「とんだ悪女だ」・2
「……これは一体、何の騒ぎだ」
俺は困惑しつつ、キーファと共に騒動の中心に足を踏み入れた。
「アプフェル……?」
イーリスは目を見開いた。
「きょ、今日は忙しいから来ないって」
「少し遅れただけだ。欠席とは言っていない」
「ローゼ様、嘘をついたの……?」
イーリスはローゼに目を向けた。
「『旦那様はお忙しいようだ』と言っただけです。嘘は言っておりません」
ローゼはにっこりと笑って答えた。
イーリスの頭が揺れ、倒れそうになるのを、キーファが咄嗟に駆け寄って支えた。
俺とキーファがパーティー会場に入った時、突如、肌を打つような音が響いた。音の聞こえた方へ向かうと、今度はイーリスの怒鳴り声が聞こえてきたのだ。俺はいつまでも隠れていられないと思い、姿を現し、状況の説明を求めた。
「ツィノーバーロート公爵様! イーリス様がローゼ様の頬を打ったんです! 証人はここにいる全員です!」
イーリスの友人の一人──カメーリエが意気揚々と報告した。
俺はイーリスに目をやる。
「アプフェル……違うの……違うのよ……」
イーリスは譫言のように否定した。
俺はため息を一つつき、イーリスを一瞥した後、ローゼに歩み寄った。
「ローゼ──イーリスが頬を打つよう仕向けたな?」
俺は呆れたように言った。
「えっ?」と俺とローゼ以外の全員が驚きの声を上げた。
「旦那様には直ぐに見抜かれてしまいますね」
ローゼはフッと顔を綻ばせた。
「俺を引き留めるよう、キーファに頼んだな」
「あら、もうそこまでおわかりに?」
「キーファが白状したぞ」
「おや……」
ローゼはキーファを困った顔で見た。キーファはローゼに小さく謝った。
「ローゼ、今度は何を企んだ? 何が目的だ?」
「あら、イーリス様の魂の叫び、聞こえませんでしたか?」
「………………」
「全身火傷だらけで帰ってきたアプフェルを見た、私達の絶望や悲しみを知らない癖に!」──はっきりと聞こえた。
俺の顔を見て恐怖していたのは、そのときの光景を思い出すからだったなんて知らなかった。他の人も同じ気持ちだったのだろうか。俺はあのこわばった顔が嫌で、人を避けるようになってしまったが……。
「貴方様の心にはいくつもの杭が刺さっているご様子。特に、イーリス様に打たれた杭は深い。私が何とかせねばならぬと思いました」
「だから、イーリスに本心を吐露させたと? 頬を打たれてまで?」
「私は旦那様のためなら悪女にだってなれる女です。頬も甘んじて打たれましょう」
──やはり、この女は普通ではない。
誰が夫と元婚約者の中を取り持つというのだ。
恐怖以上に、ぞくぞくとした胸の高鳴りを感じていた。ローゼの深い愛を一心に受けているのは、俺だ。
「ミイラ公爵は妻にお熱という噂は本当みたいだな」
「ミイラ公爵とイーリス・ゴルデン嬢が不倫しているという噂もあったが、嘘だったようだな」
「あの噂は二人の仲を引き裂くため、イーリス嬢自身が広めたのだろう」
周囲の人間が面白おかしく噂する。
「違うっ……私はそんなことしてない!」
イーリスは必死に否定したが、皆は「往生際が悪い」と笑って、信じなかった。
「噂はイーリス様が広めたものではありませんよ」
そう断言したのは、被害者であるローゼだった。
「どうしてそう言い切れる?」
俺が尋ねると、ローゼはくすくすと笑った。
「イーリス様には何の得もないからです。不倫なんて醜聞ですからね」
「得ならありますわ。ローゼ様と公爵様の仲を引き裂くため……」
イーリスの友人の一人──マグノーリエが言った。
「直ぐわかる嘘に何の価値があると?」
「嘘かどうかわからないではないですか!」
「私はアプフェル様と同じ屋根の下で暮らしているのですよ。アプフェル様の生活パターンは把握しています。仕事以外は屋敷を一歩も出ませんし、来客も数えるほど。不倫をする隙などありません」
「もし、仕事と偽って会っていたら?」
「イーリス様の弟君とは懇意にさせて頂いています。アプフェル様の仕事ぶりは聞き及んでいます」
「二人で会ってるのか?」とアプフェルがキーファを睨んだ。「ただのお茶会です。使用人もいます」とキーファは慌てて弁明した。
ローゼはそのやり取りを見て、フッと笑った。
「私とアプフェル様の仲を引き裂くなら、私が不倫しているとアプフェル様に吹き込めば良いだけのこと。幼馴染みなのですから、私の言葉よりイーリス様の言葉を信じるでしょう」
──そうとは限らないが。
もしそうなっていたとき、俺はおそらく、ローゼの言葉を信じただろう。
「わざわざ自分に汚名を着せてまで、私達の仲を引き裂く意図がわかりません。──ですから、一芝居を打つことにしました」
「一芝居……?」
「イーリス様に私を頬を打って頂くのです」
「演技だったのか!?」と周囲がざわついた。
イーリスは何も知らないようで、ぽかんと口を開けていた。
「あの噂はイーリス様を陥れるためのもの。幼馴染みで元婚約者の妻を叩いたとなれば、不倫の噂も相まって、イーリス様は不倫相手の汚名を着せられます。不倫の噂を流した方は、これを好機と思うでしょう。私がイーリス様と和解の意思を見せたら、必ず〝阻止してくるだろうと思っていました〟」
その言葉を聞いて、ローゼの隣で顔面蒼白となっている人がいた。
「──カメーリエ様、私の味方をしたのは貴女だけでした」




