第十一話 いたずらねこ
数十年経ってのことだ。
この頃私は何度か祭りに足を運ぶようになっていた。舞を披露する時間に行けば春人さんに出会うこともないだろうと、その辺りの時間に隅の屋台でご飯だけを食べて帰った。それだけを何度かした。けれど今日は不思議と気が乗ったので、舞でも見てみようと境内の中心へと向かっていた。
春人さんは舞っていなかった。その娘……いや、孫だろう。彼によく似た美人な女性が水の精のように舞っていた。彼を思い出す、美しい舞だ。観衆は彼女に見惚れていた。
――舞を終え帰っていく彼女を見送り、まだもう少しいるかと私は近くの屋台に向かう。かき氷が売っていた。
懐かしいと思い出を辿り、数人が待っている列に並ぶ。少し縮んだ背で人の群れを見渡してみると、笑顔の他に賑やかな声が色々聞こえた。
「お母さん、あれ買って」
「舞良かったねぇ」
「次やきそば食べようよ」
「ヨーヨー釣りたい!」
色鮮やかな浴衣が絵の具のように辺りを彩り、特別な夜に皆浮かれている。子どもが何かを零したとかで慌てる親、手を繋いでいる恋人同士らしい若い男女、忙しく働く笑顔の屋台主。祭りらしい賑やかな光景だ。
あの日の帰り、私は足元どころか何も見えていなかった。家へ家へと意識が向かって。それでも、その一年前の祭りは楽しかったものだ。彼と二人で屋台を回って。あれからもうずっと一人だけれど、こうして人々を眺めているとその楽しさが伝わってきて心が弾む。
と、やはり今も普通より背が高くはあるからか、お社の階段に白い衣の者が数人見えた。先程の娘が舞を終えたのだろう、その側には家族がいたが、その中に春人さんもいるのが見えてしまった。けれど昔のように胸は苦しくならない。それどころかその微笑みに安心感すら覚えて。彼は、綺麗に老いたという印象だった。白髪になったからか、昔より更に温かみが増している。まだ元気そうだ。どうか幸せでいてほしいと、私は視線を列の前の人に戻して、順番が来たのでかき氷屋の店主にいちご味を一つ注文した。
祭りから数日後のことだった。
郵便受けに一通の手紙が届いていた。差し出し人は不明。けれどそれを開けてすぐに分かった。彼が寄越したのだと。
懐かしい筆跡で書かれていたのは、つい最近、私が死ぬ前にと出した短編集のこと。昔春人さんがふざけて面白おかしい物語を紙の切れ端に書いては「いつかこれを世に出してくださいよ」なんて笑ったので、多少加除修正はしたが現実にしてみたのだ。
もうあの頃への強い執着はなく、ただ思い出として向き合うことが出来た。逆に言えば、それだけ経たねば純粋な気持ちであの紙達に触れることや、約束を現実にすることは出来なかったのだが。
「先生のご友人は愉快な人だな」と好評だったのは、彼は嬉しかったろうなぁと思っていたら、手紙には「恥ずかしい」と書かれていた。今頃昔のいたずらを持ち出すのはやめてくれと。それを見て私は吹き出してしまった。あんなに楽しそうに喋っていたというのに。
「悪かったですよ」
もうしゃがれてしまった声で笑いながら呟く。
手紙の後ろの方には短編集以外について「相変わらず面白く」とか「あの話は『探偵シリーズ』にはない終わり方で背筋が震えました」とか、数十年分の小説の感想が書かれていた。まるであの日々が帰ってきたかのようだった。
窓から入ってくる日差しで古くなった畳に出来たひだまりに、一人座り込み微笑みを浮かべては一つ一つ返事をする。彼に聞こえないことは知っているが、話がしたかったのだ。また。
目を閉じれば、隣から彼の声が聞こえてくる気がする。こう感じてしまうと、やはり少し寂しいな。
もうただの読者と小説家だが、変わらず読んでくれていたことを知れて嬉しかった。
春人さんの手紙には、最後にもう一度短編集について「覚えていてくれてありがとうございます」とあり終わっていた。
手紙の返事は出来ない。差し出し人が誰か書いていなかったのはそういうことだ。そしてこれきり、彼から手紙が届くこともないのだろう。




