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歓声のあとに ―忘れられた旗印―  作者: 草花みおん
第三章 大クスノキ襲撃

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ムギトの戦い

音が、流れを変えた。


群れの足音が大通りから南へ回り込む。その先には、孤児院の壁。子どもたちの寝息がまだ残る家。


扉を蹴破る音が背後から響き、ムギトは外に飛び出した。


夜の空気は焦げと血に満ち、炎の赤が路地を照らす。軒先に影が二つ、三つ。狂気に笑う襲撃者が振り返り、白濁した目をぎらつかせた。


「いたぞォ! まだ隠れてやがったか!」


刃がきらめき、影が一斉に迫る。ムギトは古い柄を両手に構え、狭い路地に身を沈めた。


「……ここは通さねぇ」


言葉は短く、低く、静かに落とされた。




最初の一撃は振り下ろされる刃。


柄で受け止め、衝撃に軋む腕を強引に前へ押し出す。襲撃者の顎に木端がめり込み、鈍い音と共に頭がのけぞった。歯が数本、石畳に弾けて散る。


二人目が横から刃を突き出す。


ムギトは後ろに退かず、肩で受けた。刃が肉を裂く。熱い痛みが走り、血が服に染み広がる。だが彼は呻かず、そのまま相手の腕を掴む。ねじり込むように石壁へ叩きつける。骨が砕ける音。悲鳴が短く途切れる。


三人目が吠えながら突っ込む。


その眼は薬で爛れ、理性は欠片もない。ムギトは拳を固め、真正面から叩き込んだ。音が骨を割り、血が飛ぶ。それでも敵は倒れず、笑ったまま腕を振るう。


「……ッ」


ムギトは歯を食いしばり、さらに一歩踏み出す。体格で勝る相手を押し返すことはできない。だから彼は退かない。自分が盾になる、それだけを胸に刻み、壁となって立つ。


背後には、ミレイナと子どもたち。震える祈りの声が耳の奥に届いていた。


「お願いや……ムギト……倒れんといて……」


その声は血より熱く、鋼よりも重く、彼を立たせた。




襲撃者の刃が再び迫る。


ムギトは全身で受け止めた。脇腹に刃が食い込む。肉が裂け、骨に当たる感触。息が詰まる。視界が一瞬白く染まる。だが叫びは出さない。叫びもせず、ただ腕を振り抜いた。柄の先端が敵の喉を打ち、呼吸が詰まる音がした。


倒れた男を踏み越え、次の影へ向き直る。


足が、重い。脇腹から温かいものが流れ落ち、靴の中に溜まっていく。


四人目、五人目が同時に襲いかかる。


ムギトは柄を横に振り、一人の膝を砕く。崩れ落ちる体を蹴り飛ばし、もう一人の顔面へ肘を叩き込む。鼻が潰れる音。血が噴き出す。


その瞬間、背後から棍棒が肩甲骨を打った。


骨が砕ける音が、頭蓋の内側で響く。右腕の感覚が消える。柄が手から滑り落ちそうになる。左手だけで握り直す。指が震える。


「ぐああっ!」


六人目が斧を振りかぶる。


ムギトは身を低くし、懐へ潜り込む。斧が肩を掠め、肉が削げる。熱い痛み。視界が揺れる。だが止まらない。腹へ拳を叩き込み、相手が屈んだ瞬間、膝を顔面に打ち上げる。歯が折れ、意識が飛ぶ。


七人目が背後から襲う。


気配を感じたムギトは振り返りざま、柄で相手の喉を横薙ぎに打つ。だが力が入らない。右腕が使えない。柄が浅く当たり、相手は怯むだけで倒れない。


刃が腿に突き刺さる。


「――ッ!」


声にならない悲鳴が喉を詰まる。膝が折れそうになる。石畳に片膝をつく。血が溢れ、地面に黒い染みを広げる。


視界が霞む。耳鳴りが響く。呼吸が浅い。肺が、うまく動かない。肋骨が折れている。折れた骨が内側を突き刺している。


「……はぁ……ッ……はぁ……」


息を吸うたび、胸の奥で何かが軋む。血の味が喉に上がってくる。吐き出したいが、吐けば力が抜ける。飲み込む。鉄の味が舌に残る。


八人目が近づいてくる。


ムギトは左手だけで柄を握り、地面を支えに立ち上がる。右腕は垂れ下がったまま。肩から血が滴り続ける。脇腹の傷から内臓が覗きそうなほど深く裂けている。腿の傷からは止まらない出血。


