第92話
真は花道を一歩一歩進んでいく。
進んでいる最中は音楽が流れるわけでは無いのでその歩みは真自身は静かな感じではあるが、周りはそうではなかった。
大きな歓声、そこに混じるは小汚いヤジ。今まで負けたことのない真に対しての評価の歓声やヤジであった。
真はヤジに対してはいつもそのままにはしておかない。ヤジの飛んできた方を確認すると静かにそちらに顔を向ける。ヤジはいつもこれだけですぐに収まってしまうはずであった。だが今回はどうやらそれが通じることは無かった。
真としては別に言われても大したことではないと思っているが、言われていいものではない。
いつもと違う感じになぜだろうと一瞬考えたがリングの向こう側に優樹の姿を確認した瞬間その思いは頭の片隅に棚上げになる。
リングサイドまで歩いてきた真はそのままリングに入る。そして優樹もリングに入ったのが確認されると上からリングを覆うように金網が降りてくるのであった。
いつもの光景に真は気にすることなく、今や二メートル程の距離にいる優樹のみを見据える。
金網が降りてしまった以上ここから先はどちらかが倒れるまで出れない。審判もなく、勝敗の行方は二人に委ねられるのだ。
「やっとこの日がきたなぁ」
薄っすらと笑みを浮かべ優樹が不意に真に話しかけてきた。真としては何時ものように話すことは無いのでそのまま無言で行こうかと思っていたのだが優樹の後ろ、金網の向こう側に見知った顔を確認する。
それを見た瞬間真の心に動揺が広がっていく
「…………何で」
「あれ? 気が付いた?」
微かに呟いた程度の声だったが優樹には聞こえたようだ。先ほどの薄っすらとした笑いから一変、明らかに人を揶揄う様な笑みに変わる。
「勝つことができたら教えてやるよ。勝つことができたらな」
「…………わかりました」
そう言うと真は準備をする為リング端まで下がる。その途中一瞬だけ振り向き金網の向こうにいる人物に目を向ける。
だがそれも一瞬で真はすぐに動揺した心を抑えるために目を閉じ開始の合図を待つ。
開始される合図は銅鑼の音。それが鳴れば始まる。
戦う双方が準備を完了してリング中央に行けば必然的に始まる。それまでは始まることは無い。
動揺激しい真はいつも以上に準備にかかってしまっている。
身体的な準備は万全でシャツを脱いでしまえば完了だ。
それよりも心の準備の方に時間がかかってしまっている。
(こんなことで乱れるなんて……)
自分の変化に対してもどうしていいかわからずますます混乱していく。
「どうした? まだかかるんか? 俺としてはさっさと始めておわらしたいところなんだけどなぁ」
心を落ち着かせようと努力しているところに挑発ともとれる言葉が優樹から投げかけられる。
今の真の精神状態ではこの言葉はスルー出来ないものであった。
閉じていた目を開き前に進もうとしたところに頭に声が響く。
(何をやっているの全く。そんなことしなくても私があげた能力使えばすぐじゃないの)
頭に響いた声に真は周りを見回し出所をついつい探してしまう。
それほどの動揺である。
「何を探しているんだ?」
優樹にとっては不思議な行動に映ったようで聞いてきたのだが真の方はそれどころではなかった。
(何してるの! いいから集中して頑張りなさい)
頭に響くフレイヤの声に真は真はすぐに我を取り戻す。
そして……
(わかったよ………………ありがとう)
それだけ返すと真はリング中央に歩んでいく。
その表情はいつもの集中している顔に戻っていた。
「何があったか知らないがそうでないとな」
「…………」
「それじゃあ始めようぜ。楽しい喧嘩をよ」
優樹はそういうと両手を胸の前に持っていきファイティングポーズをとる。
そして……
大きく銅鑼が会場に鳴り響くのであった。
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