捌
黒ノ十三~刃心千乱~
「悲しいことに、君達は人間だ」
8、
人間とは何ですか?
そう問われて、答えることなど容易いものだ。
人間だと人間が思うものだよ、と。
答えるだけならば。
人間とは生物学的に認められた霊長類の一種のことであり。人間とは別に、知性と精神を備えた心ある者、あるいはその心そのものこそが人というものである、とそういう者もいる。
生物種としての人間と、人知を持つがゆえに自らを規定する人という精神が別のものであるというのは、当たっているのかもしれない。
だが、だからこそ人間は気付くのだろう、ああ、人とは何処にいるのか?と。
十三達の目の前にいるそれは、そういう類のモノ、人間外であり、しかし確実に人以外の何者でもないはずだった。
もしも意思疎通が出来る意思を認めないのであれば、それは最終的には自己否定に繋がるからだ。
無論、排他を持っての肯定も同じに。
認めているから殺す、邪魔として除く、そういうことなのだから。
「人間とは一体なんなのかなどどうでもよかろ?人間であるかどうかなどどうでもよかろ?むしろ人間であると証明出来なければ、それすなわち落ち度であるとなれば、人間でない方がよかろうよ、のう?」
「・・・人かどうかなど・・・どうでもいい」
周囲がその人外に、その人外のおそらくと推測される正体に、慄く中、ただ一影、十三だけがまったく異種の感情を発露していた。
「・・・そんなことは、人であるかどうかなどは、勝手にそうであればいいことだ。証明の必要もない、ただそうあるかどうかだけの話だ。だが、忍びは・・・違う」
まるで多くの人間が、「貴様は人ではない」と否定されて「自分は人間だ」と反発するように、目前の来道に十三は憎悪すら抱いているように否定の念を送っていた。
「なるほどの。お前さんのその態こそまさしく人間よな。証明の必要もない。そして実際に、儂が別段忍者という意味合いをこの世に作り上げたわけでもない。単にそれがちょうど名前としてしっくりいっただけで、利用させて貰っただけとも言えるの。だが、お前さんらに連なるその原点は、この儂が作り上げたというのが事実だからの?」
来道はそんな十三を面白おかしそうに見ながら、答えて言った。
「おい、・・・今なんつった?」
だが、その来道の言葉に聞き捨てならないと横槍を入れたのは、十三ではなく加藤。
「原点だと?作り上げただと?てめぇはいつから・・・いや、まさか!?」
「そうよの。思ってる通りだろうてよ。言ってしまえば、白影なんぞとも呼ばれたのも儂よ」
言葉の意味に愕然と衆目が凍りつく中、顔面を引きつらせている加藤を無視し、意にも介さず十三が口を開く。
「だから・・・そんなことはどうでもいいんだ」
周囲の空気を押しやるどころか叩き潰すように、ただ一影のみ別世界にいる。
「こいつが・・・何者だろうが、何であろうが、だからどうした。今更真相がどうしただの、知った話じゃない。重要なのは、どうするかだけだ」
「何を、どうする、と?」
さすがに衝撃を受け動揺を露わにしていた字塩だが、十三のあまりの異質さに逆に冷静さを取り戻し怪訝ながらも問いかける。
「確かに、もっともな話でもあるの。今更儂がどんな存在か知ったところでどうしようもないだろうし、儂がわざわざ現時点で姿を現したのは儂に目的があることが明白でも、だからといってそれをお前さんらが考慮してやる必要もないだろうよ。だから、知ったことかと見て見ぬ振りでさえなく、見ても知らぬとしてしまえばそれでいい。間違ってはないよの、間違ってはのう」
だが、字塩に十三が答える前に来道が先に再び口を開いた。
「とはいえ、此方もわざわざ出てきたんだからの。見ないようにしようとしても、無理矢理にでも見て貰おうかのう。そう、儂は何でも知っているからの。なにせお前さんらとずっと一緒だったんだからのう」
「・・・っ」
今更の話、あるいはそう誰もが思いながらも、言及しなかった部分に来道が触れた。
同時に、その口どころか存在そのものを消し去ろうと動きだそうとしていた十三は、そんな来道の嘲る様子は微塵もないが、見下すのとは違う超然とした視線に動きを止めてしまう。
「まず黒子十三よ、お前はただの復讐者、いや、破壊者でしかない。自分でわかっているだろう?信念も求める未来も何もない、ただ過去を理想と望むが故に、かといって取り戻せるとも思わぬがために、今の自分であろうと決めた。いいや、逃げた、かのう?なにせお前さん自身がどうでもいいと思っているからの。ああ、つまりはお前さん自身のことを」
そして、来道より紡がれる科白に十三は、
「・・・」
いつも通りか、言葉もない。
「刃のような心か、心を持った刃か。正に、だの。ただしお前さんも心に止めているように、心の時点で人の心でないわけがない。では、忍者とはようするに何かと言えばな、人間と同じ者ということだの。だからお前さんは間違ってなどいない、偽があると思うなら真を立てて好きにしてしまう、そのためのものだからのう」
来道の饒舌が振るわれる中、周囲の誰もが一層凍りつくしかなかった。
そこには先の十三が子供騙しでしかないほどに身も蓋もない、純粋なその場の中心が現れたのだから。
物事の一から十を決める、その中心が。
「ただし、だのう。そもそもの根本から崩された時、さてお前さんはどうするんだろうの?何が出来るのだろうのう?」
「・・・俺・・・は」
「儂が忍者なら、お前さんは何だろうの?」
『・・・知ったことか!!でいいんだよ、ここはよぉ!!』
動けない十三に、一度その存在そのものを危うくされた時点で死んでしまったかのように押し黙っていた岩人が、必死と形容するにふさわしい剣幕で発破をかけるものの、それでも十三は、
