第6話 消えた十八件
「消したのは、人間です」
真壁さんは、カラオケボックスの小さな個室で、そう言い切った。
画面の中では、誰も歌っていない曲の映像が流れ続けている。
人に聞かれずに話せる場所を、と犬飼さんに相談したら、ここになった。
テーブルの上には、ノートパソコンが一台。
私と犬飼さんと真壁さんの三人で、それを囲んでいた。
「KAGAMIは、協会の過去十八年分の事故調書、約四万件を読み込んで作りました。その中から、七年前の半年間の、第二十八層周辺の事故だけが、ぴったり十八件、消えています」
「事故調書が、元々なかった可能性は」
「ありません。調書の番号が、そこだけ飛んでいるんです」
真壁さんが、画面に一覧を出した。
調書番号、四一二〇。
次が、四一三九。
その間の十八件が、ない。
「二年前、KAGAMIの開発を始めたときに、『学習データの整理』という指示が上から来ました。古い調書の誤字や重複を消す作業です。消したのは、その時だと思います」
「誰の指示ですか」
「分かりません。削除した人のIDは、管理者権限で消されていました」
犬飼さんが、腕を組んで唸った。
「消した記録まで消してるってことか」
「はい。でも、消したということ自体は、隠しきれていない。番号が飛んでいますから」
――現場は嘘をつかない。嘘をつくのは、記録のほうだ。
志摩さんの言葉が、頭の中で響いた。
記録は嘘をつく。
でも、嘘をついた跡も、記録には残る。
◇
「その十八件、私、たぶん全部知っています」
二人が、同時に私を見た。
「七年前、私は新人で、志摩さんと組んでいました。第二十八層の事故は、ほとんど二人で担当したんです」
私は鞄から、分厚いファイルを取り出した。
解雇された日、段ボールに詰めて持ち帰った、七年分の調書の控え。
「鑑識官は、自分が書いた調書の控えを、紙で持っておく決まりがありました。協会のシステムが壊れても、記録が残るように」
ファイルを開く。
七年前の日付の調書が、束になって挟まっている。
調書番号、四一二一。四一二二。四一二三。
「……あった」
真壁さんが、身を乗り出した。
「全部、ありますか」
「十八件のうち、私が担当したのは十四件です。残りの四件は、志摩さんが一人で書いたもので、控えは志摩さんの鞄の中にあったはずですが……見つかっていません」
十四件。
私は一件ずつ、調書をめくった。
第二十八層。落盤。
第二十八層。転落。
第二十八層。魔物による襲撃、種不明。
「志摩さんは、ずっと言っていました。この層だけ、事故が多すぎるって」
「多すぎる?」
「第二十八層は、難しい層ですが、事故率は他の深層と変わりませんでした。それが、この半年だけ、三倍に跳ね上がったんです」
あの頃の私は、その意味が分からなかった。
調書を書いて、番号札を拾って、次の現場へ行く。それだけで精一杯だった。
ひとつだけ、よく覚えている場面がある。
第二十八層、白い岩が骨のように連なる長い回廊。
事故現場の検分を終えて、私が番号札を回収していたとき、志摩さんが壁の前でじっと動かなくなった。
「灰原。この傷、何本に見える」
「三本です」
「深さは」
「……同じ、に見えます」
志摩さんは、しばらく黙って、それから手帳に何かを書きつけた。
「お前は、それを覚えておけ。いつか、この傷を見たら思い出せ」
「何の傷なんですか」
「まだ分からん。分からんものを、分からんと書いておくのが、鑑識の仕事だ」
志摩さんが亡くなったのは、その三日後だった。
あの時、志摩さんが書いていたのが、手帳の最後のページ――「4.2cm 爪にあらず」だったのだと、今なら分かる。
第十一層であの三本線を見たとき、背中に冷たいものが走った理由も。
私は、七年前に一度、同じ傷を見ていたのだ。
「真壁さん。この調書を、KAGAMIに読ませたら、どうなりますか」
真壁さんは、ごくりと唾を飲んだ。
「協会のKAGAMIには、勝手にデータを入れられません。でも……僕のパソコンに、開発用のKAGAMIのコピーがあります。それなら」
「それ、真壁さんの立場は大丈夫なんですか」
「大丈夫じゃないです」
真壁さんは、笑おうとして失敗したような顔をした。
「でも、KAGAMIが間違ったまま使われる方が、もっと大丈夫じゃないので」
◇
私が読み上げた調書を、真壁さんが打ち込んでいく。
十四件。二時間かかった。
カラオケの延長を、二回した。
犬飼さんが、気をきかせてポテトと唐揚げを頼んでくれた。
「入力、終わりました。十一層と十二層の事故を、もう一度判定させます」
真壁さんが、キーを叩く。
画面に、青い文字が浮かんだ。
【参照した類似事例:あり(七年前・第二十八層 十四件)】
【判定:保留】
【理由:既知の魔物の記録と一致しない痕跡を検出。人による現地調査を推奨】
三人とも、しばらく黙っていた。
「……保留」
真壁さんが、かすれた声で言った。
「KAGAMIが、分からないって言ってます。初めて」
「それで正しいんです」
私は、画面の「人による現地調査を推奨」という一行を見つめた。
「分からないものを、分からないと言えるなら。KAGAMIは、ちゃんと優秀です」
真壁さんの目が、少しだけ赤くなった。
◇
「問題は、この調書、外に出せないってことですよね」
犬飼さんが、ポテトの最後の一本をつまみながら言った。
「はい。協会の調書には守秘義務があります。配信で見せれば、木戸室長の言う通り、法律の問題になります」
「じゃあ、どうするんですか」
「調書は出しません。代わりに――」
私は、自分のチャンネルのページを開いた。
登録者数、八万二千人。
「私の読み方が正しいと、みんなに信じてもらえるようにします。誰でも見られる映像だけを使って、一件ずつ」
「一件ずつ?」
「視聴者の方から、事故の映像を送ってもらうんです。KAGAMIが判定した事故で、納得していない人は、たくさんいると思います」
犬飼さんは、少し考えてから、頷いた。
「信用を積むってことですね」
「はい。いつか、十八件の話をするときのために」
真壁さんが、おずおずと口を開いた。
「僕も、手伝えます。投稿された映像の明るさを調整したり、ブレを補正したり。KAGAMIの前処理の技術なら、僕が一番よく知ってるので」
「協会の仕事は」
「……バレないようにやります」
犬飼さんが、真壁さんの肩をばしんと叩いた。
「いいじゃん。チームっぽくなってきた」
真壁さんは咳き込みながら、それでも笑っていた。
私は二人を見て、不思議な気持ちになった。
ほんの五日前、私は地下二階の窓のない部屋で、一人で段ボールを詰めていた。
今は、カラオケボックスの狭い個室に、三人いる。
私は、調書のファイルを閉じようとした。
そのとき、真壁さんが、画面の一点を指さした。
「灰原さん。これ、気づいてましたか」
入力した十四件の調書の一覧。
真壁さんが、ある項目だけを並べ替えていた。
――第一発見者の所属。
十四件のうち、十一件。
同じ名前が並んでいた。
アストラ。




