035、ワンオペ育児脱却
ユリシスが天使すぎたので、ほぼ徹夜した私。
「……悔いは無い」
ユリシスがベビートイでキャッキャッウフフ遊ぶ姿は、とっても天使だった。心に栄養が届いた。あざます。
だからほんと、後悔してない。寝不足なのが辛いだけで。これで一層、不健康さに磨きか掛かったなあ。
【母子手帳】は見ない。絶対、不健康項目が増えているから。
ユリシスは明け方近くに乳飲んでスヤァしました。まだ寝てる。いい夢見ろよ。
私は起きる。朝の【清拭除菌】で自分の全身とユリシスを綺麗にし、部屋の掃除を済ませ、ボロちい暖炉の熾火でお茶を淹れた。
乾物屋のギルさんのとこで買ったやつ。
「あー、緑茶うんめえ」
レシピにもお茶関連が増えていたけど、赤ちゃん用なので味が薄いのだ。私は濃いめが好き。自分の分は自分で淹れよう。
椅子に座って、濃い茶をすする。ああ私、カフェイン摂取してるう。
チュンチュン。鎧戸の隙間から覗く朝日が眩しい。
チュンチュン。こんな貧民街に棲息している鳥だ。きっと逞しい。
だって、鳴いたらとっ捕まって食べられてしまう修羅の土地だよここは。鬼だ。鬼が来るのだ────と、これはエアリーの身内の話か。
親父の言う「鬼が来るから隠れていろ」は、たぶん、叔母さんのことだ。
「そういや親父、いないな」
朝も早くから出かけたらしい。明け方、玄関のドアが閉まる音がしたから。
どうしたのだろう、真っ当なことして。朝から仕事とは、まるで健全な生き方じゃないかと、最近の親父を見て、切に思う。
と言っても仕事内容は、官吏やヤクザ屋から金をせびるという不健全なことだけども。そして、その金をギャンブルでスルことだけども。
昨日に至っては、乾物屋のギルさんに慰謝料請求していた。まるで借金取りのような手口だった。今回はスルメで手を打ったようだが、一旦引き下がって、どうせまたオラつきに行くのだ。ああいうのは、ちょこちょこ巻き上げるが常套。やり慣れておるのだよ……。
きっと貧民街でも、貧乏人相手に似たようなことをしているなと思ったら、眉間に皺が寄った。
いかんいかん、こんなの妄想だ。実際、親父が借金取りしているのを見たわけではない。落ち着けエアリー。
ああ、爽やかな緑茶の香りが私の尖った神経を整えてくれる……。
コンコン
「誰ぞ?」
鎧戸を叩く音がしたので、ふと見やる。鎧戸には隙間があって、こちらから通行人を窺える便利仕様だ。
コンコン、コツコツ
「小鳥さんですか?」
「誰が小鳥だ。俺だよ俺、俺」
オレオレ詐欺かな? まあ、声からして兄だ。垣間見えた姿も兄だ。
玄関のドアを開けてあげる。
「好きに入ればいいじゃないですか。ここは兄の実家ですよ」
鍵も掛けてないしね。自由に出入りすればいいじゃない。わざわざ戸を叩かなくてもさ。
「う、いや、その、な……親父が」
「ああ、父を気にしてるのですね。父ならいませんよ。誰かに金をせびりに行ったんじゃないですかね」
「なに? まあ、そうか……文無し親父なわけないか。しっかし、相変わらずだな」
はい、相変わらずの我が家なのです。家で子供たちだけで過ごすのは当たり前。母は家出同然で、父はダメダメの放置一家。
そんな我が家へようこそ兄。
招き入れて、ダイニングテーブルに着く。ちょうど茶がある。飲め。煎餅もサービスで付ける。
「で、どうしました? あ、退院おめでとうございます。昨日でしたよね」
「そう、そうなんだ。ユリアと治療院で退院の手続きをしたんだが……」
すずずっと木製マグカップで茶をすすりながら、兄から話を聞く。
なんと、昨日の退院時、治療費が既に支払われていたのだという。
「へ? 誰が?」
「それが分からねえから、ここに来たんだ。治療院じゃあ守秘義務がどうたらとかで教えてくれなかった。エアリーは違うよな」
私ではない。全く心当たりがない。そもそも治療費のことを失念していた。ごめん、兄。
兄も私じゃないと確信しているようだ。
私じゃなくてホントすいません。そういや、この国に高額医療費制度や国民保険があるのかすら、知らないや。無いとは思うけども。
「……まさか親父じゃあ、ねえよな?」
いやあ、それこそナイでしょ。
「兄の能力でも、誰か分かりませんか?」
「そこに本人か現物がないと、判別できん」