「・・・」
動かない、動けない。
「それこそ正しい判断だろうの、八名瀬岩人よ。お前さんは欲望に正直だ。だがの、だからこそ本当に正直な話からお前さんは逃げられん。試してみるがいいよのう。もしも自分自身の力などというもので、なお、そうやっていられるかどうかを」
『このっ、馬鹿がぁあああああ!!』
岩人が絶叫する。誰に向けた叫びか。
それは目前で核心をつく来道にであり、動けない十三にであり、おそらく岩人にとってはあまりにも珍しいどころか奇跡に類することではあるが、自分自身に対して。
「では、の」
合図も予兆も何もなく、瞬間的に血液が四散しぶち撒けられた。
岩人の絶叫が唐突に絶たれると同時、十三に寄生していた岩人であるところの血塊がまるで解凍されたかのようにただの血液、すなわち岩人の意思を失くしたように流れて散ったのだ。
「・・・づ!?」
当然のことだが、岩人と共生していた十三も文字通り息の根を止められた状態になって倒れかけるが、なんとか膝を落とし這い蹲りながらも倒れはしない。
岩人に裏切られることを予測ではなく、予定して準備していた十三の身体保全策が機能したのだ。
とはいえ岩人の真似事で心肺機能を保持できていても、元より飾りに近かった左眼はともかく、右腕はただ喪失されて戻らない。
「ま、こうなろうよ。どんな心があろうとも、お前さんらの心根は力に支えられ出来ている。虚勢とは言わんがの、その程度のものだとは理解すべきだろうのう」
「・・・」
十三は来道に対して言葉なく、膝を折ったまま眼下に散らばる血溜まりを苦い目で見ている。
「さて、お前さんが何者か、儂の独断と偏見で断定してやろう。なに、ずっと見てきた儂だからの、お前さん自身が思うより正確だろうよ。そうだのう、空虚、そう思いたがっている贅沢者だよ」
来道の言葉にゆっくりと面を上げる十三。そこには驚きも悲しみも怒りさえなく、逆に初めて興味を持ったかのような光があった。
「お前さんの原点は、知らない、わからない、考えない、だよ。お前さん忍者に執着してるようでいて、実際は違う、どうでもいいとすら、そうだの、思っていない。ただそこにあるものであればなんでもいいだけで、目の前にあったのがたまたま忍者だっただけに過ぎん。もっと言うなれば、お前さんの手に届く範囲に忍者しかなかったから選んだだけというだけだ。固執しているのではなく、せざるを得ないからそうしている。だが、お前さんは満足していない。そして出来ないから空虚だと思っている、違うかのう?」
「・・・」
「返事がないのは肯定とみなすが、構わんな?いや、それもわからんだけか。安心せいよ、誰もがそうだからの。別に特別なことではない。特別でいたいのなら話は別だが、お前さんはその手の手合いとは少し違うからの。肯定されるまでもなく自分が特別であると確信出来ている類なんだからのう」
「・・・確信、しない奴が、おかしい」
「それもそうだろうの。だが、する奴もおかしいだろうよ。まったくおかしい話だがの。それでだが、お前さんは絶望したことがあるかのう?」
「な・・・」
何の脈絡がある。そう誰もが思うしかなく、言うしかない事を言い出した来道に呆気にとられる。
だが、十三は、何をと言いかけて、理解した。ただ独り。
「それがお前さんの空虚の正体だよ。そしてお前さん自身もそれを理解していたから、そうさの、まさに絶望してきたんだろうの。喜んでいい、お前さんは絶望出来るほどのものを見出してこれなかったんではないよ、それがお前さんの絶望だっただけだからのう」
「・・・」
「思い出してみればいい。シニョリアーナの死体を見つけた時の自分の心を。お前さんは確かにその時ですら対して何も感じなかった。特別な思い入れを抱いていたと感じていたはずが、引き裂かれるべき心の苦痛も何もなく、いつもの自分がそこにいた。だからお前さんは笑うしかなかったのう。そう、何故お前さんは笑えたよ?」
「そう、だな・・・違いない」
十三は今度も笑っていた、笑えていた。
全て得心がいった様子で、晴れやかで清々しそうに。おそらく絶望して、だ。
それが絶望なのか?と、人に言われるかもしれなくとも。
「つまり・・・俺にとって忍者は、そういうことだったわけ、か?」
「いや、それは違うのう」
だが、ついでの確認のように放った言葉に来道は否定を返した。
呆気を取られたままの周囲を置いて、十三の表情が怪訝に歪む。
「実際、その逆だろうよ。ようするにの、お前さんは自分を理解していて、そんな自分が嫌だった。それだけのことだろうのう。ただ、そんなことなど知らない、わからない、考えないとして来ただけでの。結果、無意識にそうでないいわゆる『普通』を求めた。だが、お前さんにとって肝心なのは、その『普通』に絶対に辿り着かないことだったわけでのう。なにせお前さんは普通などを求めてはいなかったんだからの。そんなものでは満足出来るわけがないからのう」
絶望とは何か?
端的に表するならば、それは希望が途切れたとき訪れる失望、そういったものであると言えるだろう。
だが、絶望とはそんな程度のものではなく、魂切る痛みを伴うどうしようもないほどのものであると、そう大抵が思う。
失望した程度なら気の持ちようで何とでもなる、だが絶望はもう取り返しがつかないほどのものであると。つまりは絶望とは失望した結果ではなく、そのさらに上級のものであるというわけだ。
それこそ魂が悲鳴ではなく、絶叫を上げて断末魔にもがいている、それほででなければというわけだ。
だとすれば、裏を返すならば絶望出来るとはどういうことであるか?
