「この身を貴方様に捧げます」
その日の夜。
俺がベッドの上で本のページを捲って、寝室の扉がノックされた。俺は入るように促した。
「旦那様」
現れたのはネグリジェ姿のローゼだった。
俺はローゼを睨みつけた。
「何をしにきた。暗殺か?」
「私が暗殺者ならば、このように堂々と扉から入ってくるでしょうか?」
ローゼはくすくすと笑った。
「結婚したばかりの男女が寝室ですることと言えばただ一つ──初夜ですよ」
「断る」
俺はきっぱりとそう言った。
ローゼはきょとんとした顔をする。
「この結婚に愛などない。貴様もそれを理解しているはずだが」
「それは旦那様がそう思っているだけでしょう。少なくとも私は、旦那様を愛しております」
「そう言えと誰に言われた?」
「これは私の正直な気持ちですわ」
「……戯言を」
嘘に決まってる。この醜いミイラを愛する者などいるはずがないのだから。
「今すぐ出て行け。首を刎ねられたいのか」
俺は剣を手に取って脅してみせた。だが、ローゼは全く引かなかった。
「旦那様、淑女には首を刎ねられるより恐ろしいものがあるのですよ」
「ほう? 言ってみろ」
「初夜に旦那様と別の寝室で寝ることです。そのことが知れ渡れば、わたくしはこの屋敷内で、延いては貴族社会で生きて行けません」
ローゼは目元を拭うふりをした。
既に【腹黒悪女】であることが知れ渡っているのに今更何を言っているのだ、と俺は呆れた。
「旦那様、後生ですから、寝室を共にする許可を頂けませんか。今夜だけで構いません。ただ眠るだけとお約束します」
ローゼは胸の前で指を組んで、俺に懇願した。
俺はため息をついた。
「貴様、俺を愛していると言ったな」
「はい」
「この顔を見ても、そう言えるか?」
俺は顔の包帯を解き、ローゼに晒した。火傷の跡が顔の大半を締めている。
──愛してるだなんて、馬鹿馬鹿しい。皆、この顔を見て、離れていった。
ローゼは俺の火傷跡を見て、目を細めた。
「なんと勇ましい……」
ローゼはベッドに乗り上げ、俺の顔に手を伸ばした。
「っ!」
ローゼの指が頬に触れる瞬間、俺はローゼの手を払い除けた。
驚きのあまり、心臓が激しく脈打った。
──今、俺に触れようとした……!?
俺はその行動の意味がわからず、混乱した。この顔に薬を塗るのだって、嫌な顔をされるというのに。
俺は顔を手で覆い、指の隙間からローゼの顔を伺った。
「貴方から見せてきたのに、もう隠してしまうのですか?」
ローゼは悪戯っぽく笑った。
「それとも、まだ痛むのですか?」
一転、ローゼが眉を下げて、心配そうに尋ねた。
俺はまた触れてくるのではないかと身構えた。それに気づいたのか、ローゼはふ、と微笑み、ベッドから立ち上がった。
「旦那様、貴方は自分が思っているよりずっと、魅力的なのですよ。誠実で、不器用だけれど優しい……私はそんな貴方に惚れたのです」
「貴様、目が見えていないのか?」
「見えていますよ。……少し見え過ぎるくらいです」
ローゼは含みのある言い方をした。その真意を確かめる前に、ローゼは言った。
「いかがです? 旦那様。貴方の寝室に居座る許可を頂けますか?」
「……チッ。好きにしろ」
俺はそう言って、ローゼに背を向けて横になった。
「感謝致します、旦那様。やはり、貴方様はお優しい方ですね」
「なんだ、追い出されたいのか?」
「それは困りますね。余計なことを言う前にさっさと口を閉じてしまいましょう」
ローゼの声がだんだんと遠ざかっていくの感じ、俺は少し疑問に思った。
「では、こちらのソファを使わせて頂きますね」
「は?」
俺は起き上がり、ローゼの方を見た。ローゼは何故かソファの上で横になっていた。
──一緒に寝るという話ではなかったのか?
