第四話 柔らかなあなたと
その日も春人さんが昼食を作りに家に来てくれた為、私は文机の上の原稿を持って寝室から居間に移動した。全部で三部屋程の小さい一軒家だが、一人で住むには十分だ。寝室に入りきらない本が居間の方に少々溢れてはいるが……。
初めの頃私は春人さんの手伝いをしようとか、正座して待っていようとかしたのだが「仕事してください」と言われるばかりだった。その為こうして仕事をする振りをして、台所で料理をしている彼を盗み見ている。が、見抜かれているらしく
「和仁さん、いつもそこら辺に投げてある紙、使わないなら僕が暇な時に遊んでもいいですか?」
トントン、と野菜を切りがてら話しかけてきた。
紙とは、小説の構想を練るのに使ったり、メモとして使ったりしたものを適当に千切ったものの残りだ。新しい紙に書き始めてやめにしたのが切れ端になることも多く、本棚の端に詰めるか、また使うと思い机に投げたままかになっている。増える一方なので、活用してくれるならありがたい。
「好きに使っていいですよ。それで、何をするんですか?」
「あなたの真似をして何か書いてみようかと」
くるりと振り返った彼がいたずらっぽく笑うので、これは何が出来るのか楽しみだ。
昼食を食べて暫くしてから、ちゃぶ台で作業していた彼が顔を上げた。「酷評はしないでください」と渡された紙を見てみると何やら短い話が書いてある。読めば、猫が人に悪戯をする話だった。思わずくすっと笑ってしまったので、私は少し心配そうな彼を見る。
「小話の才能がありますよ」
「本当ですか?」
「ええ」
「……じゃあこれ、いつか『先生』が世に出してくださいよ」
お世辞じゃないでしょ? と、いたずら心を隠しきらないで彼は言う。口元が少し猫に似た。
「一作だと難しいです」
「なら沢山書きます」
「楽しみにしておきます」
立ち上がった春人さんは、機嫌が良さそうに台所に歩いていく。
「今日は夜用に雁擬きの煮物も作りますね」
「え、いいんですか?」
彼はよく家に来て食事を作ってくれるのだが、煮物が一番多い。というのも私が「好き」と言ったからで。
「本当に春人さんの料理は美味しくて、幸せです」
「勉強した甲斐がありましたよ。和仁さん、いつもご飯と漬け物くらいしか食べないから。偶に豆腐だけの味噌汁」
「面倒で……」
「全くもう。あ、僕がいなくなっても困らないように作り方だけでも書いておきますから、好きなものくらい作れるようになってくださいね」
「……はい」
私は笑いながら頷く。
時折ちらつく別れは胸を締め付ける。それでも仕方のないことだし、彼は何でもないように明るく振る舞ってくれるので、私も見習わなければと思う。
春人さんの書いてくれた料理手順は簡潔で、面倒くさがりなところがある私が折れないように工夫されていた。それが嬉しくて、私は筆が乗らなかったり寂しかったりするとそれを読むようになったので、作ったことはないのに手順だけ丸暗記してしまったのだった。
ただ、それを話すと「作りはしないんですか」と拗ねたように顰めっ面で怒られて。
「時間が……」とか「値段が……」とか言い訳をしても「それがなんですか」と淡々と聞き返してくる。笑って誤魔化そうとしたら更に詰められた。
「栄養失調になったらどうするんですか」
言われて、心配をかけてしまったのだと反省した私は、極偶にではあるけれど食事を作ってみることにした。
するとある時、残りを冷蔵庫に入れていたら春人さんがそれを見つけて嬉しそうにした。彼に出したら「美味しい」と言ってくれたのが嬉しくて、私は時々作り置きして彼が来た時に出せるようにするようになった。もっとも、四回に一度くらいの頻度だったので大抵春人さんが何か作ってくれたのだったが。
「そういえば和仁さんはどうして筆名を『日下部ねこ太』にしたんですか?
ある日の昼食時。思い出したように彼が聞いてきた。
「『実家猫が可愛くて』って前見ましたけど、その子、ねこ太じゃないんでしょう?」
「実家猫の名前にしたら脳裏にちらつくので使えませんよ」
私は軽く笑う。
物書き仲間には嫌いな人間の名前を推理小説の被害者名に使う人もいるし、好きな演劇の人物名をこっそり拝借して恋愛小説でくっ付けている人もいる。しかし私はその人物が浮かんで集中出来ないので使わないのだ。
「それに『猫助猫左衛門』はちょっと……。なので名前は適当に決めました」
「それは日下部ねこ太で良かったかもしれないですね」
春人さんはからからと笑う。
「父のいたずらには困りますよ」
「可愛いと思いますけどね。猫助猫左衛門」
「あなたも父と同類ですか」
また春人さんが笑うので、私も一緒に笑って。
夕方頃に彼と過ごすこともあったけれど、温かい午後は束の間の逢瀬にちょうど良かった。いつか思い出す時に、思い出は柔らかい光で包まれていてほしい。




