第九話 お元気で
まだ賑やかな祭りの音が聞こえる。
布団に寝転がった私達は、いつになくそこでごろごろしていた。
「今日はみっともないところばかり見せてしまいました……」
「いいじゃないですか。そういうところももっと見たかったですよ」
「最後の印象はもう少し格好よくありたかったです」
それを聞いて春人さんは小さく、けれど肩を上下させて笑った。
「普段のあなたが格好いいところなんてありましたか?」
「酷いじゃないですか……」
私は左に寝転がる彼に抗議するが、笑われるだけだ。少し起き上がってみると、その顔は柔らかくて、楽しそうだ。
「すみません、すみません。少なくとも見た目は格好いいし、あなたの書く小説はずっと好きだし……」
彼はそう言うと、ゆっくりと起き上がって胡座をかく。それに合わせて私も起き上がると同じ姿勢をとった。
「あなたは本当に優しくて温かくて。それで分かりやすくて、間抜けなところがあって……何て言ったらいいんでしょうね。あなたの変に真面目なところ、好きでした。最後に強引になったかと思えば冷静になって、けれど布団を引っ張り出してくるようなところとか」
「褒めてますか……?」
彼がまた笑うので私は一応聞いたが、それが皮肉ではなく本心なのは知っている。
「和仁さんのいいところですよ」
微笑み顔が何か言いたげに瞳を逸らして、少しだけ泳いで帰ってきた。僅かに濡れた瞳にもう一度捉えられた時、祭りの音が消えた気がした。
心中も自殺も、するつもりは毛頭ない。けれどいつか死んだら、生まれ変わったら、またこの人に会いたい。
互いを確かめるようにどちらともなく伸ばした手が、丁度心臓の間で触れた。数瞬止まって、滑るように絡まって、引き寄せ合った身を抱いて、これで終わりだと口付けを交わす。一寸も離れることなく、瞳の奥を見つめ合い……。
――暫くそうしていたけれど、彼の方が唇を離し
「それじゃあ」
すっと立ち上がる。目も合わせずとっとと歩いていくのは、名残惜しさから自分の意思を曲げない為だろう。
私は玄関まで見送る為に付いていった。どちらも無言で、祭りの音だけが聞こえている。意外と長くやっているものだな。と、そんなことを考えて目の前の彼の背中を見ないようにする。ただ歩く音でさえ今は切なくて仕方がない。しかしこれが、彼が私の家の中を歩いている最後の姿になるのだろう。
彼が下駄を履いて戸の前に立ったので、私は黙って待っていた。が、いつまでもそのままで。
「開けないんですか?」
「……」
どうしたのかと心配になった私は下駄を履いて横に立つ。すると、彼が戸に手をかけておいてそのままになっていることに気が付いた。
「あなたは……僕が出ていった後どうしますか」
「……どうするとは」
「間違えました。他の人と付き合うでしょう? それも出来るだけ早く。そして僕の前で、仲睦まじく笑ってみせて」
無理矢理作った笑顔と、押し付けの願い。その言葉は、私の元へ戻らない為のものだった。
けれど私はそんなこと出来る訳もない。彼以外と恋仲になるなど今更考えられなかった。
たとえ嘘であっても頷けず、かと言って否定して春人さんを引き戻すようなこともしたくない。私は何とか言葉を絞り出した。
「らしくありませんよ。……あなたのことは、奥さんや仕事が引き止めてくれるでしょう。私に意地悪を言わないでください」
「……すみません」
分かっていたのだろう、彼はそう言うと眉尻を下げて微かに笑った。
彼は強い人だ。私よりずっと。だからきっと上手くやっていくだろう。大丈夫だろう。
「それじゃあ、お別れですね、和仁さん」
「ええ、春人さん。……お元気で」
「あなたも」
――寂しさの残る微笑みを浮かべ、彼は静かに出ていった。かららと戸が閉められ、外からの光が半減すると私は細い溜め息と共に玄関に座り込んだ。
私は暫くの間、戸の向こうを見つめていた。再びその戸が開かれる事などないと分かっていながらも。
耳に膜が張られたように、賑やかな祭りの音だけが遠くぼんやりと聞こえていた。