もし貴方が本当に絶望出来るとしたらそれは、少なくとも持っていたのだろう、その絶望に足るほどの希望を。
そういうことになるのだから、絶望さえ出来ない人間がいるとすれば、その絶望さえおそらくは、ということに違いないわけだ。
十三にとって絶望とは感じたことさえないもの、故にそれは忌避する以前にまずもって得たいと願うべき何物かだった。
破綻しているようで本末転倒でさえあるが、実際のところそうであることそのものが絶望なのだから、願い通りに十三は浸っていたに違いない。
だが、それでも十三は当たり前のように求め続け、理想を、満足出来る何かを追った。
だとするならばそんなものは絶望などというものを望んでいるはずがない、通常通り当たり前に希望を、幸福を、どうにか手にしようと求めているだけの話だ。
それでもその希望の中身はなんであるのか?今更言うまでもないが、それこそ十三の望んだ、あるいは望まないほどの絶望だろう。
何も間違っていないし可笑しくもない。よく考えてみればいい、世界とは元々そのようなものだと気付くだろう。
だから十三は他の誰も彼もも同様にしてきたように、飽くなきを求めただけなのだ。
簡単な話だ、手に入らなければ達成されなければ、永遠にそれは終わることがない、ただそれだけを目的にしてすり替えたというだけのこと。
つまりはあまりによくある人間の話に過ぎない。
「復讐者であり破壊者であるお前さんを前面に押したてて、立てた自分に悦にも入れない自分をさらに得て、それでも足りないと気付きつつ誤魔化し続ける。なにせそもそも得るべき目標、希望の形なんぞがないからのう。だがの、お前さんを傍から見てればのう、そりゃあ楽しそうに見えるよ。ようするに贅沢者だろうよ?何か違うかの?」
「・・・それでも俺は、何も」
「得ていない、かの?そりゃそうだろうてのう。当たり前だろうよ、それが狙いで目的になっているのがお前さんだと言ったばかりで、それだからの?」
「・・・」
いつもの寡黙ですらなく、言葉すらないが故の、当たり前の沈黙に十三が沈むのを見て、来道が満足気に口の端を歪める。
「さて、お前さんらも他人事だと思っとるかもしれんが、此奴とたいして変わらんからの?」
そして同様に沈黙しているというよりは静まり返っている周囲の時間を壊すように来道は言葉を放る。
「のう、字塩よ、お前さんなどはあの幻十郎が羨ましいと思っておるものな?」
話の焦点を向けられた字塩は、凍っていた字塩は何故かその表情を綻ばせた。
「ああ、そうですね。なるほど、その通りですよ。確かに、本当はどうでもいいと思っていますよ。忍者もこの場のことも、結局は私が望んだわけでもなんでもない。求めてさえいない。それでもしがみつく意味があるかなど、暴かれればそれこそないでしょう。しかし、悲しいかなこれは現実ですよ、来道翁。見る限り常識外れの貴方はともかく、そうでない卑小な存在である我々には、幻十郎のようになるのは同じ末路を辿るだけのことになります」
「だろうの、だろうのう、そうだろうのう」
字塩の言に来道は言葉と同時に何度も頷く。あまりにも強調しすぎで、かえって否定であるように見えるほど。
「で、だがの、今はそうならないとでも?」
そして実際、違いなかったが、字塩の顔には不快も驚きもない。ただ人を食うための微笑みが以前としてある。
「来道翁、貴方が今まで通りにしていてくれるならば、叶うことではないですかね?生殺与奪を握りながら問うのだとすれば、それは我々の言葉をいれてくれる前提であると解釈していいのでしょうか?」
「お前さん、真正の阿呆かの?」
だが、そうして字塩が打って響いた来道は、笑みを浮かべながらも笑いどころか嘲りですらない、冷ややかな言葉を吐いた。
「意味が、わかりません、が・・・?」
「わからんということは阿呆だろうの?お前さんらも此奴、十三とさして変わらんと言ったばかりだろうにの」
「すいませんが、理解しかねます。説明もなく悪し様に言われても、納得出来ようがありますか?」
「お前さんらに絶望はあるのかのう?」
「何、を・・・」
さすがに唖然と理解不能な字塩はたじろぐ。来道は笑ってはいるが、笑っていない。
「だから、何があるのかのう?お前さんらは十三に言われて答えられなかったろう、どうして忍者であるのか、そうありたいのかを。そんな理由はなく、ただ都合が良いからが答えかのう?ようするに都合が良ければ『なんでもいい』と?それはの、どういうことだろうのう?儂には根本が何もないように思えるがのう?でなければの、忍者なんぞに縋る必要あるまいて?」
「縋って、いる、です・・・か?仮に、それが事実だとしても、拠って立つのには何かを据えなければいけないのが現実ではないですか?幻十郎も自分の拠り所を持ってああしたのではないですか?」
「だからお前さんは阿呆だと言う。お前さんにとってどうでもいいのではないのかのう、その拠るべき拠り所とやらはのう」
「我々に主体がないと?」
「違うのう、望みがない、そうではないかの?」
「っ!?」
字塩は言われ、ようやく理解し衝撃を受けていた。確かにと言うしかないためだけではなく、理解したが故に、自身がたいして衝撃を受けていなかったことにこそだ。
最初からわかりきっている事実。ただそれだけのことを指摘されたに過ぎない。しかしそうではないはずだと、ほぼ確実に人は夢見るか、であるならば幸福を得てみせるのだと意気を上げるだろう。
たとえば貴方は愛を知っているか?愛し愛されれば、そこには生きる意味があるのだと実感できる、そういうものを。
もちろん知っている、と彼等、忍者を名乗る影達の大半も答えただろう。現に一般的幸福である諸々に彼等が触れてこなかったわけではないのだ。
親もいれば子もいて、恋人もいれば愛人もいた。なんら特筆すべきことさえないほどに。彼等の世界にだって悲喜交々とともに、容易く使われるそれと同じ愛はあった。
たとえ愛がなかったとしても、食欲、性欲、知識欲、娯楽として幸福を得られる矛先など幾らでもあるし、彼等自身もまた大いに嗜んでいた。
