第一話 桜の微笑み
桜が微笑み始めた境内。温かい午後の光を浴び、私は先日の小説の売り上げの報告と感謝をしていた。時間の割に人が居らず、のんびりとした空気だった。風もあまり吹かず、背の中程まで伸ばした髪もあまり靡かない。家では面倒なのでそのままだが、外では流石にゆるく下の方で結んでいる。
参拝したし帰ろうかと鳥居に向いた時、右斜め後ろから土を踏む草履の音がして、振り返れば建物の傍で桜の精が舞っていた。
いや、実際にはこの神社の息子なのだろう青年なのだが、そう言っても違和感のない人だった。彼と私の二人きりだったせいで、一瞬本当に人ならざる者なのではないかと疑ったくらいだ。
重心がしっかりとした軽やかな足運び、柔らかな手首、きっちりしつつ優しさのある手の平、風を泳ぐような長い黒髪……。白い、着物とは少し違う舞用らしい服は簡易で、下がズボンになっている。ゆったりとした袖が彼の腕を追い靡き、下ろせば金魚の尾ひれのようにその手の甲を恥ずかしげに隠す……。美しい以外に言いようがない。私はまるで何かに招かれるようにそろそろと近付いて。
彼は消えそうでいて力強さもある、雪のような氷のような凛とした美しさをしていたのに、目が合うと一瞬にして花が咲いたかに思えた。
私は暫くの間、彼の舞を眺めていた。
「――練習していたのに、恥ずかしいです」
「練習?」
私がずっと彼を見ており、終わったと同時に拍手したからか、彼ははにかみながら話しかけてきた。その瞬間彼が異界の住人から人間に戻ったような感覚がして私は少し安堵した。
目の前の優等生らしい顔立ちをした青年は柔らかな声質で、温かみのある人柄を思わせる。
「今年の夏祭りで舞うんです」
「あぁ、それで。とても綺麗でしたよ」
「そうですか? ありがとうございます」
神社では毎年祭りが行われる。花火はないが、祭りの中頃に神社の一人――確か長男か長女と決まっていた――が舞台へ立ち舞を披露するのだ。前に見たのは数年前、元恋人と回った時のことだったが恐らく彼の母親のものだったと思う。代替わりしたのか今年は彼らしい。
先程は私よりずっと大人びて見えたのに、今は二十と少し……年相応の年下の青年だ。彼は寄ってくると、きらりと顔を輝かせた。
「それはそうと『日下部ねこ太』先生ですよね?」
「私のことを、ご存知で?」
一瞬どきりとした。けれど彼は一段と顔を明るくする。
「もちろん! 大好きなんです!」
私は数年前に例の、祭りに一緒に行った元恋人に両性愛者であることをバラされ、一時話題になり多少生きにくくなった期間がある。それで離れていった者も割といる。元恋人もその一人だ。何故そんなことをしたのか心底理解出来ないが、彼女は私が男も好きなのが嫌で仕方なかったんだろう。まあ、過ぎた話だが。
話題の熱は冷めたものの私はそういう目で見られるようになってしまった。バレるのではないかと考えるのとはまた違う問題だ。そもそも図体がでかいせいで「怖い」と近寄ってきてくれる人が少なかった私なのだが、噂のせいで更に減った気がする。だが、偶にこうして話しかけてきてくれる人がいるのはとても嬉しい。それも、私のことを好きだという人が。
春人と言った彼とは、小一時間程話をした。初め立ち話だったが、縁側に座らせてもらった。
彼はきらきらした瞳で私を見上げ『百戦錬磨』の犯人の追い詰め方が華麗だったとか『夏金魚』の描写が綺麗で堪らないとかを伝えてくれた。本当に私の小説が好きらしくて嬉しかった。推理小説なんて難しいのに、どうやってそれらを思い付いたのかとか、いつもどんな風に書いているのかとか、裏話ももっと聞かせてほしいとか。
「へぇ、すごい! 沙耶の心の動きと、蓮司との関係のこと、そこまで練られたんですね。先生って結構外出しないと思っていたのに、隣町に五時間も?」
「実を言うと疲れましたけどね。それでも色々見れば勉強になるので」
「なるほど……」
彼は感心して、うんうんと頷くと
「隣町の橋の上、また同じものが見れますかね?」
以前訪れた時は、色とりどりの小さな傘や花が木製の欄干に飾られていて見事だった。
「どうでしょう。あの橋に飾り付けをするのは近くの和菓子屋の店主なんですが、彼は移り気がすごいですからね。もう同じものは見れないかもしれません。先日も『手すりの上に猫の置物』に変わっていましたし」
「そうですか……」
私への取材記事を書かせてくれと、偶に記者がやってきて小説の裏話なんかをすることがあるけれど、その他は出す場所もないのでこうして話しかけてきてくれた読者との時間に色々話す。大抵喜んでくれるので嬉しいのだが、こういう場合は少し申し訳ない。
「絵が描ければ良かったんですがね」
「いえいえっ。嬉しいです。先生のお話を沢山聞けるの。……あの、お時間よろしかったらもう少しだけ……」
「構いませんよ」
「ありがとうございますっ」
少年のように目を輝かせる彼に私は一つ一つ丁寧に答えながら、彼が楽しそうに好きを語ってくれるのを聞いていた。




