孤児院の地下
孤児院の地下。
食糧庫は土の匂いと油の匂いで満ち、冷たさが足首から這い上がる。棚には乾いた豆、塩の塊、油の瓶。樽の影に小さな背が折りたたまれ、互いの手が結ばれている。
リオは、声の震えを奥歯で押しつぶしながら、できるだけ優しい口調を選ぶ。
「大丈夫。ここは大丈夫。深呼吸、吸って、止めて、吐いて。いっしょに。せーの……」
子どもたちの胸が小さく上がり、小さく下がる。
最年少のクルミは鼻をすすり、涙の筋が埃で線になる。震える手で自分の膝を抱き、小さく丸まる。隣のタロは唇を噛んだまま目を閉じ、耳を両手で押さえた。誰かが小さくしゃくり上げ、すぐに口を手で塞ぐ。
ムギトは階段口の陰に立ち、古い柄を握る。刃はない。けれど握り跡は深く、そこに込める覚悟は刃より冷たい。
「何があっても、俺が前に出る。おまえらは動くな」
ミレイナは頷こうとして、喉に鉤がかかったみたいに声が出ない。
「やめて」
と言えば、誰かの手がほどける気がした。ほどけた手の間から音が零れて、音が階段へ昇る気がした。だから黙る。黙ったまま、腕で子を包む。
上で何かが倒れた。
どん、と重い音。土壁がざらと鳴り、埃が天井から落ちてくる。子どもたちが一斉に身を縮める。クルミが小さく悲鳴を上げかけ、隣の子が慌てて手で口を塞ぐ。
油皿の火が、わずかに長くなって短くなる。影が揺れるたび、子どもたちの目が大きく見開かれる。誰かの喉が鳴り、すぐに口の中で押さえ込まれた。
外で笑い声がした。
荒々しく、狂気を帯びた笑い。足音が近づいてくる。戸を蹴る音。窓を叩く音。子どもたちの手が、ぎゅっと強く絡み合う。
「……こわい」
誰かが息だけで呟いた。声にならない。
「しーっ」
ミレイナが指を唇に当てる。その指が震えている。子どもたちは息を止め、樽の木目に背を押し付ける。
階段の上で、足音が止まった。
誰かが、そこにいる。
鼻で嗅ぐような沈黙。ムギトの肩が、目に見えて固くなる。柄を握る手に力が入り、節が白くなる。リオは思わず子どもたちの方へ腕を広げた。
クルミが震えながら、小さく、小さく呟く。
「……ルミナお姉ちゃん……助けて……」
両手で耳を塞ぎながら、膝同士をすり合わせ、小さな骨の音を自分で聞いている。涙が頬を伝い、震える唇から糸のように細い声が零れた。
隣でタロが唇を噛んだまま、少し遅れて言葉を追う。目を固く閉じたまま、声だけが震える。
「……ルミナお姉ちゃん……来て……」
その向かいで、背の高い子が目を閉じ、声を出すたび肩が震えた。拳を握りしめ、爪が掌に食い込んでいる。
「ルミナ……助けて……」
祈りの輪は自然に広がる。言い始めた者はもう泣いていない。泣く余裕もない。言い出せなかった者が、今度は言える。その順番が、地下の空気に隙間を作る。隙間から、わずかな呼吸が滑っていく。
リオは胸の中心がきゅっと縮むのを感じた。ルミナの名を口に出したら、自分の口も震える。震えが伝われば、輪が崩れる。だからリオは祈りを胸に留め、代わりに支える言葉だけを選ぶ。
「大丈夫。きっと……きっと来てくれる」
声が震えた。だが、言葉を続ける。
「ルミナは、絶対に来る」
確証はない。けれど、その言葉を待っていたみたいに、子どもたちの指が少しだけ強く絡み直された。
階段の上の足音が、ゆっくりと遠ざかっていく。
別の家へ。別の扉へ。外の怒号が遠くなり、また別の方向から悲鳴が聞こえる。
油皿の炎がその瞬間だけ揺らぎ、樽の影が壁に小さな山並みを描く。子どもたちは、まだ息を止めたまま動かない。
外の鐘は、まだ鳴っている。遠くの通りで「助けてくれ」という声が重なり、それが厚みを増してここへ届く。
「ルミナお姉ちゃん……」
誰かがもう一度、名を呼んだ。今度は少しだけ、希望を込めて。
名は地下の低い天井に当たり、やさしい反響になって降ってくる。その反響は、外の「誰か助けてくれ」という叫びと重なり、夜の底へ流れ込んだ。
「大丈夫。ここにいれば、大丈夫」
リオが繰り返す。自分に言い聞かせるように。
ミレイナは子どもたちの頭を撫でる。震える手で、一人ずつ。ムギトは階段口から動かず、ただ立っている。その背中が、唯一の壁だった。
街は燃えている。それでも街は、まだ生きている。崩れて、裂けて、沈んで、なお、人の声が繋がっている。
鐘がもう一打、夜を刻む。その一打ぶん、確かに生き延びた。
孤児院の地下では、子どもたちの囁きがまだ続いている。
「……ルミナお姉ちゃん……助けて……」
重なり、細り、また重なり、波のように。その波はいつか、遠い場所の誰かの胸を打つ。
今はまだ、ここで。小さな灯を守りながら。息を、小さく。小さく。
そして、過ぎ去らせるために。




