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第8話 事件簿② 背中の手

 最後の三秒を、私は百回以上見た。


 第十六層、通称「鴉の崖」。

 高さ四十メートルの岩壁を、ロープで下りる難所だ。


 映像は、パーティの一人のヘルメットカメラのものだった。

 画面の中央に、亡くなった探索者――森川拓也さん、二十七歳。ロープに手をかけ、崖の縁から身を乗り出している。


 次の瞬間、森川さんの足が滑る。

 体が後ろに傾く。


 その背中に、画面の左端から伸びた手が、触れる。


 そして、森川さんは落ちていく。


 KAGAMIの判定は、「転落事故(足の滑り)」。確度九十六・四パーセント。

 パーティの残り二人は、「助けようとして手を伸ばしたが、間に合わなかった」と証言している。


 ――助けようとした手。

 ――押した手。


 三秒の映像だけでは、どちらにも見える。


 配信で扱う前に、私は送り主にメッセージを送った。

 顔も名前も出さないこと。犯人を名指しすることはしないこと。それでも、亡くなった方の最期の映像を、何万人もの前で流すことになること。


 返事は、一時間後に来た。


『兄の名前は、森川拓也です。出してください』


『兄は、崖の下りが一番うまかった。パーティで一番、ロープの扱いが丁寧だった。それなのに「足を滑らせた」って、三分で決められたんです』


『兄が最後に何を見たのか、知りたいです』


 ――亡くなった人が、最後に何を見たか。


 八年前、ダンジョンの床に這いつくばっていた志摩さんの背中を、私は思い出した。




◇




 【迷宮鑑識】視聴者の事件簿 第2回


「今夜は、人が亡くなった事故を扱います。ご遺族の方から、許可をいただいています」


 コメント欄の流れが、いつもより遅かった。


「最初にお伝えします。私は、誰かを犯人だとは言いません。この映像から分かることだけを、お話しします」


 映像を、一コマずつ進める。


「このパーティは三人です。亡くなった森川さん。カメラをつけていた、Aさん。そして、Bさん」


 18番。画面の左端から伸びた手。


「パーティの証言では、この時、Bさんはすでにロープで崖の下に降りていました。下から無線で『着いた』と連絡があった、と。だから崖の上にいたのは、森川さんとAさんの二人だけです」


『じゃあ、この手はAさんの手でしょ』

『助けようとしたんだよ』


「はい。私も最初は、そう思いました」


 私は、映像の別の場面を出した。

 崖に着く十分前。Aさんが、地図を確認している場面。


 画面の下から、Aさんの両手が地図を持ち上げている。


「ヘルメットカメラは、頭の上に付いています。だから、カメラをつけている本人の手は、いつも画面の下から出てきます」


 19番。地図を持つ、Aさんの手。


「でも、森川さんの背中に触れた手は、画面の左端から、肩の高さで伸びています」


 二つの場面を、並べる。


 下から出てくる手。

 横から出てくる手。


「この手は、Aさんのものではありません。Aさんの左側に立っていた、別の人の手です」


 コメント欄が、止まった。


「崖の上には、もう一人いました」


『でも、Bは下にいたって証言が』

『無線で連絡あったって』


「無線は、どこからでも『着いた』と言えます」


 私は、崖の場面をもう一度出した。

 今度は、手ではなく、岩壁を見る。


 崖の上の岩棚の奥には、パーティが据え置いた大型のランタンがある。

 その光が、崖の脇の岩壁に、崖際に立つ人たちの影を落としている。


 20番。岩壁の影。


「影を数えてください」


 森川さんの影。

 Aさんの影。


 その左に、もうひとつ。

 ヘルメットの輪郭と、肩の形。腕が、前に伸びている。


「崖の上には、三人いました。Bさんは、下にいなかった」


 同時接続は、六万を超えていた。

 それなのに、コメントはほとんど流れなかった。


「この映像と、今お話しした三つの番号を、警察に提出してください。そこから先は、私の仕事ではありません」


 配信を終える直前。

 ひとつだけ、コメントが流れた。


『兄は、事故じゃなかったんですね』


 投稿者の名前は、なかった。


 私は、画面に向かって頭を下げた。

 それしか、できなかった。




◇




 二日後。

 警察署の小さな会議室で、私は一人の刑事と向かい合っていた。


「警視庁迷宮課の、御子柴です」


 三十代の後半くらい。くたびれたコートに、寝不足の目。

 テーブルの上には、紙コップのコーヒーが二つ置かれている。


 コートの袖口に、乾いた赤土が付いていた。第九層の土だ。

 ズボンの裾には、第十六層の黒い砂。この数日で、少なくとも二つの階層に自分で潜っている。


 刑事が、自分の足で現場に行っている。

 それだけで、私はこの人を少し信用してもいいと思った。


「……俺の服の泥、見てます?」


「すみません。癖で」


「鑑識の人は、みんなそうだ」


 御子柴さんは、初めて少しだけ口の端を上げた。


「Bが、自供しました」


 御子柴さんは、前置きなしにそう言った。


「借金がありましてね。森川さんにかけていた探索者保険の受取人が、パーティの共同口座だった。Aも、薄々気づいていて黙っていたそうです」


「……そうですか」


「裏付けと送検の手続きがありますんで、公式の発表は来週の月曜、午後二時です。それまでは、ご内密に」


 私が頷くと、御子柴さんは椅子の背にもたれた。


「正直に言いますとね、灰原さん」


 御子柴さんは、コーヒーを一口すすって、顔をしかめた。


「配信者に事件を引っかき回されるのは、我々にとって迷惑なんですよ。証拠が荒らされる。目撃者が炎上する。犯人が逃げる」


「はい」


「でも、あんたは犯人の名前を言わなかった。証拠を警察に出せと言った。それから、影の数」


 御子柴さんは、ノートの端に、三つの丸を描いた。


「うちのKAGAMI担当も、あの映像は見てたんですよ。影の数には、誰も気づかなかった」


「KAGAMIは、影を数えるようには作られていませんから」


「人間も、数えなかった」


 御子柴さんは、名刺を一枚、テーブルに滑らせた。


「迷宮課には、外部の専門家を嘱託で呼べる制度があります。予算は雀の涙ですがね。考えといてください」


 私は名刺を受け取って、しばらく迷った。


「……考えさせてください」


「急ぎません。ああ、それと」


 立ち上がりかけた御子柴さんが、ドアの前で振り返った。


「森川さんの妹さんから、伝言です。『ありがとうございました』と」




◇




 その夜、協会の公式サイトに、ひとつの告知が出た。


 【KAGAMI導入成果発表会】

 来週月曜、午後一時半より。協会公式チャンネルで生配信。

 登壇:DX推進室長 木戸


 告知には、発表資料の一部が先行公開されていた。


 一枚目。「事故調査を、三日から三分へ」。

 二枚目。「判定精度 99.1%」。


 三枚目を開いて、私は息を止めた。


 ――成功事例:第十六層「鴉の崖」転落事故。KAGAMIが三分で「事故」と正しく判定。ご遺族の負担を軽減。


 私が二日前に、他殺だと読んだ事故だった。


 発表会は、月曜の午後一時半から。

 警察の発表は、同じ日の午後二時。


 その差は、三十分。


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