28.大人の悩み
昼下がりの便利屋、事務所には女性が2人。
本日はアルバイトの冬也は休み。便利屋の所長である宝生 千歳と、所員であり魔術師のティスタ・ラブラドライトだけ。ふたりは黙々と書類仕事をこなす。
お互いに仕事が一段落した後、コーヒーを飲みながら休憩。いつもなら世間話でもして時間を潰すところたが、今日は少し違う。
ティスタは真剣に悩んでいた。
弟子である冬也の魔術に対する真剣な姿勢と師である自分に対しての信頼、同時に感じる子犬のような可愛らしさに対して庇護欲を掻き立てられて、守ってあげたいと思うようになっていた。
今まで何人も弟子を取ってきたティスタがひとりの弟子にここまで感情移入するのは初めてのこと。孤独な魔術師だったティスタの心の隙間を埋めてくれる大切な存在になっている。
弟子入りした最初の頃、年の離れた弟のように可愛がっていたティスタの気持ちに変化が現れはじめたのは、冬也が大怪我をして入院した時。
ティスタから学んだ魔術を大切にしてくれている冬也の気持ちを知って、国定魔術師という立場でありながら独断でお礼参りまでしてしまうほど。
そして、極めつけは先日に盗み聞いた会話。冬也のティスタに対する感情は、師匠と弟子としてだけではなく、異性としても意識されていると意図せずに知ってしまった。
誠実な冬也に対して、ティスタ自身の心も彼を弟子としてではなく、ひとりの男性として少しずつ意識を向けはじめていた。
「……千歳さん」
「んー?」
マグカップに入れたコーヒーを飲みながら、千歳はティスタへと視線を向ける。パソコンのモニターを凝視したまま、ティスタは呟くように千歳へと質問をした。
「歳の差がある男女の交際ってどう思いますか……?」
「んっぶーーーーっ!?」
千歳は飲んでいたコーヒーを噴き出しながら、お笑いコントのように椅子から転げ落ちる。
「ちょっと大袈裟すぎませんかっ!?」
「い、いや、だって! 色恋沙汰とは無縁の魔術マニアのアンタが急にヘンなことを言うから!」
「そ、それは……そうですけど……」
「……恋愛相談?」
「そう、なるでしょうか」
ティスタは赤面しながら頷く。千歳も彼女の真剣な表情を見て、茶化せる雰囲気ではないと悟る。
「だったら、今日の仕事はここまで」
「は? いいんですか?」
「真面目な相談なんだろ。気になって仕事なんぞしてられるかっての」
千歳は優しく笑いながら、ティスタを事務所の来客用ソファーへと誘導する。ローテーブルを挟んで向かい合って座って、ティスタの恋愛相談を開始した。
「ティスタ、今日のアンタは便利屋を頼る相談者だ。守秘義務もしっかりと守るから遠慮なく話してみな。時間無制限、無料でアドバイスをしてあげるよ」
「そこまでしてくれなくても……」
「アンタは今まで人間も魔族も半魔族も分け隔てなく助けてきたんだ。それくらいのご褒美があってもいいと私は思うよ」
千歳は、ティスタが魔術師として多くの苦労を重ねてきたかを一番よく見てきたし、誰よりも苦悩してきたことを知っている。
魔術師として優秀であるが故に、お金にならないトラブルに首を突っ込んで大怪我を負う時もあった。助けの手を伸ばした相手に騙されたこともあるし、魔術師の家系というだけで白い目で見られることは今でもある。
心を閉ざしていたティスタが、ようやく所長である自分を頼ってくれた。千歳は心の底から嬉しかったのだ。
「さて、歳の差がある男女の恋愛がどうだって話だったか。たしか、あんた今年で――」
「あ、私の年齢の話はやめてください。自覚はしているんで」
「アンタも私からしたら若者だし、見た目年齢とか10代でもいけるくらいだと思うけどなぁ」
「年齢は口にするのも嫌で……それに、相手の年齢が……」
「あぁ、たしかトーヤ君は高校2年生の17歳、来年で18だし別にいいんじゃないか? それくらいの差、全然アリだって。」
冬也の名前を出された途端、ティスタの顔は耳まで真っ赤に染まっていく。
「え、あの、私はまだトーヤ君の名前を出してないのに……」
「わかるに決まってるだろうが。露骨だったぞ。最近、特に」
「うぅ……」
赤くなった顔を両手で覆って悶えるティスタを見ながら、千歳は苦笑い。
冬也と出会う前のティスタ・ラブラドライトという魔術師を知っていたら、こんな姿を想像できるはずもない。