ようするに彼等は普通だったし、何を責められるいわれも落ち度もないはずだった。
だが、彼等は何故か知っていた。いや、知ってしまっていた。
求めるべきものなどそんなものしか知らないが、どうも満たされるのに足りてはいないのではないかと、漠然と常にそんな実感を抱いていたと。
字塩のみならずその場の全員が胸に手を当てて考えれば、確かにと痛感するしかなかったのだ。
何も持っていないわけではない、失くしたくないものとてある、しかし本当に失った時憤るにしろ失望するにしろ、おそらくではなく絶望まではすまいと。
「はっ、よくも言いやがる。てめぇが白影で、自ら忍者を一から捏造してきたってんなら、お前こそが俺達のそんな素養を導いて来たってことなんだろ?」
だが、ただ一影、高木加藤だけが、おそらく想いは同じく実感はありながらも来道に反論を打った。
「無論、そうだのう。儂の目的のために、そうなるようには仕組んだよ。それで、思えさんらの自由意志はその程度のものであると認めていいのかのう?」
「詭弁をほざきやがる!!自由意志もクソもあるか。そんな理屈はクソ食らえだ、単にてめぇが諸悪の根源に違いないくせに、悪気のない顔でのうのうとしてやがるのは気に食わねぇってんだよ!!」
「気に食わない?違うだろうの?特にお前さんはのう。なぁ、影山 踏伍よ」
場が固まる、しかしもはや誰もが、またしても何を言い出しているのかと呆気に取られることすら出来ず、ただ何だ?と情報を与えられるのを待つしかしなくなっていた。
そして当の加藤、別名で呼ばれた彼は今まで見せたこともないような鉄面皮、冷淡で底冷えのするような表情のない視線で来道を射抜いていた。
「そこに居る高木加藤は、ようするに影武者、別人なんよのう。では本人はいつから代わり身と入れ替わっていたのか?どうして入れ替わっていたのか?果ては、そこの影山が何故そんな役目に甘んじているか?だのう、肝心なのは」
来道はまったく変わらない様子で、加藤ではなく反論すらしないことで言外に認めている影山の視線を受け止めながら語り出した。
「高木のが昼行灯と呼ばれだしたのは、奴が多くの任務を経て生き残り、歳を食ったことで自然と主君としての位置にその身を落ち着けた頃からだったの。だが、元から奴の性分は怠惰だった。言うなればの、彼奴は最初から出来ることなら何もせず、食って寝ていれればそれでいいと思っておったんだよ」
「そうだ・・・だから俺が代わり身になって、仕事を引き継ぐことで、あの方は自由に、いや、面倒から解放された」
もはや認めるどころか追随し、来道を補足する影山には表情も抑揚もない。被っていた仮面が削げ落ちたかのように、仮面でない表情が仮面になっているようだった。
「二十以上も若いお前さんは、そこまで生き延び忍びに尽くしてきた彼奴に敬服していた。ほとんどがそれまでに命を落としているからの。それなのに報われない彼奴に報いてやりたかった、だから身代わりになった」
「そうだな、何も疑問に思っていなかった・・・むしろ自分があの方の立場に成り代われるのは僥倖だとさえ思っていたよ」
「しかし彼奴はそうしてしばらくすると、本当にすべてをお前さんに押し付けて姿をくらましたわけだのう。とはいえお前さんにとってそんなことは別に問題なかったわけだの。彼奴が自由になれたというなら、それは良かった。ただ、自分はどうだろうと考えたのがまずかったのう」
「考えたら、どうして俺はこんなことをしてるんだろうと思ったさ。別に影山踏伍に未練があったわけでもないがな、高木加藤で居る理由ってのがな、なーんも無いと気付いたのさ。ああ、そうだそもそもなんだって忍者なんぞをと、俺もそう思ったさ。だが、ことはそんな程度のもんではなかったわけだ」
「何度も言っているように同じだわのう。忍者をやめて、それで何があるというのか?何もないわけだよのう」
「ああ、そうさ、その通りだよ。だがな、それがどうした?忍者だからって問題じゃねぇんだぞ?人間てのはそういうもんだろが!!」
「確かに、忍者だからお前さんらは何もないわけではないだろうのう。人間なんてものは最初からそういった代物でしかなく、知恵を得て知性を持ち上等になったかと思っても、逆に現状認識してしまうことに嘆く始末も甚だしいというわけだの。それでも普通の人間とやらは大いに人生を謳歌しとるもんだがのう」
言う来道が浮かべる笑みを、鉄面皮に皺を寄せて唾棄して見せる影山。
「だから、貴様がっ、そう仕向けた、ことだろうっ」
噛みしめるように、あるいは歯を食いしばるかのように声は荒げないものの、その何倍もの情念がこもっているだろう怒りを吐き出す影山。だが、もちろんのこと、無駄でしかない。本人すら理解している。
「その通りだと、そう言っておろうよ。普通の人間というものは、普通の社会において疑念も抱かずに生きているものよな。食って寝て遊んで働いて、社会形成の一員となりながら愛し恋し生きていければ、それでいいとなるもんだのう。それはどうしてだと思うかの?知らんからだのう、それ以外、何ぞというものを知覚しておらんのだから、さもありなんというわけだ」
「なら・・・てめぇは知ってやがるってのか?それ以外を。そうじゃねぇだろうが・・・」
「だのう、それもその通りだのう。だがの、その儂さえも知らぬ未知を仄めかしただけで、どうしてかくも斯様に常道を外れるものかのう?」
「だから、お前は、錯覚させたんだろうが、俺達に。もしかしたら未知の何かが展望の先にあるかもしれんとな。俺達が忍者だと、人間以上になれる、あるいは人間ではない何かであるんだとな」
「果たして錯覚かのう、それが」
「錯覚以外の何だってんだ。もしも錯覚でないと言うんならな、俺達はどうしてこんな人間臭いいざこざで揉めてなくちゃいかねぇってんだ。わざわざどうしてこうやって・・・」
