「とんだ悪女だ」・1《イーリス視点》
私とアプフェルは結婚するはずだった。
親が決めた結婚だった。
アプフェルは泣き虫で少し頼りなかったから、私が支えないとと思っていた。
ある日、アプフェルが薔薇を一輪差し出して、「幸せにする」と言ってくれた。素直に嬉しかった。
私が婚約に消極的なことを言ったから、不安を和らげようとしてくれたんだと思う。
臆病だけど、真面目な幼馴染み。
そんな彼が邪竜を打ち倒した。自分の身を顧みずに。
それからは身も心も変わってしまった。まさか、本当の弟のように可愛がっていたキーファに暴力を振るうなんて思わなかった。
私はアプフェルを強く叱った。反省する気もなさそうな彼に、私はカッとなって罵った。何を言ったのか覚えてない。そのときの彼の諦めたような顔が今も頭から離れない。
きっと、いつかは仲直り出来る。私との婚約破棄は一時的なもので、直ぐに復縁出来るはず。私はそう思っていた。
アプフェルが結婚した。
相手は【腹黒悪女】と噂される人だった。正に、『寝耳に水』だった。
きっと、アプフェルは彼女に騙されている。男を手玉に取る人だと聞いたもの。彼女に泣かされたら、きっとアプフェルは私を頼るでしょう。いつもそうだったから。
そのとき、「あのときは言い過ぎた」って謝ろう。
アプフェルとキーファが仲直りした。あの【腹黒悪女】が仲介したみたいだ。私は素直に喜べなかった。
どうして、貴方の隣にいるのは私じゃないの? 二人の仲を取り持つのは私の役目でしょう。
どうして、薔薇の花束を彼女に差し出したの? 私の時は一輪だけだったじゃない。
「──とんだ悪女ね」
鏡に映る、嫉妬で歪んだ、醜い自分の顔を見て、私は独り呟いた。
縁談がまとまらないのも当然だった。
□
とある噂が社交界の片隅で囁かれているようだ。
「ミイラ公爵は元婚約者と不倫をしている」──と。
不倫の噂は貴族達の格好の餌だ。特に、新婚で、妻にお熱と噂されていた【ミイラ公爵】の不倫は。
そんな事実はない。ローゼ様が変な誤解してなければ良いけど。
「はあ……折角仲良くなれたと思ったのになあ……」
私はぽつりと呟いた。
「大丈夫ですか? イーリス様」
二人の友人──マグノーリエ様とカメーリエ様が私を心配そうに見てきた。そういえば、今は立食パーティーの最中だった。
「ああ、ごめんなさい! 少しぼーっとしてたみたい」
私は笑顔で「大丈夫」と言ったけど、本当は周りの声が気になって仕方がなかった。今も私とアプフェルの不倫の噂がどこからか聞こえくる。
私は悪いことをしていないのだから、堂々としていれば良い。いつかは飽きて、別の噂をする。そういう人達だ。
「ご機嫌よう、皆様」
ローゼ様が声をかけてきた。私は普段通りの笑顔を向ける。
「あら、ローゼ様、ご機嫌よう! 今日はお一人?」
「旦那様はお忙しいようですから」
ローゼ様はいつも通りだった。不気味なほどに。
「そう、残念ね。面白いものが見つかったのに」
「面白いものですか?」
「アプフェルの子供の頃の肖像画よ。私が書いたのが見つかったの! 少年時代のアプフェルはそれはもう可愛くって! 本人がいたら、面白い反応をしてくれたはずなのにー」
「……イーリス様は私にアプフェル様の昔話を聞かせたがりますね」
「あ! 嫌だったかしら。ごめんなさい。ローゼ様にアプフェルのこと知って欲しくて……」
「構いません。私も旦那様のことを知りたいと思っていますから。特に、邪竜討伐後の彼のこと……」
「……それは……」
「お聞かせ願えますか? 旦那様のことをよくご存知なのですよね?」
私は何も言えなかった。私が知ってるのは、大火傷を負う前のアプフェルだけだったから。
「イーリス様、お土産に頂いたステンドグラスクッキー、アプフェル様は一つも召し上がりませんでした」
「え!? どうして……!?」
「『甘いものは好かない』とおっしゃっていました。どうやら、貴女の情報は古いようですね」
ローゼ様は私にゆっくり歩み寄ってきた。
私はその場から動けなかった。まるで、魔獣に相対したみたいだった。
「貴女が語るアプフェル様は、昔のアプフェル様ばかり。今のアプフェル様を見ていない──いえ、見たくないのですね」
全てを見透かしているような白百合色の瞳が私を射抜く。
「やはり、貴女もまた、そこらの令嬢と同じ、アプフェル様の顔しか見ていないのですね──」
──パシンッ!
気づけば私はローゼ様の左頬を叩いていた。乾いた音が静かになったホールに響き渡る。
「──知ったような口を聞かないで!」
私はローゼ様に向かって怒鳴った。
「ポッと出の癖に! 無関係の癖に! 邪竜を倒しに行って、全身火傷だらけで帰ってきたアプフェルを見た──私達の絶望や悲しみを知らない癖に!」
マグノーリエ様とカメーリエ様が私の腕を掴んで、ローゼ様から引き離した。
私は止まらなかった。溢れ出した感情が涙となって目から吹き出した。
「怖かった……本当に、アプフェルが死んじゃうかと思った……!」
私は顔を手で覆ってその場に泣き崩れた。
「アプフェルの顔を見る度、そのときの光景が頭を過ぎるの……。だから、彼との婚約破棄を受け入れるしかなかった……」
「逃げたのですね」
「逃げたんじゃないわ! 少しの間だけ距離を置こうと思っただけ……」
「逃げたんですよ。貴女ばかりが辛かったとお思いですか? 見た目が変わり、周りの見る目が変わって、誰よりも傷ついていたのは、アプフェル様です。彼を愛しているのなら、そばで支えるべきでした」
「そんなのっ……!」
「──なんて、あとになってはいくらでも言えますね」
ローゼ様は肩をすくめ、自嘲するように笑った。
「私もアプフェル様が一番辛い時におそばにいなかったのですから」
「何を……言ってるのよ……」
──当然じゃない。その時の貴女は、アプフェルと知り合ってすらいなかったんだから。
ローゼ様は洗練された動きで頭を下げた。
「申し訳ありません、イーリス様。口が過ぎました」
ローゼ様は床に座り込んだ私に手を差し伸べた。「許して頂けませんか?」と眉尻を下げて言った。
私は思わず、「逆でしょう」と言ってしまっていた。
「謝るのは私の方です。ローゼ様、本当に申し訳──」
私とローゼ様と手が重なる直前、
「──もう見ていられません!」
カメーリエ様が叫んだ。こんな大声を出す彼女の姿は初めてで、私は思わず動きを止めた。
「イーリス様! ローゼ様をいじめないで下さい! ローゼ様にツィノーバーロート公爵様の知らない一面を聞かせて、自分の方が彼のことを知っていることをアピールして! ローゼ様がどれだけ傷ついたことか!」
「わ、私、そんなつもり……」
「ローゼ様、こんな人に謝る必要はありません! 謝るのはイーリス様の方です!」
カメーリエ様は私にビシリと指を突きつけた。
ローゼ様もカメーリエ様も、私にずっと不満を抱えていたと知ってショックだった。
早く謝らないと。そう思うのに、口から出るのは否定にならない否定の言葉ばかりだった。