幼い頃に魔術師の同胞の多くを喪い、若くして取った弟子も魔術師を辞めていく中、最近まで酒やギャンブルに溺れていた姿を千歳は一番長く見てきた。
便利屋の所長としてティスタの堕落した態度は叱るべきだったが、彼女の味わってきた苦労を知っている千歳は、彼女に向けて何も言えなかった。
そんな彼女を変えてくれたのは、弟子となった男への恋心。応援してあげたいと思うのは当然だ。
「職場内恋愛も仕事に支障がないなら全然構わないよ。好きにすればいいさ」
「ありがとうございます……」
「随分と素直になったもんだ。トーヤ君のおかげだね」
「か、からかわないで、ください……」
顔を真っ赤にしたままそっぽを向いてしまったティスタの様子を見て、千歳は思わず笑みが零れる。
「差し支えなければ教えてほしいんだが、彼を好き理由は?」
「……彼が、私から習った魔術を……私との時間を大切だって言ってくれた時、本当に嬉しくて……」
「トーヤ君が入院した時か」
ティスタにとって、あの時の冬也の言葉がどれほどの救いになったのか、付き合いの長い千歳ですら計り知れない。
「私の魔術を見る度にすごく嬉しそうな表情をしてくれるところとか、可愛くて……あと、一緒に遊びに言った時に私の瞳を見て綺麗だって言ってくれました……」
「脈アリどころか、もうそのまま突っ走ってもいいくらいイチャついてるじゃん」
「そ、そうですかぁ? んへへ……」
「ちなみにアンタ、恋愛の経験は?」
千歳の言葉を聞いて、ティスタの表情が凍り付く。
「皆無です」
「だよなー。そうだと思った」
「どういう意味ですか!」
「いや、だってさぁ……」
さっきからずっと思春期女子みたいな反応だぞ、という言葉を飲み込んで千歳は話を続ける。
「本題だ。具体的な相談は何か無いの?」
「現実的な話、私の歳だと結婚していてもおかしくないくらいなのに、まだ恋愛経験の無い私をトーヤ君はどう思うのかなぁと気になって……」
「深く考えすぎ。トーヤ君とティスタの歳の差で交際しているカップルなんて、世間にはごまんといるぞ」
「本当ですかっ?」
「アンタ、恋愛に疎そうだもんなぁ。気にしすぎだって」
「そうですか、それなら……」
ティスタは顔を赤らめたまま、穏やかな笑みを浮かべながら俯く。
千歳は、生きていく中で様々な若者が恋に夢中になる様子を見てきた。恋愛が人の心を豊かにするのは、魔術師も例外ではないらしい。
「でも、さすがに師匠と弟子の関係のまま男女の関係になるというのは良くないですかね……うぅーん……」
「真面目だなぁ。だったら、トーヤ君が魔術師として独り立ちしてから考えてみたらどうだい」
「なるほど、やっぱりそうするべきですよね……」
独り立ちした後に師匠と弟子の関係が絶えるわけでないが、区切りとしては一番良いタイミングだ。
「見習い魔術師から正式な魔術師への昇格って、どんな条件だっけ?」
「仕組みとしては単純ですが、条件が厳しめです」
師となった魔術師が弟子の魔術を「一定の水準を超えた」という判断をして合格をあげた後、更に魔術学院にて筆記試験や実技試験を合格すれば晴れて正式な魔術師となる。
それに加えてティスタのように「国から正式に認められた魔術師の推薦」があれば、冬也が魔術師になる試験の合格はまず間違いない。
しかし、この「一定の水準を超える」というのがあらゆる見習い魔術師の最後の壁になる。ここで挫折をしてしまう者は多い。
「師としてトーヤ君を見てきましたが、彼は今まで面倒を見てきた弟子の中で一番ポテンシャルが高いです。特に治癒魔術に関しては、最終的には私よりも精度が上がっていくと思います」
「なるほど、じゃあトーヤ君次第ってわけだ」
「……でも、彼には楽しく自由にゆっくりと魔術を学んでほしくもあります」
魔術を覚え、学び、磨きあげていくことを楽しんでいる冬也の姿を見るのは、ティスタにとって何事にも代え難い幸せだった。
冬也には、時間を掛けて丁寧に魔術を教えていきたい――ティスタの気持ちに変わりはないが、若いうちに様々な経験を積んでおいてほしくもある。そこでひとつ考えていることもあった。
「トーヤ君には、正式な魔術師となる前に魔術学院へ1ヵ月ほどの短期留学をしてもらおうかと考えています。私以外の魔術師から指導を受けるのも良い経験になりますから」
「留学の件、ちゃんと早めに相談しておいた方が良いかもね」
「……そうします」
ティスタの恋愛相談は、いつの間にか冬也の将来の話に変わっていた。