27.師匠と語る未来
しばらく沈黙が続く。
ティスタ先生は無言のまま、テーブル上のフォークに手を伸ばしてロールケーキを頬張る。これ以上、この場で語れることはないということなんだと思う。
僕は、目の前のコーヒーカップに手を伸ばして冷めきった中身を飲み干した。
正直、先生の話を聞いて驚きはしたけど、混乱も動揺もあまりしていない。
人間の醜さは、僕自身がこの身を以って知っているから。
先生がそう言うならそうなんだろうと、自分でも驚くほど冷めた感想しか出てこなかった。自覚がないだけで、実のところ僕は冷徹な半魔族なのかもしれない。
そんな自分に呆れていると、ティスタ先生がケーキを食べ終えた皿をテーブルに置いて話しかけてくる。
「質問があるなら、可能な範囲で答えます。教えられないこともありますけどね」
「…………」
魔界の滅びの真実。
人類の滅びの予兆。
これらが事実だとしても、僕にはどうしようもないことだ。
そんな僕の気持ちを察したのか、先生が優しく笑いかけてくる。
「本当なら、もっと早い段階で話しておくべきことでした。魔界の件は謝って済む問題ではありませんが、それでも謝らせてください。本当に申し訳ありません」
「先生が悪いわけでは……」
「いいえ。私は人間であり、魔術師です。魔界の滅びに直接的な関与が無かったとしても、贖罪する気持ちを忘れてはいけないのです」
私に関係ない。
私は知らなかった。
私にはどうしようもなかった。
そう考えることは簡単だが、先生はそうならなかったし、なれなかった。
だからこそ、人間への絶望は色濃く、今でも彼女の心を蝕み続けている。
償いきれない罪を背負って生きていくと、そう決めてしまっているんだ。
人類という種族のひとりとして悩み抜き、それが魔術師を続ける覚悟になっている。僕は、なんとなくそうなんじゃないかと思った。
「魔族が心血を注いで作り上げた魔術を使わせてもらっている身でありながら、私は誰も救えなかった。かつて、日本から追いやられた魔族たちの背中を思い出す度に思うんです。あのときの私は、もっとなにかできたんじゃないかと」
空になったコーヒーカップを見つめながら、先生が弱々しく呟く。
この国に魔族が共存する条件として、人間に大きな影響を与えてしまうほど強大な力を持った魔族は、日本から強制退去することになった。その魔族は、今も安住の地を求めて彷徨い歩いているかもしれない。
「私は……国定魔術師なんて称号を貰っておきながら、結局……なにも……」
今の先生に浮かぶのは、昔の後悔が大半。
これからのことを考える余裕がない。
だから、大切なことを忘れているんだろう。
「今、先生の目の前には……救われた半魔族がひとりいるんですけど……」
「えっ……」
「先生が思っている以上に、先生に感謝している人間や魔族はたくさんいます。僕は、先生の背中をずっと見てきましたから。その過程で、先生の周りに集まったひとたちのことも見てきました」
足元が見えていないと、当たり前の幸せや感謝を見逃してしまうものだと思う。
ティスタ・ラブラドライトという魔術師にとって「他者を救い、正しい道へ導くこと」は当たり前で、そんな当たり前の中で生まれる感謝や尊敬なんて些細なことなんだと思う。
だって彼女は、根っからの「善人」だから。
「数ヵ月とはいえ、一緒にお仕事をさせてもらったからわかりますよ。あなたは多くの人間や魔族に必要とされています」
空になったコーヒーカップを見つめながら、ティスタ先生は頬を紅く染めた。
「……キミは優しいですね。ありがとう、その言葉を貰えただけでも便利屋のお仕事を続けていた甲斐がありました」
先生は、今までの中でいちばん素敵な笑顔を浮かべた。こんな表情を見せてもらったからか、つい恥ずかしいことを口走ってしまう。
「やっぱり僕は、先生がいつもみたいに笑ってくれているのが嬉しいです」