それでも、立つ。


「……まだ……だ……」


声は掠れている。喉が血で塞がりかけている。


八人目が槍を突き出す。


ムギトは避けられない。体が動かない。槍が腹を貫く。鈍い衝撃。痛みはもう、感じない。痛覚が麻痺している。


だが、倒れない。


槍の柄を左手で掴み、相手ごと引き寄せる。驚く敵の顔面へ頭突きを叩き込む。鼻が砕け、相手が槍を手放す。


槍が腹に刺さったまま、ムギトは前へ進む。


九人目、十人目が怯む。


「化け物か……!」


誰かが叫ぶ。だが、ムギトの目はもう焦点を結んでいない。ただ、背後の扉だけを意識している。あの扉の向こう。子どもたちの声。ミレイナの祈り。


守る。それだけ。


十一人目が大柄な男だった。


腕に鈍器を巻きつけ、怒号と共に突進してくる。ムギトは槍を引き抜き、血が噴き出す。だが構わず、槍を投げ捨て、柄だけで立ち向かう。


衝突。


ムギトの体が吹き飛ばされ、石壁に叩きつけられる。背骨に衝撃が走る。口から血が溢れる。肺が潰れた。呼吸ができない。


視界が暗くなる。


耳が遠くなる。


足が、感覚を失う。


それでも、手だけが動く。壁に手をつき、這い上がるように立ち上がる。


「……っ……はぁ……」


息が、できない。血が喉を塞ぐ。咳き込む。血の塊が吐き出される。視界に赤い霧がかかる。


大柄な男が再び突進してくる。


ムギトは柄を構えることもできない。ただ、体を前へ投げ出す。男の懐に潜り込み、最後の力を込めて喉へ拳を突き入れる。


男が呻き、倒れる。


ムギトも、倒れそうになる。だが、倒れない。


片膝をつき、柄を杖にして体を支える。血が口から、鼻から、耳から流れ落ちる。全身が震えている。視界はもう、ほとんど見えない。


だが、耳は聞こえる。


扉の向こうから、かすかに聞こえる子どもたちの息遣い。


「……まだ……」


声にならない声が、唇から漏れる。


残った敵が数人、怯えながら後退する。


「あいつ、まだ立ってやがる……」


「化け物だ……逃げろ……」


足音が遠ざかる。逃げていく。




路地が、静かになる。


ムギトは柄を支えに、辛うじて立っている。右腕は完全に垂れ下がり、肩からは骨が見えている。脇腹の傷は深く、腸が覗いている。腿からは止まらない出血。口からは血が滴り続ける。


呼吸は浅く、途切れ途切れ。心臓が限界を超えて打っている。視界は暗く、音も遠い。


それでも、立っている。


背後の扉を、守るために。


「……ミレイナ……子ども……たち……」


声にならない言葉が、血に混じって零れる。


足が震える。膝が笑う。体が、前に倒れそうになる。だが、柄を突き、踏みとどまる。




そして――


音が、また変わった。


路地の奥――燃えた屋根越しに、複数の足音がじわりと近づいてくる。砂を踏み、瓦礫を蹴る音。


その数は、さきほど倒した者たちより多い。


「……まだ……来るのか……」


ムギトの目が、かすかに光る。もう何も見えない。だが、気配は感じる。


握り締めた柄から血が滴り、石畳に音を立てた。


もう、動けない。立っているのが、精一杯。


だが、倒れない。


倒れるわけには、いかない。


夜風が吹き込み、遠くの鐘の音が一度、また一度と鳴る。


ムギトは血に濡れた顔を上げ、迫りくる影を見据えた。


孤児院の前に広がる闇は、まだ終わりを告げてはいなかった。


だが、この男が立つ限り、その闇は中へは入れない。


気力だけで、命の炎を燃やし続ける男が、そこに立っていた。

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