「生きていかねばならん、かと?必要ないだろうの?やめてしまえばいいと、最初から儂は言っただろうのう?人間でいたいからいるのではないのだろう?どうしてもそう思うしかないから、人間だと自ら認じているに過ぎんわけだ。不都合ならば、必要なかろ?」
一際大きく破顔し来道は言った。その明るい笑みを見て、何人かは邪悪と見ただろう。
事実、笑われているのは眼前の彼等ではないかもしれないが、笑い飛ばされてすらいないとするならば、一笑に伏されている現状は何なのかという話だった。
「高木加藤が今どうしているのか、知りたいだろう?教えてやろうかのう。そう、」
「久しぶりだなぁ、踏伍よぉ」
再び場が凍りつく、それは来道がその場に現出した時と同様に唐突だった。
影山がその声を耳にした瞬間、愕と表情を歪めるその背後に、誰もが認識する暇もなく、気づいた時点でそれはそこにいた。
「あんたは・・・」
振り向き影山が見たものは、いつかの在りし日から幾分か老けた、影山が写し身としてきた鏡像の姿。
高木加藤、その本人が来道と同じようにそこに居た。
「こうしてここにいる。とっくにやめているからのう、人間をの」
来道が影山の反応を楽しむかのようにそう言葉を結んだ直後、影山が再び刀を抜き打った。
「とっくに死んだ亡霊がっ!!」
影山の叫びと共に雷動を纏った音速の斬撃が空間を凪ぐが、軌道上の加藤はまるで無造作に箸で物を摘まむように二本の指でそれを挟みとって止めた。
「まだ青いか。ぬるすぎだな、小僧よぉ」
「あんたは、あんたは、とっくに死んでるはずだ!!俺は、あんたの消息を見つけて、確認した、この目でだ!!」
「確かにな、本当は自分で殺したかったんだからなぁ、お前はよぉ」
「なんだってんだ、なんなんだ、あんたらは!!」
もはや絶叫になったような怒鳴りを上げて影山が吠える。向けられた二つの影は当然と言った顔で答えた。
「忍者だろうの」
「忍者に決まってんだろうが」
影。人ではなく影だと彼等はただそう言い切っていた。
「・・・っは、はは、ははは」
ゆらりと陽炎のように消沈していたように見えた影、十三が吐き捨てるように乾いた笑いで笑い飛ばした。
何をだ?決まっているとばかりに続けて嗤う。
「・・・つまり、お前らは、そのためだけに、人間をやめるためだけに、俺達にもそう思わせるためだけに、こんなことをしてきたわけか」
「有り体に言えば、そういうことだのう」
「それで、てめぇは何がおかしいよ?」
来道と加藤が不敵に笑い返し、十三と再び対峙する。
「・・・わからないとでも?馬鹿にしているならまだいい・・・お前達は馬鹿なのか?確かに、俺達は根っから忍者ではなく、やはり人間なのだと自覚してるんだろうな。それが馬鹿馬鹿しいことだというのも、・・・だろうな」
折れていた膝を起こし、十三の残った左腕が真っ正面に構えられる。
「人間である意味、理由、そんなものはどうでもいい、どうでもいいだろうさ。必要ない、むしろ足枷ですらある。だから、・・・何も間違っているとは思わない、・・・人間でなくなろうとすることがおかしいはずがない。俺も・・・そうなれるものなら・・・それがいいとすら思っているかもしれない。だが、な、それが人間以外の何だと言う」
「なんだ、結局お前もそれかよ、つまらんぜ」
見据えて語る十三の言葉に加藤が言葉通り心底つまらなそうに吐き捨てるが。
「つまらない、か・・・月並みだが、そう思うこと自体が、どうしようもなく人間なんだろう?」
十三に是非はなく、その目も態度も据わりきっている。
「問答はいらん。厳密な話なんざどうでもいいんだよ。そこにたかが人間のくせに熊でも虎でも片手でひねり殺せる野郎がいればな、そうでもない人間にとっちゃそいつは自分のことを気紛れでさえどうにでも出来る存在であり、脅威だってんだから、つまりは化け物だろうが。人間なんかじゃねぇってのはそういうこった。ましてやそいつが常識とやらから逸脱している力の持ち主となればなおさらだろうがよ?なんせ何がなんだか説明がつかないんだからなぁ」
加藤はそんな十三にうんざりした態で言い捨てながら、掌で払う仕草を向ける。
「だから、・・・なんだという?そんな程度の話をしていたつもりだとでも?」
もちろんの事、十三はそよぎさえもしないが、加藤もわかりきっている顔しかしない。頭を掻いて、言葉を続ける。
「人間は理解出来ないものを認めねぇなんて、よくある話をしたいわけじゃねぇぞ。呼称なんざどうでもいい、俺達が忍者で何も問題がないってのと同じようにだな。少なくとも人間でいようとするか、ねぇのか、その程度のことで決まるって話さ。だったらわざわざご苦労にも、めんどくせぇ人間縛りなんぞいらんだろうって話だ。わかったか、おい?」
「当初の予定では、こんなことを説明するはずではなかったがのう。むしろ説明している時点で己で言うのもなんだがの、失敗しているというわけだ。お前さんらはさっきのまま放っておけば、最後まで殺し合いに終始して、あわや全滅、水の泡だったからのう。仕方がないからこうして出て来たわけだ」
そして途中で口を挟み話を引き取った来道が十三の背後に回るように、全周の誰もにその姿を誇示するように、歩きながら言い放つ。
「いいからお前ら、人間やめろ、とな」
その一言はとても軽く吐き出されたが、来道は有無を云わせぬ威圧感を言葉に乗せていた。
「だから・・・それのどこが、人間以外だ!!」
十三は、それでも、いやそれだからこそか、吠え猛った。
「貴様らにそれが・・・出来るなら!!俺を今すぐ人間でなくして、それを、みせてみろ!!」
「わかんねぇ奴だな、とっくにてめぇらは人間なんぞはやめてんだよ。それでもその上で本当にやめたいならな、ここからぶっ壊して行くんだって話だ。結果だけを性急に欲しがるなってんだよ」
加藤は唾棄した視線で十三を見下しながら言った。
「いや、・・・確かにそうだ」
そこで十三が新たな反応を起こす前に、それまで沈黙していた字塩が前に出て来た。
「貴方達の示す先に、求めるものが見える気がしない」