意外と限定的なんですね、その【真眼】。
そして深まる治療費を支払ってくれた足長おじさんの正体。
「兄には心当たり、ないのです?」
「んー、ギルド長かなあと最初、思ったんだ。だから、昨日は退院したら直ぐにギルド長のとこ行った」
ギルド長というのは冒険者ギルドの長、トップですね。
兄が姉を育てるのに大変お世話になったそうで、今も冒険者として身を立てていられるのもギルド長のおかげなんだとか。
でも、彼じゃなかった。きっぱり否定されたそうな。むしろ、払ってくれた人にはお礼を言いたいとまで。
だから昨日は支払ってくれた人を探して、片っ端から聞き込みをしたけど見つからなかったそうな。
満を持して今朝、我が家にも来た。やっぱり違ったと。今ココですよー。
「万が一、億が一、親父だったらどうしよう」
「それはない」
ハッキリ申し上げたら兄は「だよな」と。
確かに本人に聞くまで、本当かどうかは分からないけどね。でも、あの親父だよ。小銭が入ったら酒かギャンブルにつぎ込む親父だよ。
治療費を払える蓄えだってあるわけないし。あったら我が家の食卓、こんな貧相なわけがない。
今日もまた、食卓には何もなく、私が魔法で何とかするしかない。
兄を朝食に誘い、ライ麦パンとすいとん、芋の煮っころがしと野菜のケーキを出した。
すぐ出せるのがこれらだったのだ。また折を見てストック増やしておこう。
「肉がないな……」
贅沢を言うな。
速攻で動画を回して、蒸し野菜を追加で出してあげた私は優しい妹だ。
兄の顔がチベットスナギツネになった。
「ぷやあ」
ユリシス目覚める。ダイニングテーブルにパンダ籠ごと乗せていたのだ。
真剣な顔をしておる。これは……。
「うんこか」
「おしめだねえ」
食事中だけど、しょうがない。健康な証だ。
さあ、ふんばれユリシス。負けるなユリシス。しっかり、どっさり、もっさり、出すがいい。
「手慣れたもんだ」
「毎日やってれば慣れますよ」
テキパキとおしめを変えて、【清拭除菌】する。
「お、臭わなくなった」
【清拭除菌】って、空気も清浄化するらしい。
最初に使い始めた時は、こんな効果なかった気がする。ステルスパワーアップだね。その内にフローラルな匂いが付いたり、除湿まで出来たりして────。
『いいですね』『それ、採用』
ん? 何か聞こえた。
『我を、我を認識せい!』
気のせいか。
ユリシスがケタケタ笑っているのが可愛い。どうしたどうした。出してスッキリしてご機嫌でちゅねー。
『ぐわーん! 我、泣くぞー! おっぼえってろー!』
捨て台詞と共に気配は遠ざかって、また遠くの方でザワザワ集まってワサワサ会議をしているっぽい。
この世は神秘でいっぱいだ。
たぶん、眠いからだ。眠いから、こんな幻聴に悩まされるのだ。
「兄、まだ我が家にいます? 今日って仕事あります?」
「何でそんなこと」
「寝たいのでユリシス見ててもらえませんか?」
被せ気味にお願いした。
さすがに寝不足で出かけたらいけないと思う。ユリシスを落としたり、ましてや、また悪い輩に狙われたらと思うと気が気ではない。
せっかく兄がいるのだ。この機会にワンオペ育児脱却しよう。
ギルさんには「ユリシスは私が育てる」なんて大見得切っちゃった翌日に、この体たらく。許して欲しい。
眠いものは眠いのだ。所詮は五歳児の体よ。徹夜には勝てん。
「おー、いいぞ。なんなら、ユリア呼んで散歩にも連れて行ってやる」
さすが育児経験者兄、頼りになる。
「お頼み申します」と伏してお願いして、私は眠った。
数時間後────。
「エアリーちゃん、起きた?」
「姉……」
姉ユリアがユリシスを抱っこし、あやしていた。
精霊王たちの愉快な会話
?『ぐわーん! どうしたらエアリーに呼んでもらえるのだ! 知恵を貸せ皆の者お!』
闇『けひひ。気長に待つしかないねえぇ』
風『さすが長生き精霊は気が長いよね~ぷきゃきゃ』
火『うむ。俺も待つしかないと思う』
水『エアリー、いいこと言いましたよ。除湿ですか。水分のことならば、お任せあれ』
光『良い香り、つけましょう』
地『花木や森の香りで良ければ、手を貸そうぞ』
光『太陽の光、消臭力抜群。滅菌、ぽっかぽか』
?『議題がズレておるー! ぐわーん!』




