第十二話 旅路
春人さんから届いた手紙を開けてから、暫く経った晩のことだった。布団で寝ていると左に誰かがいる気がして、私は目を開けた。
……夢、だろうか。春人さんが真隣で仰向けに寝ている。
何故、どうして。言葉も出ず彼を見つめる。これまでどれだけ望んでも彼の夢を見ることなんてなかったのに。
ゆっくり体を横に向け
「春人さん……?」
そう呼んでみる。すると彼はゆっくりと目を開け私を見つめた。その穏やかな笑みは、老いても昔と変わらなかった。彼はその顔の側に手を置いて、こちらを向く。瞳は温かく光を灯していた。それがいつかの夜を、夕を思い出させる。
奥さんに悪い。だから触れないという選択も出来た。でも……どうせ夢なのだ。
私はそっと手を伸ばし、彼の指先に触れた。気付くと、その姿が若い頃に戻っている。自分の手に目をやると、どうやら私も同じようだった。ゆっくり手を繋いで、私は縋るようにその手に額を付けた。
「久しぶりですね、和仁さん」
もう呼ばれないと思っていた名前が彼の唇から紡がれて、私は顔を上げた。
「泣き虫になりましたか?」
「違いますよ。だってあなたが……」
ここにいるから。
伝ってきた涙を拭う。微笑みながら彼が起き上がり、私の手を取るので同じように正座する。色々と話そうとしたところで、自分の背後の布団で体が眠っていることに気が付いた。加えて今の私の足が布団に貫通していることにも。
私は完全に体から離れてしまっていて、自分がそこで寝ているという違和感を感じて数秒止まった。落ち着いて、今の状況を考えて春人さんを見つめる。
あぁ、私は死んでしまったのか。
けれどすんなりとは受け入れられず、私はもう一度体を振り返る。数十年生きた体は穏やかな寝顔でそこにいて、確かに私は今実体がなかった。
「春人さんは、何故ここに?」
「死んだので、あなたに会いにいこうと思って。そしたらここに。……来たら駄目でしたか?」
「いいえ、いいえ。良かったですよ。来てくれて良かった」
私がまた涙を滲ませたので春人さんがまた微笑んで。
彼は確かに昔と同じ姿だけれど、あの時よりどこか大人びている。そんな春人さんに手を引かれ、私は自分の体に別れを告げると天井をすり抜けた。二人で浮かび上がった空の下は、夏の温かさを感じる穏やかなものだった。ぽつり、ぽつりと所々灯っている家の明かりが通りに橙の光を漏らしている。
その風景に目をやり、視線を動かしていくと少し小高くなった場所に神社……春人さんの生家があるのが見えた。その一室に彼の妻が一人眠っているのを感じる。春人さんと数十年間を共にした人だ。
「私の所へ来て、奥さんはいいんですか」
「離れる時、話をしました。行ってもいいかと。そしたら『好きに行って成仏してください』って」
言葉だけ聞くと突き放されたような印象だったが、そうではないことは彼の声音と表情で分かった。
「『あなたには次の人生が待っているから、私のことを気にする必要はありません。あなたの妻になれたことを誇りに思っていますから、あなたも申し訳ないなど思わずに、感謝して去ってくださいな』そう彼女は言ってくれました。僕は出来るだけいい旦那をやっていたつもりでしたが、彼女の方が大人だったという訳です」
恥ずかしい、と彼は笑う。
色々思うこともあったろうに、彼女は春人さんを思ってくれたのだろう。彼女を見たのはあの日の商店街の一度きりで、話したこともないけれど、強く優しい人なのだと窺える。彼女には感謝しなければならないな。
――神社から離れ、街の上空を行く。夜風が柔らかく私達を撫でていく。あまりに穏やかで、宙に浮かんでいることもまだ不思議で夢のようだ。左を見れば、いつだったかと同じように彼が髪を靡かせて、昇ってきた月の光を浴びている。
何故だろうか、今が彼と出会ってから一番自由な筈なのに、彼と過ごした日々はもちろん辛かったことさえこんなに大切に思えるのは。商店街で春人さんと彼の奥さんを見て、悲しみを受け逃げ出したあの時の私は今思うと少し恥ずかしいのだけれども、あの時は仕方なかった。まだ傷が癒えていなかったから。
過去を振り返っていると、彼が一つ息を吐いて言った。
「不思議ですね。なんだか死んでみると全部大切なのが」
「……そうですね。全部一度きりの、かけがえのないものだった。なんだかんだ楽しかったんでしょうね。痛みも」
「そうですね。変な話だけど」
彼はからからと笑って、私の左手を握った。
「誰かを愛せるというのは、とても幸せですね」
その顔は幸せの二文字だけではどうやっても足りない程深くて、私は強く手を握り返す。
「私もそう思います。そして誰かに思われるということも、とても尊いと」
見つめ合い、いつだったかと同じようにお互い唇を迎えに行った。
月の下、二人で抱き合う。このまま溶けそうな程優しくて、温かくて、愛しい。
「和仁さん、愛してます」
「私も、春人さんを愛しています」
彼との出会いと日々は、別れは、私の大切なものだ。彼との全てはいくつもの愛や悲しみを人生に運んできたけれど、それら全てを包み愛しいと思える今で良かった。
唇を離し、見つめ合っていたら不意に彼がいたずらな笑みをした。
「次は僕、画家になりたいです」
「画家ですか?」
絵を描いているところなんて見たことがないけれど、別れた後に習ったのだろうか。何故かと聞くと彼は楽しそうに。
「あなたが生活している姿を写したいので。結構上手いですよ、僕」
「それは……気を付けないとだらけている姿も絵にされそうですね」
「もちろんします。部屋に飾りたいですね」
別に見せしめとかではなく、彼が見て微笑みたいのだろうというのは分かっているけれど。
「勘弁してください……」
ここで私も彼を小説のモデルに、なんて言えれば楽しかったのかもしれないが、どうにも実在する人物を使うのは集中出来ないので仕方がない。からからと笑っている彼が楽しそうなので、それでいい。
次の生のことは分からない。ただ、当たり前に私との来世を望んでくれている彼がいることが堪らなく嬉しくて、また会えたらと思う。
「そろそろ行きますか、春人さん」
「そうですね、和仁さん」
繋いだ手が昔と同じように力強く握り返されて、頬が緩んだ。
来世では、共に生きられることを願う。愛し合えることを望む。少しの不幸があったとしても、二人で一緒にいればきっと乗り越えられるから。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
このお話は元々『第七話 たたみ』以降を纏めた読み切りにする予定だったのですが、折角ならそれまでを書いた方が感情的に盛り上がるかなぁと思い連載の形になりました。
実は初めて詳しめに夜のシーンを書いたので載せる時少しドキドキしました。いい感じに書けていたら……いいな。
楽しんでいただけていたのなら嬉しいです。この度はありがとうございました。
本編の挿絵や番外イラストは下記のURLから見れます。興味がある方は覗いてみてください(´꒳`)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=29087990