「ほう、求めるものがわかったとでもいうのかのう、今更に」
来道が字塩の目の前で止まり、その眼差しを覗き込む。
「まったく、わかっていませんよ。ただ、感じるだけのことです。貴方達からは確信が感じられない。つまり我々と同じでしかないと。そういうことでいいですか、黒子十三、君の言いたいことは」
「・・・違うな」
字塩の反抗に水を向けられた十三はしかし否定で返す。
「こいつらは物を考えて言っている。それが人間でなくてなんだ?」
そしてあまりの一言に、来道や加藤さえも愕然と一瞬凍りつくように停止した。
「お前さん・・・阿呆なのか?気が触れたかの?」
それでもいち早く自身を取り戻した来道がごく当たり前のことを口にするが。
「・・・狂っているのだとしたら、それで俺は俺でなくなれるか?それと同じことだ。言うには、お前達が作って来たものだろう、こんな俺も、お前達も」
十三は超然と胸すら張って言ってのける。
人間はいかにして絶望出来るのか。
望みが絶たれる、それがすなわち絶望ということだ。
だとするならば、まず望みがなくてはならない。その望みとは、何処からくるものだろうか。
たとえば平和な世界で何不自由なく順風満帆に生きてきた平凡な学生が異性に恋をしたとする。
だが、その恋は実らず、悲恋に終わることになるとする。
それで絶望することになる者もいるし、そうでないものもいるだろう。
絶望するとするならば、その恋はその者にとって比重の大きいものだったのだろう。それはもう、その人生において、今まで得たことがなかったか、今までで最高のものだったと言えるほどにだ。
逆に絶望しなかったとするならば、その感情は大したことがない、些細で些末なものであったということだ。その程度のものが恋であったかどうかなどという論議は別にして。
だが、恋に破れた程度で、そもそも進退窮まるなどということ自体がふざけているという話もあるだろう。
どれほど大事であったとしても命まで落とすわけではない、そもそも次の恋があるかもしれない、そんなもので、というわけだ。
もちろん、そんな問題ではない。絶望出来るか出来ないかは、出来てしまったならばそれだけで十分、付随要素などどうでもよいことだ。
さらに言えば、中にはその恋が実らなければ人生すら、その一命すら意味がないほどに、真実真剣な重みを持っている者だっていたとしてなんらおかしくはないのだから。あたら平凡な学生であろうとなかろうと、誰にしろ。
そう、絶望することなど、大したことではないのだ。絶望している、そう思えればなんだっていい、その程度のことにすぎない。狂気することが難しく簡単であることと同じぐらいに。
逆にいうならば、絶望しないことも大したことではない。ただ、まだそうではない、もしくは、何事も何でもないと、思い続けられればいいだけのことだからだ。
当然、人間にはそんなに都合が良い思考が出来る手合いは少ない。希少も希少だし、そもそも出来るような者はもはや人間と言っていいのかすら怪しいだろう。
それでも、程度の問題で実例は数多と存在する。
たかが悲恋一つで絶望出来るように、そんな程度では小揺るぎもしない、少なくともその程度では絶望しない、あるいは出来ない者など珍しくないわけだからだ。
問題はすなわち価値観にある。もしくは世界観と言ってもいい。
親に育てられた子供は、大抵の場合親を慕う。極論すれば育てて貰った恩など無意味とし、自立が可能になれば独り立ちし親のことなど忘れてしまえば、少なくとも子にとっては何の問題もないはずだ。しかし大抵の場合、親に育てられた恩か、何らかの感情、思い入れと言ってもいい思考で子は親を見捨てない。
それは何故か?親に価値があると思うからであり、親に価値があるという世界観が意識の中に形成されているからだ。
この世の何事にも意味はなく、故に意味はすべてに与えられる。そうだと認識し個人の中に作り上げられた意味が、世界を世界たらしめる。
それでも痛みは痛みであり、恐怖は恐怖であり、悲しみは悲しみで、喜びも喜びなのは疑いようがないかもしれない。ただ、体が生理的に反応するような原初の感覚が正直であるとしても、対して生じる反応には結局のところ個体の持つ個である所以が動くのだ。
悲恋に遭遇したら、それを悲恋だと思うのならば、まず間違いなく悲しみ嘆くべきかもしれない。文字通り悲しい恋であったはずなのだから。しかし、悲しいからこそ悲しむことはより辛いだけと、悲しまないようにする思考もあるだろう。
極論してしまえば、徹底的に行きつけば悲しみがあれば思う存分悲しむ一方、 悲しみがあろうともはや悲しみでもなんでもないように流してしまうようなことが、当たり前になっている思考が存在するということだ。
どうしてそのような思考が、意識が、出てくるというのか?どうしても何もない、そのように考え感じるのが「当たり前」だったからだ。
当たり前のことでなければ、そもそも当たり前に考えはしない。言うまでもなさすぎる話だ。
そしてその当たり前は、世界観と言うように、往々にして世界より来る。
悲恋であれば悲しまなければならない、周りにそのような道徳が充満していれば、自然にそう思うことが当たり前になるというわけだ。
絶望出来るかどうかもそれと同じことで、どの程度のどんな事であれば絶望に足るのか、その基準と示唆を世界より示されることで人は合わせて染まるのだ。
不破来道がやったことは、そうやって忍者という虚像を用意し、逸脱した常識を当然と思わせることで、その型に嵌めるということだった。
言うなれば、社会が用意する人間の作り方、それを実践したのである。
この世の既存の価値に関心の薄い、そもそも価値というこの世の意味にたいして意味を見出せない、そんな存在になるように。
超常能力は人知を凌駕するが故に人間という閾値を曖昧にし、差別的にして過酷な境遇と命が軽々しく消耗されて行く状況はまさしく根本である生命を尊ぶ死生観を希薄にさせ、そんな生活の中で人間的な快楽や娯楽という生きていくその理由の素晴らしさを軽視させる価値観、すなわち忍者を示されれば人は人でないものにもなるだろう。
