一輪の薔薇
「イーリスのお茶会へ行ったそうだな」
ディナータイム。俺はローゼに確認を取った。
今日の昼、キーファからイーリスがローゼをお茶会に招待したと聞いた。初耳だったから驚いた。
「はい。とても楽しませて頂きました」
ローゼは微笑みながら答えた。
「何故、俺に言わない……」
「おや、伝え忘れてしまったようです。申し訳ありません。次は必ずお伝えします」
この白々しい態度……やはり、わざと伝えなかったようだ。
イーリスは俺の婚約者だった。ただそれだけだ。婚約破棄をした今は何もない。隠すつもりはなかったが、わざわざ教えるつもりもなかった。ローゼを不安にさせるだけだ。
一部では、俺とイーリスが婚約破棄した後も密会をしていると噂されているらしい。全く、下らない。
イーリスが何か余計なことを言っていないと良いが……。
「何もなかったか?」
「ふふ。旦那様は何を心配しておいでで?」
ローゼはくすくすと悪戯っぽく笑った。
「質問に答えろ。何もなかったかと聞いている」
「旦那様が心配するようなことは何もありませんでしたわ」
「ああ、そうでした」と思い出したように言い、ローゼは包装された箱を取り出した。
「お土産に行列店『ボヌール』のステンドグラスクッキーを頂きました」
「これまた懐かしいものを……」
「お食べになりますか?」
「お前が食べるといい。俺は要らん」
「旦那様がお好きだとお聞きしましたが」
「……子供の頃の話だ。甘いものは好まない」
「そうでしたか。では、使用人の方々と頂きますね」
「そうしろ」
ローゼは生家の使用人を一人も連れてこなかった。生家での扱いを俺に知られたくなかったのだろう。
ヴァイス家は資金繰りに苦しんでおり、使用人の給料も薄給であった。それでも使用人がヴァイス家に残り続けたのは、ひとえにローゼの身を案じていたからだ。そんな使用人達はローゼが嫁に行くのを見届けたあとにヴァイス家を後にしていた。
ローゼ断罪劇について調べたとき、俺は彼女達に接触した。
最初は金を渡して証言を得ようとしたが、突っぱねられた。代わりに、ローゼの侍女として雇ってくれるならローゼの真実を話すと交渉してきた。
ローゼの正体を暴いたあと、約束通り、彼女達をツィノバーロート家の使用人として雇った。使用人とローゼは涙の再会を果たした──と言っても、泣いていたのは使用人だけだったが。
ローゼには予想外の再会だったのだろう。かなり驚いていた。ローゼは困ったような顔をしていたが、笑顔が隠しきれていなかった。
──ローゼは孤独ではなかった。
血を分けた家族が敵の中、彼女の幸せを願う者達がいた。その事実に俺はどこかホッとした。
ローゼの生家──ヴァイス家への援助金は既に払い終えている。婚姻の際に提示した額に少し色をつけて渡したのだが、ヴァイス伯爵はもっと寄越せと言ってきた。
俺はローゼに一切関わらないという念書を書くなら金を渡すと言った。これが最後だ、と念を押しもした。所謂、手切れ金だ。
ヴァイス伯爵は直ぐに承諾した。どれだけ金を手に入れようと、散財癖のある母娘を何とかしなければ生活は苦しいままなのだが、わかっているのだろうか。……わかってないからこそ、目先の金に飛びついたのだろう。
ローゼの社交の才は飛び抜けている。彼女の力を最大限発揮させられたなら、伯爵家を立て直すことも出来ただろう。奴らには決して教えてやらないが。
ローゼはあんな親でも親だと思っているようだ。だが、会いたいとは言わない。それが全てだ。俺もローゼを手放すつもりは毛頭ない。
話を戻そう。目下の問題はイーリスについてだ。
「ローゼ、お前にはイーリスがどう映る?」
「大変、面倒見の良い方のようですね。弟君がいるからでしょうか。彼女にお世話になった方も多いようです」
その通り、イーリスは昔からお節介だった。彼女を慕う者がいる一方、煙たく思う者もいる。
「噂話などどうでも良い。お前の感じたことを話せ」
「そうですね……。私に向ける感情は、警戒、動揺、戸惑い……【腹黒悪女】の噂を聞いていたからでしょうね。ですが、警戒心は大分薄れてきたように思えます」
「お茶会を経て、親密になったようだな」
「ええ。しかし、不思議なのは旦那様に向ける感情です。嫉妬、後悔、恐怖、嫌悪感……仲の良い幼馴染みのはずなのに」
「恐怖、嫌悪……」
──俺の醜さに、か。
俺は顔の火傷跡に手を当てた。
初対面の人間より顔見知りの方がこの顔を怖がる。俺はそれをよく知っている。
「彼女は何に恐怖し、何に嫌悪しているのでしょう」
「俺でもわかることをお前がわからないとはな」
俺は鼻で笑った。
「人間の感情というのは複雑ですから」
ローゼはそう言って、この話を終えた。
「旦那様、一つお願いがございます」
「なんだ、言ってみろ」
「薔薇園の薔薇を一輪、手折って頂けませんか?」
「はあ……? 今度は何を企んでるんだ」
「イーリス様にお聞きしたのです。薔薇を一輪手折って、彼女に差し上げたと」
「イーリス……やはり余計なことを言ったな……」
俺は額に手を当て、ため息をついた。
「俺はもう子供ではない。その話は忘れろ」
「しかし……」
「忘れろと言ってる」
俺は睨みつけた。ローゼは不服そうに口を尖らせていたが、それ以上食い下がってこなかった。
□
次の日。
俺が仕事を終えて屋敷に戻ると、ローゼが出迎えた。
「お帰りなさいませ、旦那様──」
「ほら、やる」
俺は出迎えたローゼに薔薇の花束を渡した。
ローゼは反射的に花束を受け取り、目をぱちくりとさせた。
「旦那様、これは……」
「薔薇を欲しがっただろう。妻に渡す薔薇がたった一輪だけなど、ツィノーバーロートの名が廃る。俺はもう子供ではない。花束で薔薇を渡せるぞ」
俺は自信たっぷりに言ってやった。すると、ローゼは目を見開き、
「ふ……ふふ……!」
腹を──いや、薔薇を抱えて笑い出した。
「……何がそんなにおかしい」
「旦那様が子供の頃のご自分に張り合っているんですもの。お可愛らしくって……!」
──ああ、やはり、柄にもないことをするんじゃなかった……。
こんな笑われるのなら一輪だけ渡せば良かった、と俺は後悔した。
「ふふ、ふふふ……。ありがとうございます、旦那様。薔薇、とても嬉しいです……」
ローゼは滲んだ涙を指で拭い、微笑んだ。笑い涙か、嬉し涙かはわからなかったが、喜んでくれてはいるようで安心した。