ローゼの考えてることが全くわからない。完全に手のひらの上で転がされている。
──……まあ、別々で寝るならそれで良い。油断させて暗殺する気なら、反撃するまでだ。
俺は横になり、目を瞑る。
「………………」
──駄目だ。気になって眠れない。
俺は目を開けた。
「おい」
「はい、何でしょうか」
ローゼは待ってました、と言わんばかりに起き上がった。
「貴様がベッドで寝ろ。俺はソファで寝る」
「旦那様を差し置いてベッドで寝る訳には参りません」
「女をソファで寝かせる趣味はない。良いから来い」
レディをソファで寝かせ、自分は悠々とベッドで寝るなど、俺のプライドが許さなかった。
「旦那様も共にベッドで寝るとおっしゃるなら、喜んでそちらに参りますが……」
ローゼは頬を赤くさせてそう言った。
俺は舌打ちをした。
「何でも良い。早く来い」
「では……」
ローゼはおずおずとベッドに座り、こちらを向いて横になった。
俺の姿を見たくない癖に、何故こちらを向くのだ。本当に訳がわからん女だ。
俺は訝しげにローゼを見た。ローゼは目を瞑り、口元は笑っている。
──俺を困惑させて、面白がっているのか? 俺が手を出したら、どうするつもりだったんだ……。
俺がローゼを見ていると、彼女の胸元に目が行った。
「……!」
俺は思わずローゼから目を逸らした。見てしまったのだ──ローゼの胸元に大きな傷跡があるのを。
□
そして、何事もなく朝を迎えた。
あれからローゼは誘惑してこなかったし、命を狙う素振りもなかった。本当に、ただ眠っただけだった。
使用人は俺の寝室にローゼがいることに腰を抜かすほど驚いていた。
そして現在、食堂でローゼと共に朝食を摂っている。
「まさか主様が初夜を過ごされるなんて……」
「しかも、噂の【腹黒悪女】と!」
「主様は懐柔されてしまったのだろうか」
「悪女に屋敷で好き放題されてはたまったものじゃない……」
使用人達の噂話が聞こえてくる。あれで声を潜めているつもりなのだろうか、と俺は呆れた。
「旦那様」
ローゼがそっとナイフとフォークを置いた。
「申し訳ありませんでした」
そう言って、ローゼは深く頭を下げた。俺は意味がわからず、眉間に皺を寄せた。
「……それは何に対しての謝罪だ?」
「昨夜、旦那様に無理矢理迫ったでしょう」
「それは──」
──昨夜、話がついたではないか。
ローゼがハッと顔を上げた。ローゼの顔は青ざめ、体は小刻みに震えていた。
「あのようなことは二度と致しません。今後、寝室は別ということで構いません。ですからどうか、命だけは……」
俺は困惑した。この女は、俺を恐れるような奴じゃない。寝室でのはっきりとした物言いを聞いた後だからわかる。
──これは……何のための演技だ。
「流石は主様だ……」
「あの悪女を一晩で手なづけるなんて!」
使用人達は声を上げて喜んでいた。
それを見て、目的は〝これ〟かと、俺は納得した。
それからローゼは〝改心した〟。
散財せず、男を誘惑せず、誰かをいびることもない。我儘一つ言わず、お淑やかに振る舞った。
使用人達とは俺という共通の畏怖の対象を以て打ち解けたようだ。
俺の株も上がった。噂の悪女を手なづけた絶対的な主君として。
そんなローゼに対して、俺は得体の知れない恐怖を感じていた。全て、あの女の思惑通りに進んでいる気がしてならなかったのだ。
ローゼ・ヴァイス断罪劇について、調べ直す必要がありそうだ。あの狡猾な女があんな醜態を晒すとは思えない。きっと何か裏がある。
──それに、あの胸元の傷跡……。
あれを見て、ローゼのことを知らなければならないと強く思ったのだ。