根本からねじ曲がっていれば、いくら狂っていようがおかしかろうが、そもそもの観点から欺瞞されているためにその中にいる限り誰も気づきはしないのだ。
たとえ気づいたとしても、すでに「そのように」なってしまっているモノが、そうそう容易く変節出来ようはずもない。
だが、十三が言ったように、すべては茶番と等しいとも言えた。
人外の思考と常識と規範、それすら人外と定める人の観点にしか過ぎはしない。
言ってみるならば、来道自身がすでに最初から自身が仕掛けた仕掛けと同じものに落ちていただけのことなのだと。
ましてや、その当の十三がその時点においても「絶望出来ない」が故に、来道の搦手さえも同じと越えたのが今だった。
所詮、来道も加藤も字塩や影山や残りの忍び達も、状況に感化されて茫洋とし鈍感になっているだけに過ぎず。だからこそ「絶望出来ない」などという欺瞞だけで十分「絶望出来た」のだから。
ただ価値観が違う、観点が違う、それだけの普通の人々だったのだ。
だが、十三はそれが欺瞞か真実か、本人にさえも判別がつかないが、だからこそ、完全に異常に壊れていた。
絶望を望む限り絶対に絶望など出来はしない。
実際のところそれだけのことなのかもしれないが、それを実践出来ないから人は絶望出来る。
十三もおそらくはそういった人でしかない範疇におさまる程度には同じだったのだろうが、あまりに程度が違いすぎたのだ。
単純な話、絶望とは娯楽であり快楽なのだ。
そんなものを味わいたいわけがないが、そう出来てしまえば「それで終い」に出来るからこそ絶望であるためだ。
永遠の苦痛に対する安らかな死のようなものだと言ってもいい。
だから、「人間ではない」という程度の欺瞞で絶望して、「人間ではない」と受け入れれば、それがどれほどの苦痛であったとしても、少なくとも苦痛であった時よりは「良い」のだから。
そう、十三はそれが出来なかった、この期におよんでさえ、「絶望が出来ないことにだけ絶望」した。
すなわち、満足などなく飢餓のような希求だけを持っていた。
そしてそれでさえ、そんな十三でさえ、あまりにも人間の観点の内でしかなかった。
十三はその時そう理解して、明らかに絶望していたのだ。
どうしようとも逃れられない呪縛に自分が囚われていて、度し難いとしか言えないほどに間抜けでしかない自分に気づけて、満足など出来ないと知った時、途方もない先行きのなさにほんの少しだけ。
ようやく人間とはいかにして絶望するかを垣間見て。
比べれば、今の胸の内も状況も、十三にとって何程のものであるかなどわかろうというものでしかない。
「・・・それに、お前達は言う程のモノでさえもないんだろう?」
「どういう意味、かのう?」
眉根を寄せて来道が堂々とした十三に訝しげに聞き返す。
「・・・そもそもそれだ。どうして問う?周りに披歴するための手段だとでも?違うだろう、実際のところお前は俺の心を見透かしてさえいないんだからな」
「ふむ、・・・なるほどの」
そして破顔一笑する来道。否定ではなく肯定の言動でありながら、堪えた様子もない。
それで?とでも問いたげな態度に、十三は片目を細める。
「・・・つまりは、お前達もくだらないということだ」
十三は笑いもせず、いつものように静かに呟いて、空洞と化した左眼に残った左手を突き入れた。
そして引き抜いたその手の中には小さな装置。
「だから・・・こんな仕掛けさえ見落としている」
言って握りつぶしたその瞬間、かつて稗田がそうしたように、建造物内に仕掛けられていた炸薬が一斉に点火された。
超速の反応で対応をしようとする間も無く、小型核とでも言うほどの爆圧と灼熱が壁に床に天井と四方八方から押し寄せその場を飲み込み平げる。
阿鼻叫喚が、断末魔が、放たれることさえなく数十もの影が燃え尽き砕かれる刹那、その破壊の嵐を切り裂いて駆け抜ける影は案の定、六。
十三に向かって飛びかかる来道と加藤に、加藤へと刀を抜き打つ影山に合わせるように字塩が追従し、九斬が意外にも十三を守るように滑り込もうとしていた。
十三は当然予期していた爆発を手繰るように空破を展開して仁王立ちしている。
十三が虚空を掴むように捻った左手、一度開かれ再度閉じられた掌が、何か、その場を襲う破壊の嵐を掴み取って行く。
空破の流れが十三へと重力に吸い込まれるように落ちる中、爆圧を受けながらも強引にその身で引き裂いた影山の雷刃が加藤に届く。
加藤はしかし事前に見切っていた刃の軌道に手刀を叩き落としており、雷速の斬撃を打って逸らす。そのまま刀を巻き取り、刃を奪う無刀取りへと移行しようとする。
だが、影山はそれすら予測して、自らの奥の手の一つを振るっていた、弾かれ取り上げられていく刀の影からもう一つの抜き打ちが飛んだのだ。
雷動血操、いや、鉄操。血中に余分に忍ばせていた鉄分を瞬時に結集させて雷動で電磁結合することで作り出された陰の刃を、その掌から生やすことで二の太刀としたのだ。
同時に放たれた二つの斬撃の一つは打ち落とされたが、もう一つは影から出でて加藤の寝首をかこうと空を裂いた。
肉に刃が食い込む瞬間、電刃と接触点の間に稲妻が走るその刹那に、影山の必殺を期した二の太刀は再度加藤の手で叩き払われる。
払った手を引き戻して間に合うはずがないし、もう一方の手が伸びていたわけではない、そこには影山の奥の手と同じように二つ目の加藤の手が振られていたのだ。
空破雷動、空手、あるいは空動とも呼ばれる空破で凝縮された空に電磁干渉をかけて物理抵抗を強化し、二つ目の腕のように使ったのだ。
そして空手は一つで終わらない。阿修羅のように、あるいは千手のように無数に伸ばされる。先手をとったはずだった影山に加藤の攻めが怒涛と浴びせかけられた。
が、影山の背には字塩の影。取り付くように影山の背後にいても普通であれば何も出来はしないが、字塩は影山の背にその手を突きたて、その身体を透過するように血流で出来た触手を無数に伸ばした。
