第88話 即位の決断
屋敷の応接室。
壊れた門の騒ぎが嘘のように、空気は妙に静かだった。
サルダル子爵は、ハンカチで汗を拭きながら言った。
「来るなら事前に知らせてくださいよ……」
心底おびえている。
グラナディスは椅子に深く座り、腕を組んだ。
「時にサルダル子爵」
「は、はい!」
「ここは王国の管轄なんだろう?」
「はい……一応は」
歯切れが悪い。
「しかし最近、王国は徴税に来ないのです」
「……誰か派遣されたとか、そういう話は?」
「ありません。誰一人来ていません」
子爵は続ける。
「年に数回あった貴族のパーティの誘いも……来なくなりました」
沈黙。
グラナディスが低く呟く。
「……まずいな」
「え?」
子爵が顔を上げる。
グラナディスは、ゆっくりと言い切った。
「誘いもない。徴税もない。派遣もない」
指を一本ずつ折る。
「この状況は――」
間。
「もはや独立国だ」
「がーん!!」
子爵の顔が真っ青になる。
「そ、そんな……!」
グラナディスは続ける。
「俺が後ろ盾になってもな」
「王国が本気で攻めてきたら、防ぎきれるもんじゃねぇ」
アリューが黙って聞いている。
「敵は100万いると聞く」
「そのうち20万でも来れば……この街は落ちる」
子爵の手が震える。
「……やはり、そう思いますか……」
絶望がにじむ。
グラナディスは、ふいに問いを変えた。
「で、お前はどうなる?」
「……はい?」
「負けた後だ」
空気が冷える。
「お前はどうなる?」
子爵は言葉を失う。
グラナディスは淡々と告げた。
「運が良ければ――九族皆殺し」
「ひっ……!」
「運が悪ければ」
少しだけ口角が上がる。
「お前はバルログ裂きの刑の上、九族皆殺しだな」
「ひぃぃぃぃ!!」
完全に崩れる子爵。
椅子からずり落ちそうになる。
「こ、怖い……!」
その瞬間。
グラナディスが軽く手を上げた。
「そこで提案だ」
空気が変わる。
「ここにいるS級冒険者――アリューが」
アリューが顔を上げる。
(S級だっけ?)
「その役割を引き受けてもいいと言ってる」
「……は?」
間の抜けた声。
同時に――
グラナディスの足が、アリューの足を軽く踏む。
グリッ。
(言え)
圧が来る。
「……う、うん」
アリューがぎこちなく頷く。
「俺が……バルログ裂きを引き受けてもいい」
「本当ですか!?」
子爵が飛びつくように顔を上げる。
目が輝いている。
(いや違うだろ)
アリューの内心ツッコミは届かない。
グラナディスはそのまま畳みかける。
「それでだ」
「この街の実権を、このアリューに引き渡せ」
「……え?」
「お前はそのまま宰相として残れ」
子爵が瞬きを繰り返す。
「さ、宰相……?」
「この街の重鎮だ」
グラナディスは続ける。
「王が負けても、宰相なら扱いは段違いだ」
「下手すりゃ召し抱えられる」
子爵の呼吸が落ち着いていく。
恐怖が、計算に変わる。
「……なるほど」
完全に考え始めている。
グラナディスは決定打を放つ。
「明日だ」
「街の中央広場で戴冠式をやる」
「大々的に発表しろ」
「王国の間者も、勝手に報告する」
逃げ道を塞ぐ。
「もう後には戻れねぇ状況にする」
静寂。
子爵の喉が鳴る。
「……わかるな?」
長い間の後――
「……はい」
決断だった。
グラナディスが立ち上がる。
「じゃあ、段取りを今すぐ組め」
「は、はい!!」
子爵が慌てて立ち上がる。
アリューもつられて立つ。
状況に追いついていない顔。
「……え、俺……王?」
グラナディスは肩をすくめる。
「決まったな」
あまりにも軽い。
こうしてあれよあれよという間に、アリューが王になることが、決まった。




