。正直、焦ってる」
「……王様たちが『あれ』を止めたから?」
「だと思う」
「たった一ヶ月で、ここまで……」
窃盗、詐欺、果ては殺人――そんなことがこの世界でも起き始めるのだろう。考えるだけでも身震いしてしまう。
「そうなら、これからもっとこんな事件が増える。ミユが狙われることだって、またあるかもしれない。それでも……俺と一緒にいてくれる……?」
最後は声が萎んでいた。縋るような青と銀の瞳から目が離せなくなる。
正直に自分の気持ちを言うのは気が引ける。それでも、言わなければ何も伝わらない。唾を飲み、口を引いた。
「正直、言うとね?」
「うん」
本当に言ってしまってもいいのだろうか。一瞬だけ躊躇ったけれど、後には引けない。
「公爵夫人になりたくないって思っちゃった。クラウにも公爵になって欲しくない。誰かに譲れるなら、譲って欲しい。でも……無理なんだよね?」
「……うん」
クラウは悲しそうに目を伏せる。
「それなら、私はクラウについていく。行く先が地獄でも、私はクラウの隣を歩く。百年前から気持ちは変わらないよ」
クラウは顔を上げると、そっと微笑んだ。
「ありがとう……」
大きな手が私の左頬を包み込むので、私も笑顔を返す。
「アレクとフレアには俺から手紙で伝えておくから。ミユはもう怖かったことを思い出さなくていいから」
「うん、ありがとう」
その手は小刻みに震えていた。
私の身体も悲鳴を上げ始める。喉がカラカラだ。傍にあるスツールへ目を移すと、グラスとピッチャーが置いてあるのが映った。
「水、飲みたい」
「起き上がれる?」
「やってみる」
クラウの力も借りながら、なんとか左腕だけで身体を支えようと試みる。でも、どうしても右腕にも力が入ってしまい、激痛が走る。
悲鳴を上げると、クラウの顔も歪んだ。
どうにか腰を落ち着け、グラスを受け取る。ゆっくりと喉を潤していく。そんな時に、ヒルダとセドリックは戻ってきた。二人は歩きながら、クラウの方へと視線を向ける。
「クローディオ、ご飯に行っといで。ミエラは私たちが見ててあげるから」
「でも……」
「クローディオ。貴方まで倒れたら、私たちが困るんです。行ってきなさい」
「……はい」
セドリックは強い口調でクラウを促す。それにしても、クラウが素直に「はい」と言うところなんて初めて見た。アレクに対してでさえ、大人しく従ったことはない。
ちらちらとこちらを振り返りながらも、クラウは部屋を出ていった。それを見届けると、セドリックは鼻から息を吐く。
「クローディオはミエラのこととなると周りが見えなくなるようですね」
セドリックはまるで全てを見通すかのように目を細める。後でクラウが叱られなければ良いな、と扉を見詰めることしかできなかった。
セドリックは唸り声を上げた後、一度だけ窓の方を見遣る。
「ミエラ、クローディオがいないうちに確認しておきますね。犯人は窓を目指した。間違いありませんか?」
私も一緒に今は明るい窓へと視線を移してしまった。なるべく、その時に見たものを思い出さないように、震えながら小さく頷いてみせる。
「恐らく、犯人はミエラが夕食でこの部屋を離れている時に部屋に侵入した。ミエラと揉めた後、窓に用意していたロープを使って、屋敷外に逃走……犯人と思しき足跡が残っていたそうです。もしかすると、使用人のものなのかも、という疑念は晴れませんが」
事件が起きてからどれくらいの時間が経ったのだろう。そんなに捜査が進展しているなんて思いもしなかった。しかし、素直にそれを喜んでいいのだろうか。なにしろ、こんな事件が起きたのは世界初の出来事なのだ。すぐに犯人を捕らえられるとは思えない。また襲われるかもしれない事実に、熱があるはずの手足は凍えていった。