死血が自壊誘導で対消滅を促すそれとは正反対に、対象の肉体に適合するように同化し他人の肉体越しに攻撃を可能とにもさせる血操、命血を字塩は用いたのだ。
字塩の血槍と加藤の空手が無数に激突して弾き合う、その刹那の刹那、爆圧を切り裂いて遂に到達した爆炎の中に踊り込み焼かれながら影山の三の太刀と加藤の奥の手が同時に閃いた。
炎雷空操、斬閃、そして虚刃。
鉄操で出来た傷跡から血流を吹き出させ、その血線を媒介に電磁加速を行い、生じた熱量と空破で相互補完及び強化し作り上げた一瞬の鋼を一閃として、空の居合の体勢から影山は抜き打ちに。
空手とは逆に電磁分解して弾き飛ばした空を炎気で気化させた血液を纏わせ維持し、虚空を刃にした加藤は影山に伍するように同じく空の居合いの体勢からそれを抜き打った。
前者の斬閃、影山の技は圧倒的な切れ味で、後者の加藤が抜いた虚刃を切り抜けその懐へ飛んだが、同時に抜かれても消失せずに存在を保ったままの虚ろな刃が、そのまま影山へと叩き込まれた。一瞬の切れ味と、虚ろながらも確かな刃の激突ならば、当然の結果とでもいうように。
その数瞬前、十三へと向かう来道に九斬が立ちはだかっていた。
来道を止められると思っての愚挙ではない、足止めと十三の行動への期待から来る動きだ。しかし来道は十三へと向かう前進を緩めもしない。
九斬はだからどうということもなく、迫る来道へと一心に貫手を放つ。が、躱されたわけではなく、当たらないのですらなく、すり抜けた。
空蝉でも陽炎でもなく、まるで亡霊のように来道にかいくぐられた九斬は愕然としながらも、体内で炎気雷動を血操に乗せて超駆動させ自身の身体を自分の制御よりも速く強く動かす術方、操身をもって、あらかじめ決めていた通りに抜かれた場合への追撃に身体を動かしていた。
相手の動きに合わせて勝手に反応する超反応と実際にそれを可能にする肉体の動き、融通が効かないこと以外ではある種圧倒的な身体能力で来道は迫られているが、それでも露ほどにさえ介さない。
九斬の、音を三、四周は軽く置き去りにするような後ろ回し蹴りが背に突き刺さってもまるで手応えはなく、ただすり抜けた。まさに亡霊、この世に実体がないかのごとく、だが、だとするなら不自然きわまりない。
ようするに、実体がないなら実体があるように見せる道理がない。幻影を投影しての偽装だとしても、なおさらどんな意味があるという。
九斬はだから操身の裏技、超駆動させていた炎気雷動を身体から一気に外部へ放出というよりも転移させて攻撃するという荒技、破身をその亡霊に放った。
その瞬間、捉えたのではなく来道の側から九斬は、掴まれた。放った破身ごとねじ伏せるように、空破というよりも力そのものを力技でどうにかするように。
そして次の刹那には一切の間を跨ぐことなく、分身、そうとしか思えないほど唐突に増えた来道「達」に組み敷かれ、九斬は地面へと叩き潰された。
もはや組み敷くというよりも、強引に引き倒して破壊したと言うべき勢いで潰され、九斬の肉体と意識が壊され途切れる。
しかし無為に倒されただけに見える九斬の抵抗の合間で、爆炎が来道を飲み込み十三へと到達していた。
来道達が飲み込まれたのを確認すると同時、世界を掴んでいるかのように空破で周囲を飲み込む爆発そのものを投げ飛ばすかごとく十三は叩きつけた。
何に、か?何をも、だ。
増えた来道も、絡み合う影山と字塩に加藤をも、掴んだ灼熱、爆発の全てと共に巻き込んで空破で操るそれと同じに操ったのだ。
超大規模な制空、ただそれだけのことを十三はしたに過ぎない。だが、その結果は絶大だったと言っていいだろう。
「なるほど・・・なるほどのう。お前さんは確かに気付いているというわけだ」
叩きつけられた地面から身体の発条をまったく使わないあからさまに不自然な動きで来道が立ち上がりながら呟いた。残りの来道達も同じように立ち上がる。
同様に吹き飛ばされていた影山、字塩、加藤も立ち上がるが、影山は胴を真二つに斬られながらも字塩の命血による肉体操作で回復し、加藤の方は最初から幻だったように無傷で立ち上がっている。九斬さえ骨と肉が砕けても同じと、操身で焼けて壊れた身体を起こす。
実質十三の手では誰一人倒れていないし何も出来ていないのと変わりがない、そういう様にしか見えない。
十三が叩きつけた後の爆発、その灼熱を、その手に未だに掴んで踊らせているが、だから絶大な効果があったわけではない。
そもそもがだ、来道を相手にした時点で、制空どころか空破、炎気雷動血操とすべて使えること自体がおかしいはずだ。
来道はそういった力を持っているのだと示したのは、ほとんど直前のことなのだから、抵抗自体が適うことではあり得ないという結果が出るはずとわかろうものだからだ。
虚言、もしくはただの恫喝、見せかけであったとしても、全員の能力減退をしてみせたのも、岩人が霧散させられたのも事実であるからには、少なくとも準じるような力を持っているからこそだというのは明白極まりないはずなのだ。
だが、十三は何の邪魔すら受けていないように事をなした。それは影山達と字塩も同様ではあるが、十三の技の圏内であったという事実がある。
「・・・実際どうでもいいことだ、真実がお前達の言葉通りだとしても、だからどうしたというだけだ」
そして来道の反応が、十三の返答が、偶然ではないのだと語っている。
だとするならば、後は結局尋常ならざる尋常の勝負、己が欲を満たすための潰しあいが始まるだけだ。
「だろうのう、そうだろうのう!!」
呵々大笑と来道が狂喜するかのように再び言い放つと同時、合間の寸劇のために止められていたかのような全員の動きが再開した。
目の前の敵を潰せと、ただそのためだけに。
続
ちなみにこんだけ遅れた挙句、本当なら「前回の時点でここまで語っておこうとしていた内容」がここまでだったりします・・・。
とりあえず終わりまでは行こう、誰が見ていなくても。