矜持
桜のこよりは詩集と共に白い袱紗に入れ、保管する事にした。横井春は深い眠りに付いている。
私と同居人達は床に落ちた本を拾う。横井春の暴走がおさまり、店内もどうにか落ち着きを取り戻したけど、なんとも言えない微妙な空気は消えていない。
そんな空気を一瞬で払拭させたのは、白さんだった。
『椿野彰が現れたら、報せて欲しい』
険しく厳しい表情で、白さんは私達に頼む。だが、その口調は命令に近い。いや、命令だった。このために、彼は神楽書店に来たのだ。
神に連なる方の命令――
只人である私に拒否権は初めからない。当然、快く承諾したよ。でもね、神楽書店の店主としての矜持は忘れないわ。
「分かりました。椿野彰を見掛けたら、白さんに報せます。……但し、一歩でも神楽書店に足を踏み入れたのなら、ここの流儀に従ってもらいます。それで、宜しいでしょうか?」
目を逸らす事なく、白さんの目を見ながら告げた。
まさか、そう返ってくるとはつゆ程にも思っていなかったのだろう。私の台詞を聞いて、一瞬目を見開いた後、白さんの険しさが増す。眉間の皺が数本増えた。美形だからか、一層凶悪さが増す。
店内じゃなかったら、完全にビビって腰を抜かして震えてるわ。泣いてるわね、絶対。でも今は泣いてはないわ。めっちゃ、涙目だけど。
(でも、ここで引くわけにはいかないの)
一度でも引いたら、これから先何かあった時、神楽書店が、死神様の都合の良いように利用されるかもしれない。その懸念がある以上、絶対に引く訳にはいかない。
(私に再び、安心して眠れる場所を与えてくれた神楽さんのためにも、ここで踏ん張らないと)
それに仮とはいえ、神楽書店の店主として、留守を預かる者として、私には神楽書店に辿り着いた亡者を見守り保護する責任がある。
そして、どんな形になってしまっても送り出す。
それが、私の矜持なの。
こちらから迎えには行かない。だけど、一歩でも神楽書店に足を踏み入れたのなら、椿野彰は、私が保護すべき対象者になる。
例え、死神様を敵に回しても護る――
正直に言えば、一介の人間に過ぎない私が、死神様に楯突くのはとんでもない事で、普通なら許されない事だよ。今も、怖くて仕方ない。少しでも気を抜けば、足が震えて座り込みそうになる。
それでも、私は必死で自分を奮い立たせた。無意識に握り締めていた掌に、爪が食い込む。鋭い痛みが、私を勇気付けた。
私は神の一員である死神様に、正面から喧嘩を売った。
椿野彰が神楽書店に身体の一部でも入った時点で、死神様とはいえ即時引き渡しはしない、罪人として引き渡さないと、明言したのだから。
元々、死神様達の中で、神楽書店を煙たく思っていた事は知っていたの。なんせ、人間如きが、自分達の領域を越権しているからね。死神様にとって面白くないのは、十分理解出来るわ。
だからといって、間違った事を言った覚えはない。面目丸潰れになりたくなければ、椿野彰がここを来る前に捕まえればいいだけの話よ。
(まぁ、必ずしも、ここに辿り着く確証はないけどね)
ただ……さっきの、横井春の反応を見れば、かなり強い縁があったって、容易に想像出来るわ。詩集に込められた想いもあるし、一方的じゃないよね。
だとしたら、彼女がいる神楽書店に、椿野彰が来る可能性は大きいと考えるのが妥当だわ。彼女しか手掛かりがない以上、白さん達はこの周囲を重点的に固めてくるわね。私に協力という名の命令をしてきた訳だし。
魂は、縁が強い場所、想いが強く残る場所に惹き付けられる習性があるの。
だとしても、大きな賭けには違いない。当事者と第三者では、心に残るものが違うもの。想像と推測が正しいとは限らないからね。
『代理とはいえ、神楽書店の店主は、黙って見守るのが役目だった筈だが』
越権行為ではないかと、白さんは私を非難する。予測していた回答だった。
「重々承知しております、死神様。代理とはいえ、私は神楽書店の店主、閻魔大王様と契約を交わした際の注意事項は承知しております。端から、破るつもりは毛頭ありません。……私の役目は、神楽書店に来た亡者の一時保護と逃亡防止。それは、ここを訪れた亡者全てにおいて言える事。違いますが? 死神様」
今は、私は神楽書店の店主として話をしている。だから、敢えて白さんの事を死神様と呼んだ。私の意図と覚悟を示す。
白さんは厳しい目で私を見据え、軽く溜め息を吐いた。そして、『分かった、了承した』と短く答えた。
帰り際、白さんの目が優しく、少し口角が上がっているのを、頭を下げていた私は全く気付いていなかった。




