第5話 甘い匂い
「同行者として、灰原つむぎさんを登録します」
協会の窓口で、犬飼さんが書類を差し出した。
探索者免許を持つパーティは、免許を持つ同行者を二名まで連れて入ることができる。
私の探索者免許は、鑑識官として現場に入るために取ったものだ。有効期限は、まだ一年残っている。
窓口の職員は、私の名前を見て一瞬だけ手を止めた。
それから、黙って判子を押した。
「行きましょう」
犬飼さんが、受付票を私に渡す。
「目的地は、第十四層。三本線の傷がある、あの曲がり角です」
◇
灯火は四人のパーティだ。
リーダーで盾役の犬飼さん。
剣士の双子、日向さんと日陰さん。
後衛の魔法使い、小柄な女性の結城さん。
「あの、灰原さん。最初の配信、二人目に見てたの、私です。……『地味すぎて草』って書いたのも、私です。すみません」
結城さんが、杖を抱えて小さく手を挙げた。
「いえ。同接2は、結城さんでしたか」
「リーダーが、すごい真剣な顔で『見ろ』って言うので」
犬飼さんが、咳払いをした。
今回の探索は、灯火のチャンネルで配信することになっていた。
私が現場を読み、灯火の皆さんが護衛をする。協会の判定とは関係のない、ただの「探索配信」だ。
ヘルメットのカメラが、赤く点灯する。
同時接続は、開始から五分で三万を超えた。
『灰原さんが現場に!』
『リアル番号札見れるの?』
第十一層から第十三層までは、灯火にとっては通い慣れた道だった。
私にとっても、鑑識の仕事で何度も来た場所だ。
ただ、生きている探索者と並んで歩くのは、久しぶりだった。
「灰原さん、そこ、段差あります」
「はい。あと、日向さん。その先の床、右側を踏まないでください」
「え?」
剣士の日向さんが、踏み出しかけた足を止めた。
「床の砂の模様が、そこだけ渦を巻いています。下に空洞があって、風が吹き上げている跡です。踏み抜くと、膝まで落ちます」
日向さんが、剣の鞘の先で床を突いた。
ぼこり、と鈍い音がして、床が拳ひとつ分、陥没した。
『え、すご』
『砂の模様でわかるの?』
「……姉ちゃん、俺、ここ先週も通った気がする」
「アンタが踏まなかっただけでしょ」
双子の日陰さんが、弟の後頭部をはたいた。
結城さんが、後ろでくすくす笑っている。
犬飼さんだけが、少し遅れて私の隣に並んだ。
「灰原さん。現場に入ると、喋り方が変わりますね」
「そうですか?」
「なんか、迷いがない」
そうかもしれない。
地上では、何を話せばいいか分からないことばかりだ。でも現場では、見るべきものが、いつも目の前にある。
◇
第十四層、例の曲がり角。
灯火の配信映像で見たときより、ずっと狭く感じた。
天井の光苔が、帯状に剥がれている。幅六十センチ。その縁に並ぶ、小さな穴の列。
私は鞄から、番号札を取り出した。
10番。壁の三本線。
11番。天井の脚の跡。
ルーペで、穴の縁を見る。
岩が、刃物で突いたように鋭く欠けている。欠けた破片は床に落ちていない。穴の奥に押し込まれている。
「上から下へ、体重をかけて突き刺しています。脚の先端が、杭のように細い」
床に這いつくばって、ライトを当てる。
岩の割れ目に、白いものが挟まっていた。
ピンセットで、そっと引き抜く。
薄い、白い板。
骨のように見えるが、骨ではない。軽い。光にかざすと、細い筋が透けて見える。
12番。
「脱皮した殻の欠片です」
『抜け殻!?』
「この形、見たことがあります。協会の図鑑の、深層種のページで」
私はスマホで、協会の公開図鑑を開いた。
第三十一層以下にのみ生息する、深層種の一覧。
その中の一体を、画面に映す。
――骨喰い(ほねはみ)。
体長四メートル前後。脚は二十四本。脚の先端は刃状で、すべて同じ長さ。洞窟の天井を移動する。生息域:第三十一層以下。
『三十一層!?』
『十四層に出ていいやつじゃない』
「はい。浅い層に深層種が現れた記録は、協会の公式記録には一件もありません」
犬飼さんが、天井を見上げた。
「十七層分も、上がってきたってことですか」
「自分で上がってきたのなら、途中の階層にも痕跡があるはずです。この四日間、第十五層より深い層の探索配信を、見られるだけ見ました。天井の苔の剥がれは、一か所も映っていませんでした」
自分で登ってきたのではない。
「途中を飛ばして、ここに現れている。まるで――」
そこで、私は言葉を止めた。
鼻の奥に、何かが引っかかった。
甘い。
砂糖を焦がしたような、それでいて鉄錆が混じったような匂い。
壁の、三本線のすぐ下。
岩の窪みに、黒い粉が溜まっていた。灰だ。指でつまむと、細い燃えかすの棒が一本、混じっていた。
私は、その瞬間に思い出した。
志摩さんの手帳。最後から二ページ目。
昨夜、最後のページだけ見て閉じてしまった手帳を、今朝、出かける前に一枚だけ遡って読んだ。そこにあった一行。
――香。甘い。骨喰いが寄る。
「犬飼さん」
私は、声を落とした。
「すみません。少しだけ、配信を止めてもらえますか」
犬飼さんは、一瞬だけ私の顔を見た。
何も聞かずに、仲間たちに手で合図をする。四人のカメラの赤い光が、同時に消えた。
『え、切れた?』
『機材トラブル?』
配信には、それきり何も映らない。
「……どうしました」
「この匂いのことは、まだ配信では話さないでください。私も話しません」
「匂い?」
結城さんが鼻をひくつかせて、首を傾げた。
「甘い、ですね。お菓子みたいな」
「骨喰いを、ここに呼んだものの匂いです。たぶん」
私は燃えかすを、証拠品用の袋に入れた。
13番。
誰かが、ここで何かを焚いた。
その匂いに引かれて、深層の魔物がここまで「呼ばれた」。
だから、途中の階層には痕跡がない。
二日前の夜、アストラの配信で見た、あの動き。
獲物を追うのをやめて、迷わず下へ降りていった白い脚。
あれは、匂いの元へ帰っていったのだ。
「灰原さん」
犬飼さんが、低い声で言った。
「上」
見上げると、天井の光苔の帯の先から、白い欠片がひとつ、ひらりと落ちてきた。
床に転がったそれは、さっき拾ったものより、ずっと新しかった。
まだ、湿っている。
「戻りましょう。今すぐ」
犬飼さんが盾を構え、双子が前後を固める。
私たちは、来た道を走った。
背後で、岩を刃で突くような音が、天井を伝って近づいてきた。
コツ、コツ、コツ。等間隔に。
二十四本の脚で、歩く音だった。
◇
地上に戻ったのは、夜の九時を過ぎてからだった。
入口前のベンチで、証拠品袋を膝に乗せたまま、ぼんやりしていると、スマホが震えた。
真壁さんからだった。
「灰原さん。KAGAMIの学習データ、全部調べました」
電話の向こうの声は、少し震えていた。
「七年前の事故調書が、まとめて抜けています。全部で、十八件」
「……十八件」
「抜けているのは、全部、第二十八層の事故です」
第二十八層。
志摩さんが亡くなった場所だった。