「な、なんっ……キミぃ、そういうことを簡単に言うのはやめておきなさい。女性を勘違いさせてしまいますよ。大人をからかうものではありません」
「嘘じゃないですよ。僕、先生のお役に立つために魔術師を目指していますので」
「……あ、あの、あんまりそうやって持て囃されると……私、調子に乗ってしまいますよ……?」
「調子に乗っていただいて結構です」
尊敬する先生に、自分の好きな女性に、誰よりもがんばっているこのひとには、ずっと笑顔でいてほしい。
「先生の気持ちを聞けて本当に良かったです。僕も無関係ではないですし」
「あ、いやいや、キミを巻き込もうというわけではないんです。若い子が気にすることでは――」
「いいえ。弟子として、先生と一緒に問題に立ち向かいたいと思っています。今は未熟者ですが、これからも先生のお隣で一緒にお仕事をさせてください。お願いします」
「気持ちは私も嬉しいですけれど……他にもたくさんの道がありますから、今から決めなくてもいいんですよ。キミのようなタイプの魔術師は、きっと魔術を教える側に向いていますし」
「じゃあ、魔術の先生をやりながら便利屋のお仕事をするのもアリですね」
「……」
僕の言葉を聞いて、先生は呆れて笑いつつも嬉しそうだった。
言いたいことがたくさんあるに違いない。
便利屋稼業は良いことばかりじゃないとか、あんまり儲からないだとか、嫌な客の相手もしなきゃいけないとか。
「弟子にそこまで言ってもらえるなら、私の方から言うことはもうありません。師匠として、キミが正しく立派な魔術師に成長できるように全力を尽くします」
ティスタ先生が椅子から立ちあがった。
仮眠室に備えられた小さな冷蔵庫の中から数本の缶ビールを取り出してテーブルの上に並べる。
「……先生?」
「いやぁ、なんだか嬉しくなったら飲みたくなっちゃってぇ~!」
「えー……」
相変わらずお酒をたくさん飲むようで心配だけど、僕の目の前で躊躇せずに飲酒をするのは調子が戻ったということだと思いたい。
「お酒に合うおつまみ、作ってきましょうか」
「おぉ、さすが我が一番弟子! よろしくお願いしますッ!」
「任せてください」
事務所の給仕室に向かおうと立ち上がる僕に向けて、先生が何か思い出したように「ちょっと待った」と声を掛けてくる。
「見習い魔術師のキミに開示できる情報は、今はここまで。正式に魔術師と認められた者だけが知ることのできる話がいくつかあります。キミが見習いを卒業したときにゆっくりとお話しましょう」
先生は立ち上がって、僕の頭を優しく撫でてくれた。
嬉しいやら恥ずかしいやらで顔が熱い。
誰かに頭を撫でてもらうなんて、いつ以来だろうか。
「私が言えた義理ではありませんが……なんでもひとりで解決しようとせず、周りに頼ることを忘れないでくださいね。私のようになってしまいますから」
先生は、孤独だった。
ひとりで困難を解決できてしまう能力がある故に、誰かと一緒に歩むことが少なかった。この言葉は、僕が同じ道を歩まないためのアドバイスなんだろう。
「わかりました。先生のお役に立てる魔術師に……いえ、隣に立てる男になれるようにがんばります」
「あの……そういう言い方は女性を勘違いさせますよ……自重してください……」
「本気ですからね」
「そっすかぁ? ふぅーん?」
ティスタ先生が顔を真っ赤にしながら、テーブルの上のビール缶を手に取ってちびちびと飲みはじめた。
いつもの調子に戻ったと思ったけど、腰に手を当てながら一気飲みをしないのを見る限りだとまだ本調子じゃないかもしれない。
人類を滅ぼす呪い。
今を生きる魔族や半魔族の行く末。
人間と魔族が共存する今の世界には、様々な問題がある。
ひとりよりもふたりで。
ふたりよりもみんなで。
楽観的かもしれないけど、いつか様々な種族が手と手を取り合って困難を乗り越える日が来ると僕は信じたい。




